編集者の風元正さんによるテレビ時評「Television Freak」。今回は1~3月クールの連続ドラマの中から恋愛ドラマ3作品、『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』『ダメな私に恋してください』『東京センチメンタル』を取り上げます。それぞれの恋の物語が描き出す心の「底」、あるいは、日本の「底」とは――
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井の頭公園の今とアオサギ(撮影:風元正)



心の「底」が見たい


文=風元正


 井の頭公園は今、「かいぼり」の最中で、池の底が見えている。去年、世を騒がせた自転車を筆頭にした粗大ゴミはきれいに片づけられていて清潔感があり、水が張られるのが待ち遠しい。日曜日なのにあまり混雑しておらず、ご近所の人間にとっては新鮮だった。「底」というのは、なかなか見ることができるものではない。子供の頃、村山貯水池が改築のために水を抜いていた時期があり、広大な空き地の中、昔の川に水がちょろちょろ流れているのが愉快でよく遊びに行った。パトロールの警備員に見つかっては走って逃げたものだ。普段は決して見えないものが見えるというのは、どこか罪深い悦びがある。人の心の「底」も、見える時があるのだろうか。


 今クールは、「恋」を巡る物語につい熱中している。自分自身としては、もはや忘れ去っている感情であるが、卒業したわけではない。『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』は、『最高の離婚』『問題の多いレストラン』という快作が続いた『東京ラブストーリー』の脚本家・坂元裕二の意欲作である。第1話ですぐさま引き込まれた。作り手が意識しているかどうか、確認する必要は感じないのだが、シークエンスのひとつひとつが、日本の青春映画の系譜を引き継いでいる気がする。トラックといえば根津甚八の『さらば愛しき大地』や『サッド ヴァケイション』の間宮運送。冒頭、4畳半で高良健吾と高畑充希がからみ合うシーンは『赫い髪の女』を始めとする日活ロマンポルノ。北海道の描写は佐藤泰志原作の『海灰市叙景』や『そこのみにて光輝く』だし、新聞配達といえば『十九歳の地図』でしょう。貧しさの中で頑張る健気な少女といえば、まず『キューポラのある街』だし、ヒロインの養父が柄本明という配役が、何かを雄弁に語っている。歴史を引き受けた上で、21世紀の『ふぞろいの林檎たち』へ。
 高良健吾がいい。中上健次と村上春樹の両方の原作映画に出演しているのだから、すでに日本「文芸」映画を背負って立つ存在だが、連ドラで見たかった。福島出身で、不器用でバカ正直な性格ゆえ損ばかりしているけれど、懸命に働き続ける引っ越し屋のアンちゃんを繊細に造型している。両親を早く亡くし、将来、祖父(田中泯)が耕す畑を自分もまた耕すのが夢だったが、土地を騙し取られてしまい、取り戻すために東京で働いている幸薄い若者。目がきれいで、雨に濡れた子犬のような寄る辺なさが切ない。ドラマの中でも、捨て犬にエサをあげている。東京から、友達が盗んだ2060円入りの財布を北海道までトラックで返しにゆく今時の若者が現実にいるのかどうか、偶然だらけの『君の名は』的なストーリー展開と同じく、あまり気にならない。

『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』フジテレビ系 月曜よる9時放送   (C) フジテレビ

 有村架純のような健気な娘が、今、どこかの空の下で頑張っているのだろうか。この子も孤児で、2つの名前を持ち、養父がお膳立てした金目当ての結婚が破れたため、北海道から身一つで高良のトラックに乗り出奔する。出会いは財布がきっかけだが、死ぬ間際に母が書いた手紙をトラックの中で読み上げるシーンでは目頭が潤んだ。ガソリンスタンドから介護施設勤務へ。あまりに悲惨な境遇だから、芯が明るくないと見ている方がつらくなるけれど、全身で前向きな生命力を表している。『あまちゃん』時代より、ずいぶん複雑なニュアンスが宿るようになっていて嬉しい。トラックの運転席やビルの物陰など、密室的な空間でアップを撮るシーンが多く、くりっとして濡れている大きな瞳に見詰められているようで、曇ったバスの窓ガラスに指で「おつかれさま」と書いたりされると、何だかドキドキする。第3話、湾岸の片隅で、漏れ聴こえるスワベック・コバレフスキのピアノの音の下、「アルプス一万尺」をやったり、お互い朝の人身事故で電車が遅れて「チッ」と舌打ちする人が嫌であることを確認したり、携帯で撮ったアスファルトの隙間に咲く花を見せ合う名場面には心を洗われた。
「東京は夢を叶える場所じゃないよ。東京は夢が叶わなかったことに気づかずにいられる場所だよ」
 テーマははっきり打ち出されている。私が見終えた第3話の時点で2011年1月末。3・11が物語を大きく揺らすはずである。『あまちゃん』の宮藤官九郎以来の挑戦である。名台詞と伏線が周到かつ細心に配置されており、どんなドラマになるのか、正直、見当もつかないが、坂元裕二は日本の「底」を見ようとしている。ハッピーエンドを望みたいが、果たしてどうか。「月9」という枠で、とてつもなく重いテーマに挑んだフジテレビの勇気に拍手したい。

