11月5日から公開の『ジュリエッタ』(ペドロ・アルモドバル監督)と12日公開の『誰のせいでもない』(ヴィム・ヴェンダース監督)。相次いでの日本公開となったスペインとドイツを代表する同世代の映画作家の新作について、映画評論家の川口敦子さんが、物語の作法と深く関わる"大きな”音楽の使われ方に着目して書いてくれました。まずはその考察の起点となった『ダゲレオタイプの女』(黒沢清監督)における音楽のことから――

『誰のせいでもない』



文=川口敦子


 「単に感情を説明するだけじゃなくて、ある種の予感に満ちた音楽で素晴らしかった」――と、これは『ダゲレオタイプの女』公開に合わせ雑誌「文学界」16年11月号に掲載された黒沢清監督へのインタヴューでグレゴワール・エッツェルの素敵にヒッチコックな音楽を評した聞き手篠崎誠監督のコメントだが、このところいくつかの新作で漠然と気になっていた音楽の使用法にも通じる指摘に背中を押され、映画の今の小さな傾向らしきものに目をとめ、少しだけ考えてみたいと思った。

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