boidは8月下旬に、映画作家ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー(1945-1982)が自らの作品や活動について語った『ファスビンダー、ファスビンダーを語る』の第2・3巻(明石政紀訳)を出版しました。演劇時代から初期のキャリアを語った第1巻(2013年発行)に続き、映画監督として新しい段階へ踏み出した70年代(第2巻)、念願の巨編『ベルリン・アレクサンダー広場』をはじめ名作を次々に生み出した最後の3年半(第3巻)に行われたインタヴューをまとめた560ページの大作になっております。
今回は荻野洋一さんに書いていただいた同書の書評を特別掲載。ファスビンダー生誕70年、死後23年が経ったいま、彼の作品を見て、彼の言葉を読むことがどんな意味を持つのか。そしてその体験を通して見えてくる現代映画の問題とは――。
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文=荻野洋一


 『ファスビンダー、ファスビンダーを語る』の第1巻が刊行されて早2年あまり。ずいぶんと待たされた残りの第2巻、第3巻がこのたび合冊で発表された。まさに待望の刊行であるが、実情はそう甘くはなかったようである。私が発行元boidの樋口泰人に「続刊を楽しみにしています」と言うと、樋口氏が「売り上げが芳しくないため、第2巻以降の刊行が可能かどうかはわからない」と吐露したのは、映画評論家・梅本洋一(1953-2013「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」誌の初代編集代表。ちなみに樋口氏は同誌2代目編集代表である)の一周忌、精進落としの席上においてである。2013年の春のことだった。
 祈るような気持ちでもあり、なかばもう消えたものと諦めるような気持ちが交錯する、不思議な2年間だった。だから、この本を手に取ったとき、私は少し狐につままれたような心持ちがしたものだ。この本を入手できるという事実、それを当たり前ではない僥倖として重大に受け止めねばならない。


 旧西ドイツの映画作家ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー(1945-1982)は、ヴィム・ヴェンダース、ヴェルナー・ヘルツォークらと並ぶニュー・ジャーマン・シネマの中心的な存在で、生前から非常に注目される存在だった。私自身、高校時代にファスビンダーの最後のころに間にあって、『マリア・ブラウンの結婚』『リリー・マルレーン』といった晩年作品を見て衝撃を受けた。とくに前者におけるラストのガス爆発を見たときの、なんとも言えない感情は、いまでもまざまざと憶えている。
 本書は質量ともにファスビンダー本のまさに決定版と言っていい。とはいえ、これまで邦訳刊行されたファスビンダー本はいずれも良書ばかりであり、その意味では他の映画作家に比べると幸運であろう。没後すぐに出た『ニュー・ジャーマン・シネマの旗手 R・W・ファスビンダー』(1983/欧日協会)を皮切りに、ファスビンダー自身の著作集『映画は頭を解放する』(1999/勁草書房)、エートル叢書『ファスビンダー』(2005/現代思潮新社)と続いている。雑誌の特集や戯曲集、劇場パンフレットもふくめると、素晴らしいモノグラフィの宇宙ができあがる。37歳という若さで死んだことを考えると、信じられないことだ。
 このことは、ファスビンダーが日本の映画ファンにいかに愛されてきたかの証左となる。その数は決して多くないだろうが、その愛は強く、純粋である。私は、ファスビンダーを愛する人と会話をするのが大好きだ。彼らはファスビンダーの話をするときには一点の曇りもなく話すし、他の映画作家について語るときの留保がなく、一方的な主張もない。ファスビンダー・ファンというのは、映画ファンの手本である。だからこそ、出版業者たちは、そんな彼らに本を届けたいと考えてファスビンダーの本を出すのであろう。

 スタジオシステムの崩壊が本格化する前に亡くなった小津安二郎(1903-1963)の作品が、映画産業衰退の影響を表面的にはまぬがれたのと似たようなことが、ファスビンダーに起こっていると、私は推測している。不幸にも訪れた彼の37歳という早すぎる死は、逆に彼をスランプから守ったのである。
 小津安二郎が、たとえば黒澤明や市川崑のように90歳前後まで長寿を全うし、斜陽化した産業界で永らく活動したと仮定しよう。小津が90歳のとき、時代は1993年になっている。ひょっとすると、大映の倒産や日活のロマンポルノを横目に、松竹の同僚だった木下恵介に見習って個人プロダクションを設立し、過去の自作をソーダで薄めたようなホームドラマをテレビ向けに作って、糊口を凌いだのだろうか? 1980年代には角川書店の出資でアイドル映画を撮ったり、その主題歌を作詞したり、やがて、可愛くない後輩の大島渚の向こうを張ってフランスとの合作に乗りだし、シャルロット・ゲンスブールの嫁入りをパリで演出していたかもしれない(娘を送り出す母役はジェーン・バーキンだったりする)。そして、数多くの経済的問題やスランプ、評価の乱高下を、小津さえもが経験せざるを得なかっただろう。
 小津より年下だった山中貞雄(1909-1938)にも、同じことが言える。出征中に亡くなったため、山中貞雄にははるか昔の人というイメージがあるが、もし彼が28歳という若さで戦病死せずに戦後まで長生きしていたら、晩年は京都の撮影所で『必殺仕掛人』みたいなテレビ時代劇を撮らされていたかもしれないのである。いや、おそらくそうなっていただろう。その代わり、深水藤子は引退せずに山中映画のミューズとして女優を続け、同世代の山田五十鈴とならぶ日本映画の名花として長く君臨したことだろう。

