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2017年02月号 vol.2

大音海の岸辺 第35回 前編 (湯浅学)

2017年02月11日 22:28 by boid
2017年02月11日 22:28 by boid
大著作集『大音海』の編纂を兼ね、湯浅学さんの過去の原稿に書き下ろしの解説を加えて掲載していく「大音海の岸辺」。今月と来月は、2000年に「東京新聞」「中日新聞」で連載されていた「ニッポン うたう地図」全22回を再録します。同連載は関東地方と中部地方の都市や町、名所を歌った"御当地ソング”を毎回1曲ずつ紹介するもの。まず今月は遠藤賢司さんの「東京ワッショイ」からはじまる【関東編】を2ページでおおくりします。


遠藤賢司『東京ワッショイ』



ニッポン うたう地図 【関東編】


文=湯浅学


(1)「東京ワッショイ」
文句を言うなよ 嫌なら出てけよ

 曲の冒頭むくつけき男たちのワッショイの合唱の後、一瞬の間。そしてこの曲の作詞、作曲、編曲者である遠藤賢司はこう歌う。

  甘ったれるなよ
  文句を言うなよ
  嫌なら出てけよ

 相撲の張り手が力士のほおに見事にきまったときの、パシーンという乾いた音が耳の奥から頭の中心に響き渡るような歌詞であり歌唱である。
 東京という街に夢や恋心やあこがれを仮託する歌は古今東西数々あるが、東京在住者にかくもはっきりと、その居住の覚悟を求めた作品は「東京ワッショイ」以外にない。この曲は、東京に住み東京で仕事をし東京に数々の恩恵をこうむっていながら「東京は空気も汚いし人も車も多くてせわしないし、とても落ち着いて人間が生活を営むような場所ではありませんよ」などとボヤいたり批判したりする者たちへの怒りに発している。
 東京は日本の首都であり、文化、経済の中心だから、重要だ、というのではない。そんなことはどうでもいいことだ。東京は「こらえ切れずにあふれた愛と、どうにもならない悲しみが悲鳴を上げる街」であり「いい時は最高 悪い時は最低 いつでもどっちかさ だから嘘はつかないいい奴」だからこそ愛すべきところなのだ、と遠藤賢司は歌う。
 希望、欲望、妄想、幻想、慈悲、邪念など様々な思いと情が混在し渦を巻いている。善人も悪人もひたすらおのれの身体にムチ打って生きる。だからこそ、東京はダイナミックでおもしろい。しかし正直な街であるからこそ、くだらない政治的配慮によって増殖した巨大な"ハコもの”だらけの20世紀末東京は、いいかげんにしてくれ、との声を発してもいる。
 「東京ワッショイ」が1978年11月21日に発表されてから(この曲収録のアルバムは79年1月21日発売)、21年余りが過ぎた。地上げもされた。知事も変わった。ゴミも増えたしカラスも増えた。しかし東京は相変わらず毎日毎晩突っ走っている。疲れるときもあるがワッショイと気合い入れつつ21世紀に立ち向かえ、と2000年の正月に聴いた「東京ワッショイ」は我々に告げている。私はそう感じた。
 遠藤賢司はパンク・ロックの中にお神輿かつぐ祭り囃子の躍動を感得して、この曲を作った。69年2月に遠藤は「ほんとだよ」でレコード・デビューしているが、その曲は「越天楽」の中にフォーク・ソングの情念を溶かし込んだ作品だった。この世のあらゆる音楽が、自分の肉体のエネルギーとなる。そこに価値の優劣などない。遠藤賢司は自らを「純音楽家」と名乗る。東洋も西洋も過去も未来も混ぜ合わせ吸収していく図々しくも強靱な活力を持つ東京は、さしずめ"純都会”であろうか。「東京ワッショイ」に覚醒を促され上京した若者は多い。

(「東京新聞」「中日新聞」2000年1月8日)

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