『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』  (C) フジテレビ


 『ダメな私に恋してください』を、オジさんが好きになっていいのだろうか。少女マンガが原作で、最初は設定が荒唐無稽という気もしたがすぐに慣れた。「元ヤン」のディーン・フジオカが脱サラして松庵文庫(※ロケ地)で「喫茶ひまわり」を経営していて、家に深田恭子が居候している。後輩たちの人望も厚い。もし、自分の身の上がこうだったら……。ありえないけれど、いいと思う。「五代様」ディーン・フジオカは、とても素晴らしい。巷の主婦と同じく、9・11で留学先のアメリカから追い出されたとか、インドネシア人と結婚して子供もいるとか、ボクシングが達者とか、謎めいた経歴をつい学んでしまっている。『ぴったんこカン★カン』での安住伸一郎アナウンサーの分析によれば、ディーンは「喋り方がゆっくりで、センテンスが短い」そうだ。真似してみよう。
 当然、深キョンもすごく愛らしい。AKBやひまわりコスチュームのコスプレも、目のやり場がない似合い方で困ってしまう。「ダメ女」という設定がハマっているから輝くのか、もうなんだかよく分からない。夜道でイジリー岡田に迫られていて、ディーンが助けに入った瞬間、何かがドラマに舞い降りてきた。「面積の少ない下着」を眺めていたり、ブーケトスを全力で受け取ったり、見せ場はテンコ盛りである。常連客の小野武彦が「結婚において肝要なのは、得手よりも不得手が同じことである」とか、いい教訓を語っている。ファンタジーだからこそ表現できる心の「底」もあるはずだろう。


 吉田鋼太郎の『東京センチメンタル』は、なんだか身につまされる。「呆れた話だ。バツ3、独身、55歳。それなのに、まだ、東京の街角で出会いの予感を待っているなんて。ああ、これが何度目の恋だろう」という冒頭のナレーションが、もうすべて。言問橋の老舗和菓子屋の職人・久留里卓三がライカのM9を首に下げ、「寅さん」のごとくマドンナに惚れては玉砕する。現実の吉田も3度目の結婚をしたばかりでまだまだ現役だから成り立つお話である。実は、私と同い歳なのだが、とっても羨ましい。自分もこっぴどくフラれてみたいと思う。第1話がとりわけ胸に沁みた。荒川の土手を歩く草刈民代が大輪の花のごとく華やかで、「親友の未亡人」が再び恋をする状況に相応しい色気を発している。「卓ちゃん、もういいよね、だれかを好きになっても」ですって。どうしましょう。オチはお楽しみだが、爆笑しました。いいな、河川敷の草野球。テレビ東京流の下町散歩もたのしい。
 簡素な舞台で、俳優たちがリラックスしているのがいい。小栗旬が作務衣を着て蕎麦屋の主人を殊勝に演じ、年上に恋愛指南とかしていて好感度大だし、何より高畑充希が魅力的だ。高畑は『いつかこの恋~』でも重要な役柄なのだが、坂元ドラマでは2回続けて虚言癖に近い二面性を持つ厄介な女の役で、不倫していたりするので、なかなか素直に鑑賞できない。でも、『東京センチメンタル』ではアルバイトの看板娘役だから、お荷物は少ない。表情がくるくる変わり、感情の引き出しが豊富で、動きも機敏、いかにも勘が良さそう。俳優としてのポテンシャルの高さは歴然としている。なるほど、難しい役に挑戦させたくなるのもよくわかる。
 ドラマだから余裕で笑っていられるが、人間、いつどこで恋にトチ狂うか、分かったものではない。ロマンティクな衝動が「底」に燃えている状態から逃れられないとするならば、吉田鋼太郎の存在感や演技から学ぶべきことは多い、かな。もう面倒臭いや。

ドラマ24『東京センチメンタル』テレビ東京系 金曜深夜0時12分放送~ほか   (C) テレビ東京


 去年から、ずっと江藤淳について考えている。あの死と柄谷行人が宣告した「日本近代文学の終わり」の時期はぴったり重なる。あくまで「日本近代文学」であることが肝心で、今後も小説や文学は続いてゆくはずだが、それはかつてと同じものではないだろう。なぜなのか、その理由について、今のところ江藤の『閉ざされた言語空間』の記述以外、納得できる解答は見当たらない。もちろん、日本国憲法が元凶なのか、すべてはGHQのプログラムなのか、正直言って、論の帰結には戸惑うばかりである。しかし、日本という国がどこかで無意識の「検閲」に縛られているのは確かだろう。私は、「検閲」済の社会しか知らない。しかし今、全世界に「閉ざされた言語空間」が広がりつつあり、底なしの虚構に塗れて生きている。事実を遮るタブーだらけの世の中で、「検閲」の束縛が不意に解かれ、「底」が出現する瞬間が訪れるのは、制約の中でも24時間何かを映し続けているテレビ画面しかないはず。と、江藤さんに訴えてみても、まったく取り合ってもらえないだろうけれど、とりあえず私はそう信じている。まるで「事故」のごとくに。

故・江藤淳氏のお墓(撮影:風元正)




風元正(かぜもと・ただし)
1961年川西市生まれ。早稲田大学文学部日本史学科卒。週刊、月刊、単行本など、活字仕事全般の周辺に携わり現在に至る。ありがちな中央線沿線居住者。吉本隆明の流儀に従い、家ではTVつけっぱなし生活を30年間続けている。土日はグリーンチャンネル視聴。