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2015年11月号 vol.3

ヒラ・メダリア監督トークショー

2015年11月21日 22:05 by boid
2015年11月21日 22:05 by boid
11月14日(土)~27日(金)まで、昨年亡くなったイスラエルの映画監督・製作者であるメナヘム・ゴーランのレトロスペクティヴ「メナヘム・ゴーラン映画祭」が開催中。そしてゴーランがヨーラム・グローバスとともに設立した映画製作会社についてのドキュメンタリー『キャノンフィルムズ爆走風雲録』も公開されています。公開にあわせて同作の監督ヒラ・メダリアさんが来日、初日の上映後にはトークショーが行われました。メダリア監督が、『キャノンフィルムズ爆走風雲録』を監督した経緯から、撮影秘話、メナヘム・ゴーランとヨーラム・グローバスの人となりやキャノン・フィルムズの功績などを語ったそのトークショー&質疑応答の模様を、まるごと無料公開でお届けします!

『キャノンフィルムズ爆走風雲録』



――まずヒラ・メダリア監督が今回このドキュメンタリー作品『キャノンフィルムズ爆走風雲録』を撮ることになった経緯を教えてください。

ヒラ・メダリア監督(以下HM) 私はイスラエル人なんですが、イスラエルではメナヘム・ゴーランもヨーラム・グローバスもとても有名で、彼らは80年代初期までの映画業界を代表する人物でした。私はアメリカの大学を出たあと、初めてプロデュースした作品をアメリカのテレビ局HBOに売ろうとしたんですが、なかなかコンタクトが取れませんでした。その時にダメもとで全く面識のなかったメナヘムに連絡をして、結果的にメナヘムを通してHBOにその作品を買ってもらうことができたんです。
そのあと、ヨーラムの息子に会う機会があり、彼から彼の父親とメナヘムについてのドキュメンタリーを作ってほしいと頼まれました。そこでまずはふたりに実際に会ったんですが、そこで一番面白かったのは、ある質問をするとふたりが全く違うことを答えたことです。そして30分近く、本当はどうだったかということについてふたりで言い争うんです。
私はもちろん彼らがハリウッドで成功したことは知っていましたが、このドキュメンタリーを作るまで、彼らが社会にどれほどの影響を及ぼしていたのか知りませんでした。日本にもこうして彼らの映画を観て育った人たちが大勢いること。それもまた彼らが残した功績のひとつだと思っています。

――僕もまたキャノン・フィルムズの作品を愛してきた人間のひとりですが、やはりこの映画の最後でメナヘムとヨーラムが会うシーンはぐっとくるところがありました。この作品の構成はどのように決められたんでしょうか?

HM 先ほどお話したように、最初に会った時に、メナヘムとヨーラムのふたりは意見が合わず言い争ってばかりだったので、もうその時点で別々にインタヴューをして、最後にふたりを会わせることに決めました。そのようにふたりの全く異なる視点を見せることで、それぞれの性格がよく表れていると思いますし、そこから彼らが成功、あるいは失敗した理由も見えてきたと思います。
最後の劇場のシーンは最終日に撮影しましたが、実はその前のヨーラムがメナヘムに近寄ってきて、「すごく忙しいんだ」と言うシーンは初日に撮ったものです。その日はヨーラムとメナヘムに別々にインタヴューするつもりで約束をしていたんですが、ヨーラムはやって来るなり「今日は忙しいからインタヴューできない」と言って、メナヘムに挨拶だけして帰ってしまったんです。あのシーンはその場面を撮影したものです。メナヘムはあの通りすごくオープンな性格でインタヴューにもすぐに応じてくれて何でも話してくれたんですが、ヨーラムに関しては実際にインタヴューにこぎつけるまでに6ヵ月近くかかりましたし、私に心を開いて話してくれるようになるまでに時間がかかりました。

――この作品ではキャノン・フィルムズの様々な関係者にインタヴューされていますが、時間の関係で証言をいれられなかった方、取材を断られてしまった方はいらっしゃったんでしょうか?

