今回の映画川は、渥美喜子さんが現在公開中のアニメーション映画『インサイド・ヘッド』(ピーター・ドクター監督)について書いてくれました。「トイ・ストーリー」シリーズや『モンスターズ・インク』など数々の名作アニメーションを生み出してきた、ピクサーズ・アニメーション・スタジオの(長編アニメーション)20周年記念作品として公開された『インサイド・ヘッド』はひとりの少女の頭の中に存在する感情たちの物語、なのですが、その物語ははたしてどのように語られているのでしょうか。
※この記事は読者登録されていない方でもご覧いただけます。



文=渥美喜子


 ピクサー長編アニメーション20周年記念作品である『インサイド・ヘッド』を見終え、劇場が明るくなったときまず最初に感じたことは、その完成度が逆に欠点なんじゃないかと皮肉に思いたくなるくらいよく出来た映画だということだ。
 タイトル通り、この物語の主人公は、11歳の少女・ライリーの頭の中に存在する「感情」たちである。それぞれ「ヨロコビ」「カナシミ」「イカリ」「ビビリ」「ムカムカ」と名付けられたこの可愛らしいキャラクターたちは、ライリーの身になにかが起こるたびに脳の司令室で大騒ぎをしながら、ライリーの性格をかたち作る役目を果たしている(その様子は、子どもが見ると、自分の頭の中はこんな風になっているのかと、わくわくできるものだろう)。
 その中でも一番メインに活躍する「ヨロコビ」は、その名の通り、とにかくライリーの人生を喜びに満ちたものにするべく、常に超ハイテンション&ポジティブな存在。少しでもライリーが傷ついたり悲しんだりすることを避けようとするため、なんだかんだと理由をつけては「カナシミ」を司令室の中心から遠ざけようとする。
 しかしそんな「ヨロコビ」と「カナシミ」が、司令室から遠く離れた場所に放り出されるハプニングが起こってしまう。「ヨロコビ」を失い徐々に感情を失っていくライリーのために、なんとか元の場所に戻ろうと、ふたりは「頭の中」という予測不能な場所を舞台に大冒険を繰り広げる。
 その冒険の中で、「ヨロコビ」は「カナシミ」がときとして人の心を救うことを知る。そして「カナシミ」=「悲しみ」と共存することの意味や必然性に気付き、ひとりの少女が複雑な感情を理解して一歩大人になるという、ごく単純な子どもの成長物語、と言えばそうなのだが、これが全然そんな説明では収まらない。

 かなりおおざっぱな印象ではあるが、ピクサー・アニメーション・スタジオは、95年に意志を持ったおもちゃが自分たちの持ち主である大切な少年のために奮闘する『トイ・ストーリー』から始まり、10年にその別れと継承を描いた『トイ・ストーリー3』という大傑作を作る中で、そこで語られる対象が、「ストーリー」から、より人間(それはアニメだから人形だったり車だったりするのだけれど)の感情の変化、という細部に向かっているのではないだろうか。もはや、物語の展開で観客の心を動かすのではなく、目に見えるはずのない心の中を見せる、それはもちろんアニメーションという方法でしか不可能な映画作りだ。
 だからこそ、この「感情」そのものを主人公にしたこの作品は、見ているうちに、その実は、ライリーなのか「ヨロコビ」なのか「カナシミ」なのか、誰が本当の主人公かわからなくなってくる(そこでは、性別さえも巧妙としか言い様のない描かれ方がされているのだが、そのことに詳しく言及し出すと話が大きくなり過ぎるので、割愛)。「ヨロコビ」は喜びでしかなく、「カナシミ」は悲しみでしかないはずなのに、それぞれが物語る。そして、少女の成長物語というごく単純な「ストーリー」の中で、ひとりではないはずの彼女たちひとりひとりが、膨大な量の思い出を抱きながら、上手くいかない現在を乗り越え、大切なものとの別れを経験し、その先の変化していく未来と向き合う姿が描かれていることにより、最終的には11歳のライリー、彼女だけの物語として観客にひとつの「ストーリー」を伝える、という複雑な展開をあっさりとやってのけるピクサーの能力に、「本物の天才ってマジすげーな」と感動するしかない(というか既に凡人には理解不能な領域で、なぜCGアニメのキャラクターが途中で二次元になった挙げ句ただの棒になるのか、さっぱり意味がわからない。面白いんだけど)。

 なぜそんなことが可能なのか? なぜなら、映画を作るということは夢を作ることだからさ、と言わんばかりに、ライリーの頭の中では、文字通り、睡眠中に見る夢は「夢の制作工場」と名付けられた、ハリウッドの映画スタジオのような場所で、大勢のスタッフにより毎晩撮影されている。怖い記憶さえもライリーの大切な一部として扱われる、その場所は、ただただ夢のように美しい。
 細部のギャグまでぬかりなく考えられ(ガムのCMソング!)、大人から子どもまでお客さんの笑いで溢れる映画館を体感すると、そんなロマンチックなことも信じたくなる。

(この映画が伝えようとしているメッセージは、人間の心には「ヨロコビ」だけではなく、時として「カナシミ」が必要なときもあり、そのふたつ以外にも、幾つもの感情がすべて同等に大切だということを学習する大切さだ。
 それに対して、本編上映前に一応日本版主題歌であるらしいドリカムの曲に乗せて日本中の幸せ家族の写真を見せつけられるPVが流れる時間は、ただただ苦痛であった。映画を見ればその「ヨロコビ」しか存在しないような歌と映像は本作の世界とは真逆だということくらい誰にでもわかりそうなのに、こういうことをしてしまう日本の配給会社の頭の悪さに、頭を抱えた。)



インサイド・ヘッド Inside Out
2015年 / アメリカ / 105分 / 配給:ウォルト・ディズニー・スタジオ・ジャパン / 監督・脚本:ピート・ドクター / 脚本:メグ・レフォーブ、ジョシュ・クーリー / 声の出演(日本語吹き替え版): エイミー・ポーラー(竹内結子)、フィリス・スミス(大竹しのぶ)
©2015 Disney/Pixar. All Rights Reserved.
大ヒット公開中!




渥美喜子(あつみ・よしこ)
東京渥美組代表取締役。映画ライター。2005年に開設した自身のサイト「gojo」で映画日記を執筆中。『森崎東党宣言!』(インスクリプト)のほか、女性カルチャーサイト「messy」、雑誌「映画芸術」「ユリイカ」などに寄稿。6月創刊の映画と酒の小雑誌 『映画横丁』に同誌編集人の月永理絵さんとのラブコメ映画対談が掲載。