世界中のアニメーションの評論や上映活動を精力的に行なっている土居伸彰さんの連載「Animation Unrelated」第36回をおおくりします。12月に土居さんの初の単著『個人的なハーモニー ノルシュテインと現代アニメーション論』(フィルムアート社)が出版されます。今回は、ユーリー・ノルシュテインの『話の話』をはじめとする数々のアニメーション作品をもとに、新たな「アニメーション」の輪郭とその歴史を浮き彫りにする同書の一部を特別に先行公開! 以前、本連載で掲載したボブ・サビストンさんのインタヴュー(第3回第4回参照)でも話題となったロトスコープについて、リチャード・リンクレイター監督の『ウェイキング・ライフ』を中心に論じられた箇所を掲載します(一部省略あり)。

『個人的なハーモニー ノルシュテインと現代アニメーション論』(フィルムアート社)書影




デジタル・ロトスコーピングと不安定な現実
(『個人的なハーモニー ノルシュテインと現代アニメーション論』第3章から)


文=土居伸彰


 アメリカの映画監督リチャード・リンクレイター(1960-)は、そのキャリアにおいて、『ウェイキング・ライフ』(2001年)と『スキャナー・ダークリー』(2006年)という2本のアニメーション長編を監督している。この両作品が共通して用いているのが、デジタル・ロトスコーピングという手法である。アニメーション制作のデジタル化が本格的に進みはじめた1990年代、ロトスコープ[著者注:実写をトレースすることでアニメーション映像を作る手法]という技術も「再発見」される。『ウェイキング・ライフ』と『スキャナー・ダークリー』が用いるのは、アニメーション作家のボブ・サビストン(1967-)がデジタル版として再発明したロトショップというソフトウェアである。この2本には、サビストン自身もアニメーション監督として関わっている。(ただし『スキャナー・ダークリー』では途中で降板している。)
 この2本のアニメーション作品に共通するのは、浮遊するような現実感覚である。その感覚は、ロトショップの使用の結果として生まれるビジュアルと、物語自体の両方によって支えられる。ロトスコープ本来のふわふわとする運動性はデジタル版ロトショップで導入された自動中割りの機能によってさらに高められ、現実感覚の失調を扱う両作品の物語をこれ以上なく機能させる。この両作品とも、まず実写によって映画が撮影・編集され、実写映画作品として一旦の完成を迎えたあと、その映画を、トレースしてアニメーション制作にしていくというプロセスを経る。(…)結果として生まれる映像は、元々の実写のリアリティの痕跡を残しながらも、手作業のトレースによってそこから逸脱する。そのハイブリッド性により、実写を観ているようにも感じられるのに、しかし目の前で展開しているのは間違いなくアニメーションであるという「ズレ」の状況が生み出される。そのとき、この手法の本質の部分において、原形質性の種のようなものが埋め込まれることになる。(…)

『ウェイキング・ライフ』予告編


 ロトスコープによってリアリティある動画を作ろうとするとき、その扱いは気をつける必要がある。その用い方によって、作品は奇妙な感覚を与えるようになってしまうからだ。ディズニーは、スタジオ初の長編『白雪姫』制作の際にロトスコープを使用した。白雪姫をはじめとした人間のキャラクターたちには、カートゥーン的なコミカルな動きではなくリアリスティックな動きが要求されたからである。その達成のために、俳優が事前にいくつかのシーンを演じ、その映像をベースにしてアニメーションを作るというロトスコープ的な制作工程が採用されることになる。しかし、ディズニーは決して実写映像をそのままトレースするようなことをしなかった。『生命を吹き込む魔法』(前章で触れたように、ディズニーのアニメーターが同スタジオの方法論を書き記した本である)には、ロトスコープの映像を参考映像として使う場合の注意書きがある。ロトスコープを使う際には、その元になる映像から、アニメーターの適切な選択によって、動きを構成する本質となるようなエッセンスを抽出し、それを誇張することが必要だと書かれている。ロトスコープによって実写映像をそのままなぞると、確かに真に迫った動きにはなるものの、なぜか奇妙な感覚をも与えてしまう。だからアニメーターは、観客が何をもってリアルを感じるのかをきちんと考え、リアリティの感覚を観客に与える要素を選択し、誇張することが必要になってくる。ディズニーのこのやり方は、前章におけるディズニーの達成を考えれば、やはり、その範疇に入るものであることが分かる。やはりここでも、実際にリアルであることよりも、リアルに思えるものの方が選ばれているのである。(…)
 一方で、ロトスコープの発明者のフライシャーは、その装置が必然的に生み出してしまう不気味さにこそ、この技法の活用方法があると考えた。(…)ロトスコープが可能にするのは、真に迫りながらも違和感を与えるような存在、たとえば、「グロテスクなキャラクターを作り出す」ことである。それは「新しい技術に対して観客たちの注意を引く」ことでライバルとの差別化を図るスタジオの方向性とも一致する。ディズニーがロトスコープを「隠す」とすれば、フライシャーはそれをむしろ剥き出しにする。(…)

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