boidマガジン

2014年04月号 vol.10

《FLTMSTPC》 第1回 (松井宏)

2014年07月14日 20:02 by boid
2014年07月14日 20:02 by boid


 

「 FLTMSTPC 」とは「 Fais le toi-même si t'es pas content=満足できないなら自分でやっちゃえ 」の略です。「Fais le toi-même=自分でやっちゃえ」は英語の「Do it yourself」の訳語でもあります。また「FLTMSTPC」はフランスのグラフィックジン界の重鎮ケロゼンことステファン・プリジャン主宰のジン出版社の名前です。彼に大きな敬意を表しつつ、この名前を本連載のタイトルに頂戴しました。


第1回 あらためて「カイエ・デュ・シネマ」

文=松井宏

 もはや覚えている人々がいるのかどうか、いや、そもそも日本国内ではそれほど大きなニュースにさえなっていなかったはずだが、2009年、フランスの映画批評誌「カイエ・デュ・シネマ」は親会社が変わり(イギリスのアート系出版社ファイドン・プレスによる買収)、それにともない新編集長にはステファン・ドゥロルムが任命された。2009年9月号、すなわちマノエル・デ・オリヴェイラの『ブロンド少女は過激に美しく』のブロンド少女ルイザを表紙にした通算648号が、新編集長ステファン・ドゥロルムによる「カイエ」新体制の初陣となる。「作品たちに付き添いながら」と題されたエディトリアルの1行目はこうだ。「いま、どうやって映画雑誌をやるのか?」。  

 

 あれから4年半が経った。ということは、ステファン・ドゥロルムはだいたいいまのぼくの年齢で編集長になったわけだが、まあそれはどうでもよくて、ではいま「カイエ」は、いったいどんな雑誌になっているのか。いや、問いはこうだ。はたしていまドゥロルム率いる「カイエ・デュ・シネマ」は、おもしろいのだろうか?

 

 


 その前に……。そもそもの話、2000年代の10年間は「カイエ」にとってドタバタの時代だった。雲行きが怪しくなったのは、どうやら1998年「ル・モンド」グループが「カイエ」出版母体である「エトワール出版」の親会社になって以降みたいだ(もちろんぼくはそれを後追いで知ったのだが)。当時の編集長はシャルル・テッソン(現在はカンヌ映画祭「批評家週間」のディレクター)。そして2001年からはテッソンとジャン=マルク・ラランヌのふたり編集長体制となるが、2003年、売り上げやら質の低下やらを理由に「カイエ」発行打ち切りのプランが持ち上がる。結局、それまでは内容に口出ししてこなかった「ル・モンド」グループが本腰を入れ、同紙映画欄主筆だったジャン=ミシェル・フロドンをディレクターに就任させることで、この雑誌は存続することとなる(なぜかディレクターがジャン=ミシェル・フロドン、編集長がエマニュエル・ビュルドーという、よくわからない体制になった)。要するに「カイエ」からしてみれば、たとえ親会社の人間とはいえ、ほとんど「外様」の人間が内容面を統括するトップになってしまったわけだ。ちなみに2003年当時のことは、かつて「カイエ・ジャポン」編集長を務めた梅本洋一さんによる次の文章をぜひ読んでみてほしい(2003年7月2日「どうなるのか、『カイエ・デュ・シネマ』?」

 

 さて、ジャン=ミシェル・フロドンという方は、たぶん2000年代東京で映画の観客をしていた人々にとってまずは、小津安二郎生誕百年記念国際シンポジウム「OZU2003」の出席者として、それなりに記憶されているのではないか。ちなみに著書の邦訳も一冊ある。ところが彼が舵を取りはじめて以降、「カイエ」はまさにドタバタの様相を呈する。そのひとつの症例として「微感の映画」問題があるのだが、それについては土田環さんが映画批評サイト「flowerwild」立ち上げ時に書いたエディトリアルをぜひ読んでほしい(「創刊に際して」)。要するに「カイエ」が「現在の映画」の批評軸として「微感の映画」なる概念を打ち出したところ、これがずいぶんと雑な概念だったため、「リベラシオン」や「レ・ザンロッキュプティーブル」といった媒体から攻撃されたというお話。ただし、この概念自体の粗雑さと、それを打ち出してしまう「カイエ」の問題が語られ、批判された一方で、そこにはもちろん私怨みたいなものがあったことも確か。「カイエ」前編集長のジャン=マルク・ラランヌは当時すでに「レ・ザンロッキュプティーブル」の編集長になっていたし、そこで「微感」の批判文を書いたパトリス・ブルアンは「カイエ」元編集委員だ。その文章は大化粧品会社ロレアルの「Subtil Bronze=微日焼け」(「自然な日焼け色に肌色を変化させる」ローション)という商品の広告が「カイエ」の裏表紙にあるのを肴に、「微感の映画=Cinéma subtil」というものをうまいことやり込めているのだが……。

