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2016年04月号 vol.2

ヴィヴィアン佐藤×篠崎誠 『ラジウム・シティ』トークイベント 中編

2016年04月15日 21:30 by boid
2016年04月15日 21:30 by boid
『ラジウム・シティ』上映時に行われたヴィヴィアン佐藤さんと篠崎誠さんのトークの模様を3ページにわたって載録しています。中編では、ヴィヴィアンさんが青森県七戸町で行われた様々なワークショップのお話を受けて、過去と未来と現在の共存、その土地固有の時間や空間をいかに記録して残していくかといった問題が語られていきます。
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『ラジウム・シティ』



時間と空間の自分地図を作る

松村
 ワークショップではどんなことをやったんですか?

ヴィヴィアン もともと最初にオファーが来たときは、半日から1日のドラキュラのイベントを商店街でやってほしいと言われたのです。でも、たった1日のイベントで成功か失敗かとはどういう意味を持つのか。それがこの町で果たして一番必要なことなのかという気持ちがありました。
 七戸は原発も近いし、シャッター商店街どころか更地商店街です。それから、皆様もなんとなく聞いたことあるかもしれないのですが、青森県は全国的に自殺者が多い県と知られております。統計の方法にもよりますが、町民の意識としても結構多いのではないかという認識です。商店街には老舗の酒蔵とか醤油蔵もありましたけれど、そういったところが全部閉じてしまっています。このあたりは大変デリケートな話になりますが、そのご主人たちが亡くなってるわけです。自ら命を絶ってしまわれる方も少なくはありません。理由を聞くと、全員ではないと思いますが、保険金や借金を返すために間違ったことをしてしまう。そうすれば遺された家族たちにも心の傷が残るだろうし、どうしようもなく辛い状況が現実的にあるのです。
 ですから、「過去」にその土地に住んでいた人たちやその歴史がもう終わって過ぎ去ってしまったものではなく、何度でも救済してあげられる、生き返らせてあげられるし、「現在」と共存しているのではないか。また、「未来」はこれから起きて、今はまだ目に見えないのではなく、「未来」のこれから生まれてくる人たちから私たちがすでに影響を受けているのではないか。「過去」がもう終わってしまったもので、「未来」がこれから来るものという考え方だけではなく、「過去」も「未来」も「現在」に含まれている、共存しているのではないか。そういうことも思わせるようなワークショップを企画しました。
 空間と時間ということに関して、まず〈自分地図をつくろう〉ということをしました。どういうものかというと、国土地理院のように均一に作られた地図ではなく、もっと自分自身のオリジナルの、均一ではないもの。まず、自分の住んでいるところと、いま関係している学校であったり職場であったり、自分のよく行く場所を3つ以上選んでもらいます。その空白に自分自身の問題として過去に一体何が起きたかを記入してもらいます。好きな子が住んでたとか、自転車で転んだとか、お化けを見たとか、好きな駄菓子屋があったなどを具体的に書いてもらい、自分だけのオリジナルの地図を作っていこうというワークショップです。

松村 これに参加してるのは子供から大人も?

ヴィヴィアン
 大人もいっぱいいます。例えば、七戸に嫁に来た年配の方は、旦那さんが亡くなっていて、旦那さんと一緒に歩いたところに自分がそこで詠んだ短歌をマッピングしていくということをやっていました。
 地図は空間的なものですが、もうひとつ、時間的なもので〈ここではない「ここ」にいる人へのラブレター〉ということもやりました。例えば、亡くなった自分の家族でもいいし、転校していった仲が良かった友達でもいいし、七戸の中世の城を作った人でもいいし、過去の自分でもいい。そういった人たちに自分の近況報告を書いてもらうという作文です。それから、これから七戸に来る人、未来の自分、未来の自分の子供、小学生が自分の子供や孫に宛てた手紙とか、要するに「過去」も「未来」も共存しているということを意識してもらおうということです。
 たった1日のイベントだったら意味がないのです。何かその場所で、東京一極集中ではない、オリジナルのもの、時間や空間の捉え方があり得るのではないでしょうか。

松村 それも含めて建築という考え方ということですよね。

ヴィヴィアン そうです。そして〈語り手プロジェクト〉というものもやりました。七戸では観音信仰が根付いているのですが、観音信仰が一体いつぐらいから七戸に根付いたのかということを語ってもらうというプロジェクトです。

松村
 やはり高齢者の方が多いんですか?

