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2016年10月号 vol.3

映画川 『カレーライスを一から作る』 (三浦哲哉)

2016年10月21日 13:35 by boid
2016年10月21日 13:35 by boid
今回の映画川は、映画批評家の三浦哲哉さんが、11月19日(土)公開のドキュメンタリー映画『カレーライスを一から作る』(前田亜紀監督)を紹介してくれます。そのタイトル通り、武蔵野美術大学の関野吉晴教授のゼミで行われたカレーライスを作るためにその材料や皿を一から作る/育てるという講義・実習の過程を9ヶ月にわたって記録した作品です。自身も大学で教鞭をとる三浦さんはこの映画をどのようにとらえられたのでしょうか。
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文=三浦哲哉


 シンプルだけどやっぱり面白かった。
 カレーを一から作る。米も野菜も、ターメリックや唐辛子といった香辛料も畑で栽培し、それから鳥肉も、雛から飼育して屠り、陶器の皿まで自作し、最後に食べる。
 どんな展開になるか、なんとなく先が読めてしまうと思われるだろうか。たしかに「生き物の命をいただくことの大切さを学びました」というような結論を想像するのはたやすいし、事実、大筋においてそこから大きく外れるわけではない。しかし、そんなふうに漠然と想像するのと、実際にやるのとでは大違いなのである。ほとんどの人間はそれを思い描くだけで満足するが、本当にごく少数は、実行する。さて、その結果、何が起こるだろうか。実行することまではできなくとも、映画館でその成り行きに立ち合うことはできる。
 はじめに大学の講堂に集まる受講生たち。その烏合の衆っぷりがすばらしい。二十歳前後の若者たちにとっては何もかもがはじめてなのだから当然だが、その反応は率直で、些細なことにいちいち驚嘆する。畑で種を蒔こうと思うと風でばらばらに飛んでいってしまう。幼い鳥を見に行くと、「本当に殺せるかなあ?」と不安の声をあげる。私でもまったく同じリアクションをすることだろう。浮足立ちまくっているのだ。しかし、美大生らしさというべきなのか、不敵な覚悟のような感じが誰の目にも宿っている。すこしジミヘンみたいな風貌の男子も約一名いる。手作業にかんしては、ほとんどの学生が物怖じせず、呑み込みはすこぶる早いように見える。
 この初々しい受講者たちの姿に、わくわくするような既視感を覚えた。どこかでこれを見たことがある。そう、戦争映画の新兵たちの描写と、とても似ているのだ。非日常空間でさまざまな試練を乗り越えて、やがていい面構えになっていく新兵たち。そのプロセスこそが、こうしたジャンル映画のもっとも感動的な部分であるわけだが、同じことをカレーでやろうしているのがこの作品なのだろう、と思われた(もう日常に戻れないかもしれない、という一抹の哀しみもそこには含まれる)。
 いや、そもそも戦争映画などを、語弊を承知で引き合いに出したくなってしまったのは、彼らとの対比でよりいっそう際立つ、教師・関野吉晴さんの居ずまいの底知れぬ迫力ゆえのことだ。いつもおだやかな笑みをたたえて、たいていは後ろで見守っているだけなのだが、注意深くそこで起きている出来事を観察するその目の奥だけは笑っていない。無駄なことを一切しない、言わない、その一挙手一投足からは歴戦のつわものぶりがひしひしと伝わってきて、この方になめたまねをしては決していけない、ということが皮膚感覚で理解できる(劇映画ならば、無鉄砲な若者が歯向かう場面が一つ設けられるところだろう)。「生き延びる」技術を教えているのだと関野さんは言う。そのような瞬間、『最前線物語』でリー・マーヴィンが扮した軍曹たちの姿がふと脳裏をよぎるのだ。



