FLTMSTPC=「Fais le toi-même si t'es pas content=満足できないなら自分でやっちゃえ」。批評、映画雑誌の編集、翻訳、そして製作と様々な方法で映画と関わっている松井宏さんが「カイエ・ デュ・シネマ」の記事などを起点に、映画を作る/見せる/観ることについて探っていきます。
7月に掲載した第17回、先月号の第19回と、これまで2回にわたって「カイエ・デュ・シネマ」710号(2015年4月号)の特集「シナリオのアンチ・マニュアル」について取り上げてきましたが、今回はその締めくくりとして同特集の記事の中から松井さんが興味を抱いた部分をいくつかご紹介。ジョン・フォードやアラン・レネ、アニエス・ヴァルダ、ヴィンセント・ミネリなどの作品から見出されるシナリオの法則とは――







シナリオのアンチ・マニュアルとはいかに? その3


文=松井宏


 このboidマガジンで8月に公開されたニール・ヤングのインタヴュー。そこでは『ヒューマン・ハイウェイ』について語られているのだが、ラストで、そもそもこのタイトルはどんな意味なのか、という質問がある。まじか、説明させるってのかい(笑)、という感じで、ニール・ヤングはこんなことを言う。「人生はどんどん進んでいってしまうものだが、僕らは常に自分が置かれている状況に注意を払わなければならないんだ。もし今起こっていることに目を瞑ってしまうのであれば、人生そのものに意味が無くなるのではないだろうか。結局のところ、物事は人々が意識しないうちに変化している。人はどれだけお金を稼ぐか、高い家をどうやって買うか、週末のデートをどうするか……、いろいろな邪念の中で暮らしている。でも大事なのはそれらの背景にあるもの、僕らの周りにある見えにくい事実を見ることだと思うんだ。その事実を見ているごく少数の人だけが、わめき叫んで訴えているんだよ。『ヒューマン・ハイウェイ』の世界ではそんな人間がひとりもいないんだ」。
 ヒューマン・ハイウェイとは、この世界の出来事に目をつむり、耳をふさいでいる人間たちがうごめく、巨大で閉じたハイウェイだということ。つまりいうなれば、国会前の安保法案に対するデモのときにポカンと横たわっていたあの車道、ずらっと並ぶ警察の車で封鎖され、誰も歩くことのないあの車道、あれもまたヒューマン・ハイウェイなのであって、あそこにはライオネルやフレッドやブージー・ボーイたちが阿呆顔で暮らしている。

この記事は登録読者だけが閲覧可能な内容を含みます。続きを読むにはPublishers IDによる読者登録が必要です。