HM 本当に多くの方にインタヴューをしたんですが、やはり尺の関係上、切らなければならない部分はたくさんありました。トビー・フーパーもその中のひとりです。その他、インタヴューをいれたかったけれどカットせざるをえなかった方が10人ほどいました。また、インタヴューしたんだけれど、あまり面白くなかったり、求めていた答えが得られなかったのでカットしてしまったものもあります。私は映画を作る上で、しっかりとしたストーリーラインがなければならないという哲学を持っています。たとえばストーリーラインを考える上で、ナプキンを使って契約書を作ったという話を5回も伝えたらつまらなくなりますよね。あるいはヨーラムとメナヘムは初めてアメリカに行ってすぐに成功したわけではなく、アメリカとイスラエルを何度か行き来しているんですが、映画の中では混乱を避けるためにその行き来は描いていません。どのように伝えればストーリーを最もわかりやすく伝えることができるかを常に決断していく必要があるんですね。そうするとどうしてもカットしなければならないシーンが出てきてしまいます。
インタヴューしたかった人は本当に大勢いますが、メナヘムやゴーランとあまり良い関係を築いていなかった方には断られることもありました。その中のひとりが今でもハリウッドで活躍しているプロデューサーのダニー・ディンボート。ヨーラムの幼い頃からの友人だった人ですが、ヨーラムについては話したくないということで断られてしまいました。他にも声をかけたものの、特にヨーラムとの関係がこじれてしまって批判的な意見しか言えないということで断られてしまった俳優も何人かいます。

――メナヘム・ゴーランが『スーパーマン4』について聞いたら怒り出していましたが、あの後、結局何も語ってくれなかったんでしょうか?

HM はい、メナヘムは決して"失敗”について語ろうとはしませんでした。何度も何度も質問したんですが答えをくれることはありませんでした。というのも、彼はすごく前向きな人で、彼が製作した300本の映画の中で一番好きな作品を聞いても、「次に僕が作る作品だ」と答えるような人なんです。
2014年のカンヌ国際映画祭でこの作品を初めて上映したときメナヘムは86歳で――彼はその3ヶ月後に亡くなってしまったんですが――、映画祭の2ヵ月前に腰の骨を折っていたんです。レッドカーペットでは何とか自力で歩いていましたが、それ以外の場所では車椅子での移動を強いられていました。そんな状態でも彼は舞台挨拶の時、自分の次の作品について宣伝するんですよ。次回作もまたこの場所で上映できるといいと言っていました。

ヒラ・メダリア監督


――同時期に同じくキャノン・フィルムズを題材にした『Electric Boogaloo: The Wild, Untold Story of Cannon Films』というドキュメンタリーが作られているんですが、それは本当に偶然のことだったのでしょうか? それともキャノン・フィルムズの作品を再評価する動きがあってのことだったのでしょうか?

HM おそらく私たちのほうが『Electric Boogaloo』より数ヵ月早く撮影に入っていたはずですが、本当に偶然でした。他にもオーストリア人の監督が彼らについての作品を作ろうとしていたこともありましたし、イギリス人の監督による作品がそろそろ完成するころではないでしょうか。ですから、メナヘムとヨーラムに他の作品には協力しないでほしいと説得するのが大変でした。ヨーラムはもともとインタヴュー嫌いなので心配はなかったんですが、メナヘムがあのようにオープンな人なので止めるのに苦労しましたね。
近年このようにキャノン・フィルムズに関する映画が何本も作られているのは、いまがちょうどいいタイミングだからかもしれません。ファンも多かったわけですが、当時は彼らに対する批判もかなりありましたから、時間が必要だったんだと思います。またメナヘムが高齢だったので、私自身も製作中に早く完成させなければいけないという思いが強くありました。
『キャノンフィルムズ爆走風雲録』を作る前、(2010年に)ニューヨークのリンカーン・センターで彼らのレトロスぺクティヴが開催されたんですが、メナヘムとヨーランはそれぞれの道を歩み始めて(80年代末にメナヘムがキャノン・フィルムズを離れて)以降、その時に初めて再会したんだそうです。長年連絡もとってなかったそうで、その後私の作品の撮影に入ってからも、次第に打ち解けてはいきましたが、本当に和解してはいない状態でした。決定的な転機となったのは、カンヌ国際映画祭で作品を上映した時だったと思います。この先の人生が長くはないということもあったでしょうし、ふたりで共に歩んできた年月を振りかえって考えるところもあったのではないでしょうか。カンヌで様々な人から敬意のこもった言葉をかけられ――あのロマン・ポランスキー監督までもが一緒に写真を撮ってほしいと声をかけていました――、自分たちの作品がどれだけ愛されてきたかに気づき、お互いにいままでの怒りを忘れて元の関係に戻ろうと考えたのだと思います。そのとき、ヨーラムが私に言ったんです、「僕も(メナヘムと)一緒にキャノン・フィルムズを去るべきだった」と。そんなことを言ってくれるのは初めてのことでした。