ヴィヴィアン これはあえて高齢者の方に語ってもらいました。昔、お城の中に小学校がありました。戦争の時にどういった状況だったのか、どういったものが流行っていたかなど、自分の家族や身内にすらいままで語ったことのないことを外部の人間である私がいろいろと聞きだします。例えば方言一つでも、それはどういう意味なのかと丁寧に聞いていく。それによって普段考えもしなかった当たり前のことをそれぞれが自問していくわけです。それらをただ文章化して残すだけではなく、映像でまるごと撮ってしまう。要するに内容も大事なのですけれども、その人の佇まいや、話しかたや癖も全部ひっくるめてファイリングしてしまうというプロジェクトでした。

松村 文字にするとやっぱりちょっと違ってきますか?

ヴィヴィアン 文字もひとつの手段だと思いますが、その人の立ち振る舞いとか、喋り方の癖とか、そういったものこそファイリングしてしまうことの重要性を考えました。


200年後に見る写真

ヴィヴィアン
 もうひとつは、子供に向けてのプロジェクトで〈ダンボールハウス〉です。商店街の小売店を段ボールで作らせたのです。例えば蕎麦屋を作ろうと考えたら、まず蕎麦を作るためのもの、バックヤードであったり、ディスプレイの仕方、販売するためのもの、それから内装といった風に、小売で売るものに対して店のデザインがどんどん決まっていきます。それがどんどん拡張されていって街というものになっていくのではないか。ダイエーやジャスコといった大手スーパーだと、内装はコンパートメント形式になっていて、何を売っても同じ仕切りになります。そうではなく、蕎麦だったらこういう店の構え、和菓子だったらこういう店の構えというのが生まれてくるはずです。そして最終的に子供達にそれを使ったロールプレイをしてもらいます。手作りキッザニアみたいなことをやらせるワークショップです。
 あとは、南部地方には「ぼろ」という文化があって、着物などを、つぎはぎして何十年も着ていくというものです。そこで、まず着なくなったTシャツを解いたり、余っている毛糸でかぎ針をして、七戸のマダムたちに小さなコースターくらいの大きさに織ってもらいます。それをつぎはぎして自転車やマンホール、電柱などを包んでしまうということをやりました。そういう道具を一時期使えなくしてしまうというワークショップです。商店街においては、強くて早くて大きい商業経済が一番だと考えられていたけれど、もっと繊細なものもあり得るのではないか。能率や利益や単に右肩上がりの生産性や成長は男性原理的なものと言われています。それらの象徴を包み込んでしまって、ある種女性原理的に、繭のように、朝顔に釣瓶取られてもらい水のように…なんでも許してしまうということです。
 この5つのワークショップを町の人と一緒にやって、最後には私がカツラを作ったり、私の衣装で子供達をドラァグクイーンみたいにさせて撮影をしました。

篠崎 可愛いですね。場所も光もすごくいい。

ヴィヴィアン 記録写真も街中の有名なところではなくて、住んでる人だったらわかるような一般の方の住宅の壁とか、何気ない河原とかそういったところで撮りました。

松村 これだけのワークショップを何日間で?

ヴィヴィアン 去年は4、5ヶ月くらい。向こうで一軒家を借りて、気合入れてやりました。

松村 住みながらじゃないとこういうことはできないですよね。

ヴィヴィアン 向こうには求められてはいないのですけど(笑)。本当はたった1日のイベントをやってくれればいいのにという感じだったのです。でも、それだけでは自分の中ではやりきれないと思ったので。

松村 反応はどうでしたか?

ヴィヴィアン まあ、町民では理解している人はほとんどいないのかもしれません(笑)。ですが、この子供たちの写真ですが、死活問題でもある急激な人口減少で、ちいさい子供が全然いない。だからこういう写真は本当に喜ばれました。

篠崎 素晴らしいなあ。200年後にこういう催し物をやった記録さえなくなって、この写真を見た人たちが、「この地方にこういう格好した人たちが住んでいたのか」って勘違いしたら楽しいでしょうね(笑)。


その場所に生きている固有のもの

松村
 壮大なプロジェクトだったわけですね。篠崎さんは先ほどヴィヴィアンさんがおっしゃったような、未来とか過去とか、そういうものについてはどうお考えですか?

