今回の映画川は9月17日(土)&10月8、9日(土、日)に開催される上映イベント《青春映画学園祭》について取り上げます。日本未公開の海外の青春映画&学園映画計7本が上映されるこのイベントは、いつもboidマガジンで映画川を執筆してくれているライターの降矢聡さんが運営する未公開映画紹介サイトGUCCHI'S FREE SCHOOLの主催で行われます。そこでここでは降矢さんに同イベントの見どころとともに、"青春映画”を見る愉しみについて書いてもらいました。
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『ティーンエイジ』



文=降矢聡


 今年の9月と10月、東京・渋谷の映画館(渋谷TOEIとユーロライブ)で、《青春映画学園祭》という日本未公開の青春/学園映画を集めて上映するイベントを開催することになった。上映作品は、『スラッカー』、『タナーホール』、『ハイスクール マリファナ大作戦』、『ビヨンド・クルーレス』、『ティーンエイジ』、『シスターフッド・オブ・ナイト 夜の姉妹団』、そして+αの全7作品だ(+αに関しては権利上の問題で今のところ名前は伏せてさていただいています)。
 こうして映画のタイトルだけ羅列しても未公開ということもあり、なんだかよくわからないものも多いと思う。そこで、主催者側の人間が書いてしまうのもどうかと思う気持ちもあるのが正直なところだけれど、せっかくの機会なので少し書かせてもらいたい。
 青春映画といってもその中身は多様だ。その多様さのなかには、コメディもあればホラー、サスペンスといったジャンル面もあるし、描かれるものが恋愛なのか、友情なのか、それとも成長なのかというストーリーやテーマの面もある。そして若者とそのカルチャーが多くの場合描かれるという点で、俳優やそのとき、その時代のドキュメントという側面もあるだろう。上映作品を例にとれば、マリファナ入りブラウニーを学校中にバラまくという、ティーンだけの特権と言わんばかりの途方もない大胆不敵さを描く『ハイスクール マリファナ大作戦』というコメディ映画がある。あるいは、今やハリウッドを代表する女優であるルーニー・マーラとブリー・ラーソンが、それほど有名ではなかったころに共演した『タナーホール』。そして、『ムーンライズ・キングダム』でスージー・ビショップ(終始ムスっとした顔をしているあの女の子だ)を演じたカーラ・ヘイワードや、『ヴィジット』で姉ベッカを演じたオリヴィア・デヨングなどの若手女優が主要キャストを務める『シスターフッド・オブ・ナイト 夜の姉妹団』は、なによりも女優の映画であるし、それこそリチャード・リンクレイター監督の初期の代表作『スラッカー』は、当時(1991年)のオースティンに住む若者たちをユニークかつ不敵に活写(ドキュメント)している。
 ただ、青春映画のこういった多様さは、あまりにも雑然としていて、もはやほとんど意味をなさいのではないかとも思う。どうにも系統立てて考えようとすれば考えるほど、結局はほとんど、ティーン、あるいは若者たちが主役というような、あまりにも表面的な意味しか持たないようにも感じられるのだ。しかし、やはり青春映画には青春映画にしかない特別な空気のようなものがあることもまた確かなはずだ、と僕は思っている。そして、それは青春映画を見ることでしか味わえない、吸うことの出来ない空気だ。
 青春映画の彼ら彼女らには、みなの世界とは違う、もう一つの別の世界がある。そしてそれは彼/彼女だけの特別な世界であり、私の世界とも違うなにかだ。ずばり言ってしまえば、青春映画とは、それぞれ一人一人が持つ固有で特別な世界のなかで呼吸する映画である、というのが僕の(ひとまずの)結論だ。

