世界中のアニメーションの評論や上映活動を精力的に行なっている土居伸彰さんの連載「Animation Unrelated」第34回です。今回取り上げるのは日本と東南アジアのアニメーション作家たちの交流プロジェクト「ANIME-ASEAN」のこと。インディペンデント・アニメーションの歴史がほとんど存在しない東南アジアの作家たち、その作品との出会いから、偶然のようで、必然でもあるような、きっかけや出会いによって作られてきたアニメーションの歴史に思いを馳せます。

ANIME-ASEANシンガポールツアーでのディスカッション。
左からタン・ウェイ・キョン、土居伸彰、平岡政展、川口恵里、池亜佐美、ヘンリー&ハリー・チュワン



偶然のような、必然のような


文=土居伸彰


 1950年代の日本。戦争が終わって、アニメーションといえばディズニー一辺倒(戦時中には入ってこなかったディズニー黄金期の作品が一気に見れるようになったのだ)だった時代、久里洋二は長編映画の前座でノーマン・マクラレンの実験短編アニメーション作品を観て、アニメーションは一人ででも作れるのだということに気がついた。彼は柳原洋平、真鍋博という二人の友人とともに「アニメーション三人の会」を結成し、当時前衛芸術のメッカだった草月会館で自作の短編アニメーションの上映会を始めた。その活動によって、イラストレーターやデザイナーといった個人でグラフィックにかかわる実践をしていた人々は触発され、自分たちもアニメーションを作りはじめた。日本のインディペンデント・アニメーションの歴史はここから始まった。(そもそも、アニメーションという言葉自体を広めたのも実はアニメーション三人の会の面々だったり……)

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