 なんとなくゴシップめいた匂いさえ漂わせたこの一連は、「カイエ」のドタバタぶりを象徴していたように思う。ジャン=ミシェル・フロドン時代のこの雑誌は、とにかく「ドタバタ」の一言に尽きる気さえしてしまう。個人的にもある時期からまったく「カイエ」をチェックしない時期が続いたなあと、いま思い返してみればそうだった。もちろんフロドン時代だって、多くの最高の作品が生まれ、映画をめぐる重要な人々の死があり、フランス映画をめぐるさまざまな問題が浮上し、大統領選だってあったし、そういった事象に「カイエ」はきちんと反応してきた。それに、これもどれだけ日本国内で浸透していたかわからないが、当時は「カイエ」の記事の一部がHP上で数カ国語に翻訳されていて、日本語版もちゃんと存在していたのだ(ちなみにぼくも当時いくつか記事を翻訳していて、例の「微感の映画」という訳をひねり出したのもぼくです。すごく恥ずかしいですが告白しておきます、すいません……)。だからけっして、あの時代は最低だったよね、などと一概に言えるわけではない。のだがしかし、この雑誌にとってそれほど良い時代ではなかった、というのも確かなわけで、親会社の問題やらも含め、とにかく単純に「ドタバタ」していた時代だったのだ、やはり。

 

 そしてファイドン・プレスによる買収。これは2008年からすでにニュースになっていて、「ル・モンド」グループが売却を決め、いくつか売却先の候補が挙がっていた。たとえば先ほども名前の出た「レ・ザンロッキュプティーブル」を発行している出版社、それから意外というかおもしろいことに、アルノー・デプレシャンやグザヴィエ・ボーヴォワなど、90年代以降フランスの「作家の映画」を主導してきた製作会社「Why Not Productions」も候補に挙がっていた。結局ファイドン・プレスが有力となり、3パーセントの株を有していた「カイエ・デュ・シネマ友の会」もとくに反対することなく、買収はおこなわれた。

 

「カイエ」のここ10年ほどの状況を暴力的にざっと記してみたが、別にぼくはここでゴシップめいた文章を書きたいわけではない(そういうことは別の人がもっと詳しく書いてくれればいい)。5年前から新編集長ステファン・ドゥロルムとともに、新たな体制がはじまった背景には、なんとなくこういった事柄があったのだということを、やはり書いておいた方がいいと思ったのだ。

 繰り返すが問いはこうである。いま「カイエ・デュ・シネマ」はおもしろいのだろうか?

 

 答えは「イエス」。もちろんぼく個人として「イエス」ということ。「ノー」と答える人々も多くいるのは想像に難くない。正直に申し上げれば、じゃあいまの「カイエ」に掲載されている作品評たちと、かつて学生時代に必死で読んだ「カイエ」に掲載されていた作品評たちとでは(あるいは、もっと時代を遡ってアーカイブを探って読んだ作品評たちとでは)、どちらがおもしろいかと問われれば、「いや、たしかに……」と口ごもってしまうのは確か。けれどそれでも「イエス」と言いたい理由が確実に存在する。

 

 よく覚えているが、ドゥロルム体制になったと知った当時、ぼくは久しぶりに「カイエ」を手に取ってページをめくった。2009年9月号。『ブロンド少女は過激に美しく』もまだ国内では公開していなかったし、結局ちゃんと読んだのはモンテ・ヘルマンの撮影レポぐらいだった(『果てなき路』)。かなり興奮した。が、だからと言って、次の号からちゃんと読み続けようとは思わず、そのままになってしまった。ところが、それからずいぶん経ったあるときに「あれ?」と思い、やはり手に取った号があったのだ。2011年9月号である。表紙に書かれた特集タイトルは「ニューヨーク、"DO IT YOURSELF”世代」。そしてこれが、とてもおもしろかった。その名の通りニューヨークの新たな映画シーン(インディーズのシーン)を紹介しているこの号を読んだのは、ぼくがプロデューサーを務めた三宅唱監督『Playback』の撮影が終わり、編集段階に入っているときだった。「インディペンデント映画」と呼ばれる部類の作品である『Playback』に関しては、やはり配給に関しても自分たちでやりたいなあと考えていたし(そういえばその頃ちょうど富田克也監督『サウダーヂ』公開も始まっていた)、「DO IT YOURSELF」という「え!? いまそれ使う!?」みたいな甘美な衰退感を持った言葉に、それでもえらく勇気と知恵をもらった記憶があるのだった。

 

 