『ハイスクール マリファナ大作戦』


 『ハイスクール マリファナ大作戦』はマリファナを吸うことで味わえる"自由の空気”を原動力に、みなの世界(学園)、さらに言えば、卒業後に待ち受ける社会を息切れ寸前で走り抜く映画だ。あるいは『タナーホール』は、みなの世界(女子寮)の中で息苦しさを感じて、カレと私の世界(それを繋ぐのはレコードである)を思う存分呼吸したいと願う少女の話である。『シスターフッド・オブ・ナイト 夜の姉妹団』では、静寂が包む深夜の森で、彼女たち(夜の姉妹団)は、ここだけが自分の居場所だと深く深く呼吸する。ティーンエイジャーという概念がどのようにして生まれたのかを探るドキュメンタリー映画『ティーンエイジ』の若者たちは、戦争という時代の空気に翻弄され、抑圧される。そうして押しつぶされ、膨れ上がった彼ら、彼女らの世界の空気が暴発したとき、それは社会(みなの世界)にとっての新風となり、その風にのって若者たちは踊りだし、歌い出すだろう。
 ほかにも様々な青春映画を思い起こせば、そこには、その青春映画にしかない空気が満ち満ちていないだろうか。そしてやはり、それはどこまでも個人的でヒミツの彼ら/彼女らの世界のものだ。僕はマリファナを吸ったこともなければ、女子寮生活もしたことがないし、戦争だって知らない。しかし、私も、彼ら彼女らとは違う特別でヒミツの世界を持っている。あるいは、人生のほんのひと時持っていた(そのほんのひと時のことをきっと青春と呼ぶのかもしれない)。その一点で、私と、彼/彼女の世界とリンクしている。だから(たとえマリファナを吸ったことがなくても)彼/彼女たちの息づかいが、私の世界とどこかで響きあうとき、懐かしかったり、甘酸っぱかったり、憧れたり、苦々しかったり、恥ずかしかったり、胸を締めつけるほど、どうしようもなくパーソナルでヒミツの味がする。そう、青春映画の息づかいに響きあったが最後、もうどうしようもないのだ。

『シスターフッド・オブ・ナイト 夜の姉妹団』


 それでは、この青春映画の味わいは、結局は個人的なものにとどまり続けるのだろうか。というのがわざわざ上映会まで開こうという者にとっては問題だ。それは青春映画をわざわざ皆で見る(そして語り合う)とはどういうことなのか、と言い換えてもいい。

 ティーンムービーがもつ最大のトリックは、再見に値しない映画だと装っていることだ。誕生から50年以上経ち、低俗な添え物からハリウッドを代表するジャンルへと成長したにもかかわらず、ティーンムービーは興味深いことに未だ綿密な検証がなされていない現象に留まっている。


 この言葉は、映画『クルーレス』が公開された1995年から2004年『ミーン・ガールズ』までのティーン映画を収集、分析した『ビヨンド・クルーレス』に寄せられた言葉の抜粋だ。日本未公開の青春映画を集めて特集上映する《青春映画学園祭》を企画したのは、ここで言われている「ティーンムービーがもつ最大のトリック」そのものと、そのトリックによって引き起こされている現象にどうしようもないほど魅力を感じたからなのかもしれない、と改めて思った。
 ここで言われるティーンムービーのトリックは、先ほど書いたパーソナルなどうしようもなさ、にどこかで関係しているのではないだろうか。「再見に値しない映画」であるティーンムービーは多くの場合、どこか軽薄だったり、不真面目だったり、子供じみているものと思われている。そしてそれは、僕たち自身が、どこかで軽薄で子供じみている(世界を持っている)の同じだ。

『ビヨンド・クルーレス』


 実を言えば、今年の1月、第73回ゴールデングローブ主演女優賞をブリー・ラーソンが受賞した。そのとき「ブリー・ラーソンが売れそうなので『タナーホール』やっちゃおうかな」とふと思ったのだった。『タナーホール』は、ルーニー・マーラやブリー・ラーソンが主要キャストを務める女子寮モノの青春映画だ。だから一緒に学園モノを上映すれば何かしらイベント感が出るのでは、というほとんど考えてないに等しい考えでもって《青春映画学園祭》の上映作品の骨格は決まった。
 ただ、やはり改めて、というか、より正直にブリー・ラーソンが受賞した際のことを思い起こすと、そこには「"ついに”ブリー・ラーソンが〜」というものがあっただろうと思う。ブリー・ラーソンは『13ラブ30 サーティン・ラブ・サーティ』や『スリープオーバー』というティーンムービーに出演したのが劇場用映画の最初だ。その頃彼女はまだほとんど無名に近かった。そして『タナーホール』も彼女が有名になる前の映画といっていいだろう。そんなブリー・ラーソンが"ついに”ゴールデングローブ賞というわけだ(そのあとアカデミー賞も獲った)。
 この"ついに”には、僕は彼女を最初期から知っているという、しょうもない驕りがある。ティーンムービー、あるいは青春映画はその性質上、まだまだ無名の俳優たちが多く起用されるので、こういうことは往々にして起こるわけだが、「再見に値しない映画」にもかかわらず僕は知っているというこの感覚。本当にちっぽけで、ただ知っているというだけなのだが、ちょっと得意になったり自慢になったりするアレだ。
 得意になって自慢するアレはきっと多くの場合マイナスなのだろう。それは知らない人に対して抑圧的に働いたり、とても閉鎖的なサークルを形成することになりえる部分が必ずあるから。ただティーンムービーにかぎっては、どうやらまるで事情が違うらしい、と僕は感じている。なぜそう感じるのかは、うまく言えないのだけど、そこにはティーンムービーのあのトリックが関係しているはずだ、というのが僕の見立てである。