篠崎 ヴィヴィアンさんのお話は示唆に満ちていて、すごく感動しました。まさに映画もそこを目指すべきだと思います。過去と現在と未来は一方向に流れるのでなく共存している。改めてそれを実感したことがありました。2011年の夏にアジカティカというローマの映画祭から依頼を受けました。イタリア語で「光」を意味するLUCE(ルーチェ)というムッソリーニが作った映画会社があって、1930年代以降世界中にカメラマンを派遣したのです。日本にも派遣され、戦争を挟んで1930年代~60年代に撮影した30時間近い映像があって。それを好きに使って、15分の短編に作り直してほしいという依頼を受けました。
 日本で使用素材を絞り込み、最終的にローマでイタリア人の編集者とやりとりして完成させたのですが、その時、編集しながらずっと思ったのは、「ここに写っている人たちもこの人たちを撮影していた人たちも、もうこの地上にいないんだな」ということでした。もうこの世にいない人たちと今自分は共同作業している。映画にはこういう可能性も残されているのだな、と。あれは得難い経験でした。
 今回の『ラジウム・シティ』の上映もまさにそうだと思うのですが、地理的、時間的な隔たりをこえた、多様なものを肯定する豊かなコミュニケーションがありうる。でも今世間は分かりやすい物語を求めるでしょ? 個別のものが持つ微細な表情、豊かな時間を無視して、何でも単純化して、大きな物語に回収させる。好き、嫌い、共感できる、出来ない。わかる、わからない。そこからひとっ跳びに敵か味方か。善か悪か。間で揺れるなんてことはなくて自分の埒外にあるものを一切否定する。何もかも不寛容。二分化すると物事は流通しやすくなるけど、それに「抵抗する」のが映画なんじゃないか。決して精神論じゃないですよ。生きていく上ですごく大切な、具体的なものです。さきほど見せてもらったヴィヴィアンさんの写真もまさにそう。どこに行って、どの時間帯で撮るか。同じ場所でも、1時間前と1時間後では光も影も全然違う。その瞬間に、その場所でしか撮れない固有のものが絶対に写る。カメラマンの態度も被写体に影響しますしね。そういう一期一会の関係性こそ映画を作る上で一番大切にしたいです。

松村 ここに共通しているのは、その土地の固有性、オリジナル性、そこでしかできないもの、土地固有の時間、空間、歴史というものを掘り起こすというか、気付いてもらいたいということですよね。

篠崎
 その場所に生きている固有のもの。『ラジウム・シティ』を観て、思い出したのは、小川紳介監督のドキュメンタリーです。特に『辺田部落』という映画。政治運動とは本来関係ない、農家の人々、おかみさんたちが魅力的に写されていて。人はすぐイデオロギーでレッテルを貼るけれども、空港建設の反対運動に参加する人たちにも、個人の様々な思い、経験、歴史があります。ともするとそういう固有なものは捨象されてしまうのですが、小川さんの映画は、農民や学生と機動隊が激突して、睨みあうような緊迫する時間ばかりでなく、大文字の物語に回収できない瞬間がある。あるおかみさんが和やかに昔話をしていて、若い頃の夢やあったかも知れないもう一つの可能性を語り出す。その表情を見てるだけで涙が出そうになるんですが、その窓外ではショベルカーが土地を崩している。それを同じフレームの中に写す。そのことでいろんなことが同時に伝わってくるのです。魅力的な人々が暮らしていて、多様な歴史が息づいている村。そこに「この村を壊しに来るか」という字幕が出て映画が終わるんですが、思い出しただけで鳥肌がたつというか涙が出そうになります。『ラジウム~』もそうです。ヴィヴィアンさんがおっしゃったようにここには様々なタイムラグと地理的な隔たりがあります。でも、まさに私たちが今直面していること……いや、今というよりも目前に迫ったそう遠くない未来の日本の姿を重ねずにはいられませんでした。ですから『ラジウム~』の最後で、被爆した母親の娘が語る母親の言葉はあまりにもやるせなかったです…。
 例えば、今も福島で自分の土地を守られている農家の方々がいらっしゃる一方、丹精こめて世話をしてきた土地から離れざるを得なくなった方々もいらっしゃいます。それに対して「サッサと新しいところに住めばいいじゃないか」と言う人たちがいます。とんでもないですよ! 妻の実家が農家なので余計にそう思うかも知れないですが、人間と一緒で、田んぼにも一つ一つ個性があるんです。ここは水はけが悪いとか、ここは乾燥しやすいから水を多めにやらないといけないとか。長い経験の中でそれを肌で掴んでいく。土地を捨てて新しいところに行くということは、全部一からやり直さなきゃならない。

