今週の映画川は、映画批評家の大寺眞輔さんが『No Home Movie』(シャンタル・アケルマン監督)について書いてくれました。2月11日に第8回恵比寿映像祭で日本初上映されたこの作品は、昨年発表されたアケルマン監督の最新作にして遺作となってしまったドキュメンタリー映画です。自身の母親を被写体とし、一方で"No Home Movie”と題された本作において、その主題はどのように描かれているのでしょうか。


シャンタル・アケルマン《No Home Movie》2015  Photo ©:Doc & Film International



寄り添う亡霊


文=大寺眞輔


 昨年10月5日に急逝したシャンタル・アケルマン(#1)の遺作『No Home Movie』は、荒野の映像と共に始まる。激しい風が吹き荒び、手前にはその風に抗うように一本の木が立っている。遠くでは、時折数台の車が画面の隅を横切っていく。これがイスラエルの映像であることは、アケルマン自らインタヴューで明かしているが、同時にそれはどんな荒野でもあり得るとも彼女は述べている。イスラエルの風景が選ばれたのは、この作品が一義的にはホロコーストを生き延びたシャンタルの母親ナタリアをポートレイトしたドキュメンタリーであるからだ。ポーランド出身のユダヤ人である彼女は、15歳でアウシュビッツに送られた後、本来の家を持たないディアスポラとして戦後のベルギーで暮らしてきた。しかし、自らのホロコースト体験について、ナタリアがアケルマンに話したことは一度もないと言う。「母は強制収容所に送られた。でも、彼女はそれについて話さない。だから私が彼女の代わりに話さなくちゃいけなくなったの。だけど、それはとってもクレイジーなことよ。だって、誰かの代わりにその体験を話すことなんて不可能だから。こうして私は彼女の人生に取り憑かれることになった。彼女が収容所に送られたこと、そしてそこから逃れた後、自分が暮らす家をまるで自ら作り上げた牢獄のようにしてしまったこと。それが『ジャンヌ・ディエルマン』になったの」(#2)

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