『タナ―ホール』


 実際に、イベントの準備中に(いま現在も)、多くの人にお世話になっているが、そこで出会った人たちは皆、ヘンなところにやたら詳しい(別に誇示しようと思って話している人はいないと思うけど)。そして「なぜ、あんな映画をそこまで熱を込めて話せるんだ!」と思わず笑わずにはいられないほど面白く、そういう語りを聞くのはとても楽しい。「よりによってその映画かよ!」とツッコまずにはいられないこともしばしばだ。例えば(青春っぽく言えば)、修学旅行の夜に好きな子について語り合うあの感じのような。笑ってツッコミを入れつつも、本当のところ、みんなそれは素晴しいことだ、とどこかで感じている。「実は俺もね……」とどこかで思っている。いや、違うか。そもそも僕にそんな夜の経験はあったのか甚だ疑問だ。とても遺憾である。ただ、なにか似たような匂いがするのだ……。
 「ヘンなところ、あんな映画、よりによって」、と思わず笑ってしまうのは、やはり僕自身がティーンムービーは「再見に値しない映画」だとどこかで思わされているからだろう。つまり、そんな個人的な、独りよがりなものが一体なにになるのだと。そう、つまり前に書いた問題。これらは、単なるパーソナルなものにとどまり続けてしまうのではないか、ということだ。しかもそれは多くの場合、軽薄で取るに足らない(再見に値しない、わざわざ語り合う価値もない)ものなのだ。しかし同時にその裏側に(トリックの向こうに?)とても豊かなものがあると思っている。もっといえば軽薄だからこそ、その裏側にある特別な息づかいと秘かに響きあうことができるのだ。
 きっと誰もが「再見に値しない映画だと装っている」トリックに気付いている。そしてそのトリックに一方で騙されることに不思議な魅力を感じている。僕たちは結局のところ、そのトリックまるごとどうしようもなく好きなのだ。
 しかし、そういう語り合いは、所詮は単なる趣味趣向(パーソナルな事柄)を披露し合っているだけなのかもしれず、どれほどの意味があるのかは、まだまだわからない。ただ、とりあえず僕にとっては、上映会を通してそういう場が形成されていけば、それはとても風通しがよく、気持ちのよい、なんだか良い雰囲気の新しい光景だ。僕は、ちょっと得意になって語るアレが、そして極めてパーソナルな語りが、上映後に色んなところでされるのを夢見ている。そうして様々な人たちのそれぞれの世界の息づかいが、まったく異なっているはずの自分だけの世界に、まるで奇跡のように響いて「実は俺もね……」と伝達していけば、それはとても狭く閉じたものでありながら、同時に普遍的なものとなるはすだ。と、なんだか大袈裟なことを書いてしまったが、上映イベントがまったく盛り上がらなかったら悲惨だ。ぜひとも皆様、足をお運びください。よろしくお願い致します。

『スラッカー』



【青春映画学園祭 前夜祭】

日時:9月17日(土)21時~(開場20時45分)
会場:渋谷TOEI2
上映作品:『スラッカー』(リチャード・リンクレイター監督)

【青春映画学園祭】
日程:10月8日(土)、9日(日)
会場:ユーロライブ
上映作品&上映時間:
8日11時~ 『タナ―ホール』(フランチェスカ・グレゴリーニ&タチアナ・フォン・ファステンバーグ監督)
8日13時10分~ 『ハイスクール マリファナ大作戦』(ジョン・スタルバーグJr.監督)
8日15時20分~ 『ビヨンド・クルーレス』(チャーリー・ライン監督)
※同作上映後に山崎まどかさん、長谷川町蔵さんによるトークショーあり
9日11時~ 『ティーンエイジ』(マット・ウルフ監督)
9日12時50分~ 『シスターフッド・オブ・ナイト 夜の姉妹団』(キャリン・ウェクター監督)
※同作上映後に柴田元幸さんの朗読会&トークショーあり
9日16時5分~ 特別上映

★会場では学園祭パンフレットや上映作品にちなんで制作されたオリジナルグッズの販売も。
主催:GUCCHI'S FREE SCHOOL





降矢聡(ふるや・さとし)
映画ライター、シナリオライター。未公開映画紹介サイトGUCCHI'S FREE SCHOOL共同運営。