ヴィヴィアン 福島で強制避難させられている農家さんが何代も前からそこの土地を守ってきたのに、自分の代でそれを諦めてしまうというのは無念だと思います。


言葉で語る事によって残っていくということ

篠崎
 先祖代々、積み重ねていきた過去をなかったことにし、同時に未来の可能性も消し去る。これは物凄い暴力です。繰り返しになりますが本当に大切なのは固有なものです。具体的な場所と人との、その一期一会の関係性。映画はそれらを撮る。カメラはあくまで平等なのです。ブラピが演じる架空の人物と八百屋のおじさんを差別しない。実際レンズの前にその人がいたということ。ある出来事、アクションがレンズの前で起こったということを、そのことを何の差別もせずに記録する。
 さきほどヴィヴィアンさんは建築100年とおっしゃいましたけれど、これまで映画も120年のフィルムが残っていて、傷つき、鮮明さを失うことがあっても見ることは出来た。ところが現在デジタルで撮ったものが100年もつかどうかは実はわからない。フィルムと違い、デジタルは0か1、データが取り出せなくなれば、それでおしまいです。
 半永久に美しい映像を残すと謳われたレーザーディスクも保存状態が悪ければ数年でホワイトノイズが出て再生できないですし、再生機器もすでに作られていない。フィルムはコダックでも、富士でも、アグファでも同じカメラで撮影でき、同じ映写機で上映できますが、デジタル機器は、年単位で新しいものに変わるから機材が変わると前の素材じゃ上映も出来ない。いちいち新しいフォーマットに変換しないといけない。かつてのBetaとVHSの争いみたいに資本の論理だけが優先されていく。この10年今までないぐらい根本的に変わって、今後は10年前の映画を見る方が120年前のフィルムより見るのが難しくなっていくのではないでしょうか。

松村 観られなくなったら、歴史上なくなったことになってしまいそうな気がしますね。

篠崎 最終的に言葉の方が残っていくかも知れません。文字に書き残す、言葉で語る事によって映画を伝えていく。本来言葉で語れないからこそ映画を作っているはずですが。でも、言葉も大切なんです。真っ当な批評が必要なんです。そうじゃないと数字(興行成績)だけが全てになってしまいます。
 作ることに関して言うと、ヴィヴィアンさんのように、撮影の始まる数か月にその場所に行って様々なことを見聞きした上で、脚本を直し準備をするのは理想です。撮影前にロケハンして場所を探すのですが、気に入った場所があっても、1度見ておしまいではなく、時間が許せば何日か通って違う状況でその場所を見る。平日と休日だと聞こえる音も違います。近くに幼稚園や小学校があれば、平日は子供たちの声が溢れているし、休みの日は静かでしょう。時間帯によって光の推移も見ます。影がどうできるか。晴れと曇りでは見え方がどう違うか。
 商業映画のロケハンはメインスタッフしか行かないんですが、本当は俳優も連れていきたい。主人公の暮らす家の近所って設定なら俳優も知っているべきじゃないですか? そこで撮影前にリハーサルまで出来れば言うことないですが、何もしないで、ただそこの空気を感じて帰ってくるだけでいい。
 以前、初めてテレビドラマを撮った時、ロケハンに出演者も連れていきました。近所の川原を一緒に缶ビール飲みながら歩いて、主人公が住んでいる設定で借りた部屋のバルコニーから川原を見下ろしながら雑談して。そういう時間がすごく大事なんです。カメラが回る瞬間だけでなく、そこに向かっていく時間。

ヴィヴィアン 土地と慣れるということですよね。幅を整えていく。

篠崎
 そうなんです。時間さえかければ出来ることなんです。



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