 そこからだ。ドゥロルム「カイエ」の輪郭がぼくのなかでハッキリしてきたように思えたのは。特集名をいくつか挙げてみよう。「明日のフランス映画をつくるのはやつらだ」(この号はDIY特集よりも前だが)、「バイバイ35mm」(フランスでは日本よりも早く映画館のデジタル化が完了した)、「未来のシネアストのガイド」(映画学校や大学で映画を学ぶことについて)、「女性たちはどこにいる?」(現代の女性映画監督たちについて。日本からも井口奈己監督が紹介された)、「道を踏み外した"作家の映画”?」、「若きフランスのシネアストたち。おれたちは死んじゃいない!」、「学生たちにことばを」(現時点の最新号。これまた学校や大学で映画を学ぶことについて。今度は学生たちのインタヴューが主になっている)。もちろんその他にもマイケル・チミノ特集、ミヒャエル・ハネケをこき下ろす特集、ホン・サンス特集、俳優特集、「コメディ礼賛」特集、エロティシズム特集などなど、いろいろあるのだが、要はなにが言いたいかというと、ドゥロルムたちはあるときからハッキリと、意図的に、新たな世代の映画たちをめぐって言葉を費やしはじめたということ。そして、もはやたんに作品の内容のみならず、そうした作品群をめぐる環境なりも、そこでの思考の対象になっているということ。つまりだ。簡単に言ってしまえば、いま日本において観客なり、作り手なり、批評の書き手なり、配給なり、なんでもいいけれど、とにかく映画に関わるぼくらにとって、いまの「カイエ」が試みていることはやはり、ちっとも他人事ではない。とりわけ「若い世代」の日本映画に多少なりとも関わるなり、関心がある人々にとっては。

 ぼく自身、「nobody」という映画雑誌を通じて、そしてその後『Playback』という作品を通じて「若手」と呼ばれる同世代の「インディペンデント」と呼ばれる映画たちの渦中に身を置いているつもりである。さらに言うと、偶然ながら昨年から東京藝術大学映像研究科映画専攻という場所で少しだけ働く機会も得ている。また、つい先日出版され、ここ数年の「インディペンデント映画」と呼ばれる何事かをまとめようと試みた『映画はどこにある──インディペンデント映画の新しい波』(寺岡裕治編)という書物によれば、「つくり手/送り手/受け手の意識の新しい循環による、多様なインディペンデント映画の生態系が生まれ始めている」らしいし(ほんとか?)、これまた先日やっと、ドゥロルムたちが推す若手フランス映画の数本を「カイエ・デュ・シネマ週間」(@アンスティチュ・フランセ東京)で見ることもできて、いろいろ話もできたし、良い機会なのだろう。ドゥロルム自身、国籍に関わらず、新たな世代の映画たちを──そしていまこれから映画がつくられ、送られ、見られていくための新たな環境や意志の誕生を──強く求めていて、ぼくもとても刺激を受けたのだった(ちなみにドゥロルムさんはかつてカンヌ映画祭「監督週間」のセレクショナーもしていた)。

 

 だからこの連載でやってみようと思うのは次のようなこと。「カイエ」が提起し、描写する問題や状況を、いまここ日本で、どうやって映画をつくり、送り届け、見ていくのかという問いに接続しながら、こうでもないああでもないと感じたことを書いてみよう、と。客観的なレポートではない。「カイエ」ではいまこんな特集をしているよ、こんな作品が評価されているよ、というものでもない。そういった類いは、きっと他に得意な人々がいるのでそちらにお任せします。あくまでもぼくのからだを通して、経験を通じて、「カイエ」とこちらを接続しながら、いろいろ考えてみたい。そしてどうやったら良い映画が生まれ、映画をめぐって楽しくも有益な会話が生まれ、良き仲間たちといまここで、これから、どうやったら幸せになれるか、つらつらと考えでもできたら最高だ。だからきっと「カイエ」と全然関係ないこともときどき書くと思う。

 

 2012年『Playback』公開がスタートしたのはオーディトリウム渋谷という劇場だった。それ以前も以後も、「インディペンデント」(この単語、もうほんとに使いたくないのですが)と呼ばれる映画たちは何度もこの劇場に救われてきた。なんとなく、そこで人々が出会い、語らう場所にもなってきたなあと、最近思っていた。感謝と友情を強く感じるこの劇場だが、しかしこれまでのディレクター杉原永純さんが辞めることになり、どうやら上映プログラムもかなり変わるようだ。3月末日のいま、すでに劇場のロビーは雰囲気がガラリと変わっていた。なにかが終わった。これからそう感じるのはきっとぼくだけではないだろう。「こういう楽しい場所はいつまでも続くわけじゃない。たとえば中野武蔵野館だってそうだった。それはつねに忘れちゃいかんよね」と、自分より年上のある役者さんが、あるトークショーのなかで語っていたのを思い出す。「爆音映画祭」の開催地でもある吉祥寺バウスシアターも、今年5月で閉館が決まっている。あいかわらず映画をめぐってはイヤなこと、イラつくことばかりだ。ぼくらはクソみたいな場所にいる。「インディペンデント映画」なんて自明なものでもなんでもない。

 

 今回はイントロダクションということで、とても長く書いてしまいました。次回以降はもっと短く書きます。


松井宏(まつい・ひろし)

映画批評、翻訳。「nobody」元編集委員。訳書に『エクスペリメンタル・ミュージック〜実験音楽ディスクガイド』(F・ロベール著、共訳、NTT出版)、『モンテ・ヘルマン語る~悪魔を憐れむ詩』(M・ヘルマン、E・ビュルドー著、河出書房新社)など。映画『Playback』(三宅唱監督)の製作も。

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