 関野吉晴さんとは何者か。アフリカ大陸で誕生しやがて世界へ拡散していった人類の足跡「グレート・ジャーニー」を、人力のみで辿り直す冒険でとりわけ知られる探検家、文化人類学者である。医師免許を持ち、現地での医療活動に従事しながら、世界中の民族や部族の人々と生活を共にし、その豊かな知恵と生活技術を紹介する著作を多数ものしている。この映画のなかでも、過去の冒険のハイライト映像が紹介されるが、これ以上の罰ゲームが想像できない……というような無茶な姿に圧倒される。
 経験値においてとてつもなく開きのある関野さんと学生たちのやり取りがすこぶる面白い。「ダチョウを飼って、最後はどうするんですか?」。「もちろん、誰かがダチョウの首を切ります」。静かに、きっぱりすべてを断言する関野さんの言葉に場はシーンと静まり返り、ときおり苦笑が漏れる。だが、こうして学生たちがたびたび漏らす苦笑には、いつも嬉しそうな響きがまじっている。未体験の領域へ足を踏み入れるべく学生たちの背中をそっと押す関野さんと、押される学生たちの間に、だんだんと共犯関係のようなものが築かれていく気配が伝わってくる。……彼らはまともに就職するだろうか。まあ、私が心配することではない。
 本作は6章に分けて構成されている。穀物や野菜の栽培、屠殺の特別講義、天然海塩の製造、などがつぶさに記録される。いわゆる「食育」のレッスンとしても興味深く、これまでわからなかった知識が得られてうれしいのだが、全体の雰囲気には少し重たいものが混じっている。飼育し、徐々に愛着がわいてきてしまった鳥たちの屠殺が待っているからだ。ダチョウは途中で死滅してしまったが、代わりに購入し育てたホロホロ鳥などを、自分たちの手で屠らなければならない。



 こうして、クライマックスの第6章「食べる」が始まる。大学構内の一角に作業台とまな板が用意され、日が落ちかけた薄明の時間帯に受講生たちが集まり、これから食べる鳥たちを運び込む。思わず息を呑むのは、彼らの足下と背景を一面の雪が覆っていることだ。プロジェクト開始から九ヶ月。季節は冬になっていた。
 作り手たちが、映画になる、という確信を持つにいたる決定打となったのは、この雪ではないだろうか。もちろん偶然だろうが(雪に合わせて撮影することはスケジュール上できないだろう)、未経験者たちによる屠殺という行為がまさになされようとするとき、その非日常の感覚を増幅させる格好の舞台装置が雪の白だった。
 まな板を囲んで輪になる受講生たちはそれぞれ緊張と戸惑いの様子を浮かべている。その様子をじっと見守っていた関野さんは、おもむろに、「鳥の首を切れるひといますか?」と呼びかける。「……」。ふたたび絶句する受講生たち。だが顔は前向きで、歩を前に進めるものも数名いる。しかし自分からやりますと言いいそうなものはいない。すると関野さんは一頭の鳥をやさしく抱きかかえ、まな板のそばへと運ぶ。そしておおむろに、その首を360℃、一息にぎゅーっと捻るのであった。つぎに包丁でその首を切断する。切断された胴体はその後もまだ激しく動いている。慣れた所作で逆さにして血液をビニール袋に出す。「こういうものなのだ」ということが身をもって示されると、受講生たちはその後につづく。そこからの作業はむしろ淡々としたものとなった。雪の白を背景に、鮮血の赤だけが、異様な印象を放っている。



 最後の場面は実食である。さて、その味やいかに。受講生たちのそれぞれ味わい深いコメントはぜひ本作を実際に見て確かめていただきたい。劇場はポレポレ東中野。見たあとに食べるごはんは、カレー一択ということになるだろうか。東中野には南インドカレーの店「カレー・リーフ」がある。その味わいは、いつもと一変しているかもしれない。
 本作を見終えて、誰もがシリーズ化を期待するのではないだろうか。「カレーライス」以外に何があるだろう。「カニクリームコロッケを一から作る」などはどうか。油を絞ったり、カニを獲ったり、牛乳を搾ったり、パン粉もほんとに一から作る。そこでいったいどんなプロセスが必要となるのか、前もって想像しきれるものではない。まさにカレー然りだが、本当に知らないことばかりだ。


カレーライスを一から作る
2016年 / 日本 / 96分 / 製作・配給:ネツゲン / 監督:前田亜紀 / 出演:関野吉晴、武蔵野美術大学 関野ゼミ生
11月19日(土)からポレポレ東中野ほか順次全国公開
公式サイト




三浦哲哉(みうら・てつや)
映画批評家。青山学院大学文学部准教授。Image.Fukushima実行委員会代表。主な著書に『サスペンス映画史』(みすず書房)、『映画とは何か: フランス映画思想史』(筑摩選書)、訳書に『ジム・ジャームッシュ・インタビューズ』(東邦出版)。10月から月刊「みすず」(みすず書房)で「食べたくなる本」を連載開始。

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