「大音海の岸辺」第27回はプリンスの追悼企画をおおくりしています。後編ではプリンス&ザ・ニュー・パワー・ジェネレーション名義で発表された『ダイアモンズ・アンド・パールズ』『ラヴ・シンボル』、一度は発売中止になった『ブラック・アルバム』、3枚組の大作『イマンシペイション』のレビューを掲載。そして湯浅さんが今回新たに書き下ろしてくれた解説では、プリンスが湯浅さんにとってどんな存在だったか、何を教えてくれたのかが語られています。

『ダイアモンズ・アンド・パールズ』



文=湯浅学


プリンス&ザ・ニュー・パワー・ジェネレーション『ダイアモンズ・アンド・パールズ』

 高揚感というものがなかなか得られずに首をひねりつつ何度も聴いた。そんなはずはない、と思う一方でやっぱり、という思いもないわけではなかった。『グラフィティ・ブリッジ』のあのいまわしいインナー・トリップぶりで見切りつけるべきだったんじゃないか、とさえ思ったのだ。これぐらいのアルバム、作って当たり前なんじゃなかったっけ? それが正直な第一印象であった。
 まるで"スターズ・オン・プリンス”。それもプリンス自身の手による。自分で自分のカヴァー/替え歌/パクリ/再構成、ずいぶんあります。この曲はあの曲のここんとこ、ぐらいならまだしも曲のイメージがそっくり踏襲されているものがなんだか1曲おきに出てくるように思えたりして。自分で自分を再構成するのがよくない、といっているのではない。パターンにはまり切ってそれで押し通す頑固さならむしろ強く支持する。故林家三平、柳亭痴楽、どちらも俺の人生において大きな影響力を持つ人である。これまでにもプリンスは、いやプリンスにかぎりはしない、年数を重ねれば重ねるほど、一般的・最大公約数的嗜好傾向をあえて放棄してきた創作者だとて何らかのかたちで自分で自分のカヴァー・ヴァージョンになることによって生きのび・失地を回復し・ジレンマを克服してきた。自分で自分のカンフル剤となり脳内麻薬を醸成してなんとかやっていく。

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