今回の映画川は9月30日公開の『高慢と偏見とゾンビ』(バー・スティアーズ監督)を取り上げます。そのタイトル通り、ジェイン・オースティンの『高慢と偏見』の小説世界にゾンビを登場させたセス・グレアム=スミスの同名小説を原作とするこの作品。エリザベスとダーシーのすれ違いの恋にゾンビとの闘いが絡んでくるわけですが、ここでは鍵和田啓介さんが「人間はなぜゾンビを殺していいのか?」という根本的な問いを出発点にこの映画を見ていきます。




文=鍵和田啓介


 ゾンビ映画において、人間はゾンビを殺していいことになっている。ゾンビ映画とひと口にいっても多岐に渡るものの、おそらくこのルールだけは共通している。  なぜか? なぜ殺していいのか? 人間とゾンビでは"意思疎通できない”からだ、とひとまず言えるだろう。"意思疎通できない”から、交渉の余地なく襲ってくるから、殺していいのだ、と。だから、さっきまで手を取り合っていた仲間ですらもゾンビ化するや否や殺してしまうし、ゾンビ化することが決定した人間にしても「自分がゾンビになったら殺してくれ」と尊厳死を乞う。このルールを念頭に置きつつ、『高慢と偏見とゾンビ』を見てみよう。

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