ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーの著書『映画は頭を解放する』(勁草書房)やインタヴュー集『ファスビンダー、ファスビンダーを語る』(2013年に第1巻、2015年に第2・3巻(合本)発行)の訳者・解説者である明石政紀さんが、ファスビンダーの映画作品について考察していく連載「ファスビンダーの映画世界」。今回からファスビンダーが劇団「アンチテアーター」に在籍していた時代に作られた3本のギャング映画『愛は死より冷酷』(1969)、『悪の神々』(1970)、『アメリカの兵隊』(同)を取り上げていきます。まずは処女長編でもある『愛は死より冷酷』から――
文=明石政紀
「映画は一秒間に二十四回の真実だ、とはゴダールの言葉。映画は一秒間に二十五回の嘘だ、とはわたしの言葉」(ファスビンダー)[*1]
「映画は四角形の人生のようなものだ。あちこちに限界がある。でも映画のほうが正直だと思うよ。映画は限られたスペースのなかで起こることだっていうことを認めるからね。ところが人生のほうは、もっと大きな可能性があるかのように思わせるんだ。だから人生は映画よりもっと大きな嘘だよ」(ファスビンダー)[*2]
ファスビンダーのギャング映画三部作、其の一
『愛は死より冷酷 Liebe ist kälter als der Tod』
白の映画としての『愛は死より冷酷』
ファスビンダーの長編第一作にしてギャング三部作の皮切りは『愛は死より冷酷』[*3]。長編第一作がギャング映画あるいは犯罪映画だったというのは、ハリウッドやヌーヴェル・ヴァーグの影響が強かった当時の西ドイツの新手監督のあいだでは、そんなに珍しいことではない。ルードルフ・トメーの長編第一作『探偵』(1968)やクラウス・レムケの『アカプルコまで48時間』(1967)もそうだったのだ。ただ、ファスビンダーの映画が異様に異質だっただけである。
たしかに異質で不思議な映画だ。わが家のシネマニア・キャット、ミケも「みゃあ、みゃあ、みゃったく不思議でキッカイな映画だわね。いったいこの映画、どう見たらいいのよ。頭のなか、真っ白になっちゃうわ」と言っている。
たしかにこの映画、真っ白である。フィルム・ノワール(黒の映画)ならぬフィルム・ブラン(白の映画)である。隠れ場所がないほど真っ白である(もちろん単に物理的な意味ではない)。このへんのところは12年後の隠れ場なき真っ白なお部屋ムーヴィー『ヴェロニカ・フォスの憧れ』につながっていく。『愛は死より冷酷』の構想を事前に尋ねた音楽担当者ペーア・ラーベンの回想によると、ファスビンダーは「(・・・)空間はひどく冷たい感じになるし、あまりに明るく、目がくらむほど明るい。空間のなかで行動する登場人物がみな消え去るほど、光線がほかのすべてを圧倒してしまうんだ。みんな、窓から差し込む光で押しのけられてしまうんだ」と語ったとのことである[*4]。
光に押しのけられてしまう登場人物は、ファスビンダー本人の言を借りれば「(・・・)自分をどうにもできない哀れな人間たち(・・・)で、放っておかれるだけでなんのチャンスも与えられない(・・・)」[*5]。
自分をどうにもできず身の置き場のない人間の物語というのは、ファスビンダー映画の永遠のテーマだし、放っておかれるだけでチャンスを与えられない、あるいは自分からチャンスを見出していかなくてはいけないのは、この映画を観ている観客も同じこと。
「(・・・)これはほんとうに観客が楽じゃない映画なんです。けっこうきつい映画なんです。でもぼくの映画じゃ、観客がすでに持っている感情が食いものにされたり、吸い尽くされたりするべきじゃない。映画が新しい感情を起こすべきなんです」(ファスビンダー)[*6]とのこと。
どんな新しい感情が起きるかは、観ている方々ひとりひとりにお任せするとして、この映画、身の置き場のない人間の物語という点では短編『宿なし』、犯罪物という点では短編『小カオス』を継承、男ふたり女ひとりという主人公の構図も『小カオス』を引き継ぐものだが、調子も内容もがらりと変わる。
以前の短編にあったほくそ笑みや景気のよさは影をひそめ、とてつもなく無愛想で、どうしようもなく言い出しかね、やるせなく暴力的で、きわめて冷淡で、映像は凍てつき、流れは遅く、少々カッコツケCであり、演劇的に様式化され、リアリズムも煽りもいっさい拒否され、すべてがすべてひどく距離のあるものになった。ここでは2年間の演劇演出で培ったものが映画に反映されるようになったはずだし、じっさいこの映画、演劇のように演出されている。ここではみなみな寡黙で、何が話されているかより、台詞の間のほうが重要に思えてくるし、何か特別なことが起こっているシーンより、何もこれといって起こっていない場面のほうが脳裏に残る。
そして、この無愛想で凍てついた長編第一作からファスビンダーの映画を通して観ていくのと、以前の突飛な悲喜劇性を孕む短編二編から観ていくのとでは、この人の映画変遷の全体像はそうとう変わってくるだろう。
2018年12月号
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