 いっぽうヴェンダースやヘルツォークは、いったん1980年代に全盛期を迎えたあと、評価の乱高下に苦しめられた。あくまで私見だが、ヴェンダースは依然としてスランプからちゃんと立ち直ってはいないように思える。そうした友人たちの苦悩を、ファスビンダーはいっさい関知することなくこの世を去った。37歳の若さで亡くなるまでに、41本の長編作品が残された。フィルモグラフィを一望すると、その量的迫力は壮観で、アイドル歌手のシングル並みのペースである。13年間の集中した期間に作られた大量の作品群を、後世の人は「徐々に」追体験していく。彼の作品を同時代に一本一本伴走しえた観客は、おそらく西ドイツ本国でさえほとんどいないだろう。短い期間の成果物を私たちはゆっくりと吟味していく。この受容体験の時間差こそ、絶妙の調味料である。
 ファスビンダーを見ることは、現代映画の成り立ちとありようを根本的に分析するための、絶好の機会でもある。現代映画の諸問題がすでにファスビンダーにおいて端的に表れている。芸術性と娯楽性といった問題を越えた、リアリズムと空想のはざま、楽観主義と悲観主義のはざま、B級趣味とゴージャスのはざま、ハリウッドメロドラマとヌーヴェルヴァーグのはざま、ジェンダーとセクシャリティ、政治性とニヒリズムのはざまetc. etc.といったふうに、現代映画に横たわる問題の根源が、早くもファスビンダーにおいて一揃いで混在している。だから、私たちはファスビンダーを見るとき、現今の新作以上にとまどいと生々しさを抱かざるをえないのである。
 同様に、ファスビンダーが折にふれ答えたさまざまなインタヴューを拾って編まれた本書もまた、単にファスビンダー映画を理解するための手引きとして有用というだけでなく、現代映画の諸問題を敷衍して考え、さらに「映画とは何か?」という根源的な問いへと突き返されていく、そういう体験を用意しているわけである。もっと言うと、ファスビンダーという、圧倒的な他者的存在を本書によって再認識することで、人間の生にとって「他者とは誰か?」という問いへと到達するのだ。


 本書(第2・3巻)から彼の発言をいくつか紹介しよう。

「…ぼくはけっこう親なしの状態で育ったんです。たとえば7歳から9歳まではひとりっきりで暮らしていたし、母が入院して部屋を又貸ししてたから、家に人はいるにはいたんですが、ぼくの面倒をみてくれるとかそういう人はいなかった。で、暮らしていたあの家、あの住まいには文学と芸術しかありませんでしたね。ぼくがプレゼントをもらえたとしても、デューラーの画集だったりしたんですよ。ぼくが5歳のときにね……」

 こういう環境から、平凡な青年が育つわけはあるまい。すでに彼は幼少期から〈他者性〉と共に生きてきたのである。

「映画作りや仕事そのものに関しては、ぼくはきちんとした人間ですよ、ええ。きちんとしてなくちゃいけないっていうのは、じつに嫌なことですけどね。なにしろ、きちんとしてなくちゃいけないっていう気持ちが、もちろん感覚や思考の別の部分にどこか入り込んできますからね。何をやってもきちんとしてしまう、そうはなりたくないでしょ。でもありえることだ」

 はた目には傍若無人に見えても、彼は彼なりの倫理観をストイックに墨守した。その結果として、早すぎる病死につながったとは断定したくはない。しかし、私たち凡人はそこを断ち切れない。

「ぼくの考えでは、映画が美しく、作為的で、演出されきって、仕上げられていればいるほど、映画は自由で解放されるんです」

 この逆説めいた考え方は、かつてヴィム・ヴェンダースが小津安二郎の映画について、蓮實重彦のインタヴューで語った主張に相通じる。ヴェンダースによれば、小津映画がミリ単位の緻密な演出と作為性を徹底させればさせるほど、ドキュメンタリー的生々しさに達していたという。ダグラス・サークやジョセフ・フォン・スタンバーグら、ドイツ系ハリウッド映画が見せる「美しく、作為的」な演出からファスビンダーが学んだものは、ヴェンダースが小津から学んだものと近似する。次は、ファスビンダーがジャン=マリー・ストローブの演技指導を賞讃して出てきた言葉──

「自分のやっていることに対する態度をつくっていかなくちゃならないっていうことだ。演技をしながら自分自身を見つめるテクニックをつくりあげていくっていうことで、それは役に自分を重ねることじゃなくて、距離を置くことなんです」

 ファスビンダーが世に出る前、彼の所属する前衛劇団アンチテアーターにゲスト演出家として招聘されたストローブの演技指導とシーン作りを至近距離で見ることができたのは、彼にとって幸いなことだった。
 彼の演出はおそろしいスピードで成熟していったが、こうした出会いの幸運、特殊な育ち方、強迫的なまでの気丈さ……これらがミクサージュされて、ファスビンダーという天才が短時間のうちに成り立ったのである。こういう稀有な人物の存在を、私は本書のページをめくることで非常に身近に感じた。そして本書は、彼の突然の死の数時間前に収録されたインタヴューをもって終わっている。これほどドラマティックな書物は、そうあるものではないだろう。



『ファスビンダー、ファスビンダーを語る』第2・3巻
著者:ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー / 編者:ローベルト・フィッシャー / 訳者:明石政紀 / 発行:boid
boidオンラインショップ、全国書店にて発売中




荻野洋一(おぎの・よういち)
映像演出、映画評論。元「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」編集委員。現在、季刊誌『nobody』で「衆人皆酔、我独醒(衆人みな酔ひ、我ひとり醒めたり)」を連載。09年に開設した自身のブログ「荻野洋一 映画等覚書ブログ」も更新中。