――ジャン=クロード・ヴァン・ダムの大ファンなので、彼に取材をしたときの話をお聞きしたいのですが。

HM 良い質問ですね。メナヘムとヨーラムに対して批判的な意見も多々あるのですが、数々のスターを発掘してきた功績は認められるべきです。ヴァン・ダムは彼らが発掘した大スターのひとりなので、是非インタヴューしたかったんです。そこでヴァン・ダムのエージェント、家族や奥さんにも何度も電話をしたんですが、毎回インタヴューは受けるけれども今月は忙しいというふうに延期されてしまっていました。でもノーとは言われないので電話をかけ続けて、彼のアシスタント全員と知り合いになったほどです(笑)。
そうやって延期され続けたまま作品が完成間近となり、私は焦り始めていました。そんな折、私の友人がヴァン・ダムが滞在中のタイに行くことになり、万が一ヴァン・ダムに会うことがあれば2分でもいいからインタヴューをとってきてほしいと、カメラとマイクを託しました。するとその友人はタイのプールにいたヴァン・ダムにばったり会って、10分間だけインタヴューすることができたんです。ただ、その時にヴァン・ダムが出した条件がひとつあって、完成した作品を公開前に自分に見せた上で許可をとってほしいというものでした。それで彼に完成した作品(のソフト)を送ったんですが、彼は作品を観た5分後に電話をかけてきて私に怒るんです。「こんなにまじめな良い作品ならばもっと長い時間インタヴューに応じたのに」って(笑)。
ヴァン・ダムはそのインタヴューとは別に、メナヘムと彼の家族に「チャンスを与えてくれてありがとう」と個人的なメッセージも送ってくれました。彼はメナヘムとヨーラムが自分にチャンスを与えてくれたことに感謝していて、今でもその気持ちを持ち続けているんですね。取材を断ってきた人の中には、給料が安かったとか、撮影時間が長かったとか、作品の質が悪かったといった不満だけを憶えていて、感謝の気持ちを忘れている人もいましたから、ヴァン・ダムのように感謝の気持ちを忘れていない人に出演してもらえたのは素晴らしいことでした。

――今回のメナヘム・ゴーラン映画祭では、メナヘム・ゴーランが監督、製作した作品が上映されるんですが、上映作品の中でメダリア監督のお薦めの映画を教えてください。

HM 私自身はアート系の作品に共感をおぼえます。今回上映される『バーフライ』や『暴走機関車』(※今回は上映なし)などが好きです。ただメナヘム自身が一番好きだったのは『サンダーボルト救出作戦』ですね。『キャノンフィルムズ爆走風雲録』の最後でも一瞬だけ映るんですが、彼が「アカデミー賞を獲るべきだった」といっているのはこの作品のことだったんですよ。

――キャノン・フィルムズがハリウッドで旋風を巻き起こしたことで、イスラエルの映画界にも変化はあったのでしょうか?

HM イスラエル人にハリウッドを夢見るというチャンスを与えてくれたと思います。彼らはイスラエルで現地のスタッフを起用して撮影することもありましたし、また、『ブレイクダンス』のようにイスラエルの監督を招いてアメリカで撮影することも多かったですよね。『ブレイクダンス』のジョエル・シルバーグ監督はその後イスラエルに戻って活動することも多かったんですが、そのようにイスラエルとハリウッドの間の人の行き来がより自由になったと思います。

キャノンフィルムズ爆走風雲録 The Go-Go Boys: The Inside Story of Cannon Films – Golan/Globus
2014 / イスラエル / 89分 / 提供:日活 / 監督:ヒラ・メダリア / 出演:メナヘム・ゴーラン&ヨーラム・グローバス(キャノン・フィルムズ共同設立者)、シルヴェスター・スタローン、ジャン=クロード・ヴァン・ダム、ジョン・ヴォイト、チャールズ・ブロンソン他
11/14(土)よりシネ・ヌーヴォにて、11/21(土)よりシネマート新宿にて公開!ほか全国順次



<メナヘム・ゴーラン映画祭 イスラエル大使館コラボレーション企画>
11/14(土)~27(金)、シネマート新宿、シネ・ヌーヴォにて開催中!
メナヘム・ゴーランが監督、製作した計13本の作品を上映。
上映スケジュールはこちら


ヒラ・メダリア Hilla Medalia
ピーボディ賞受賞、エミー賞に3度ノミネートされた映画監督、プロデューサー。作品は批評家から高い評価を得て、国内外の劇場、HBO、MTV、BBC、ARTEなどの放送局で放映されている。主な作品に『To Die in Jerusalem』(2007年/HBO放映)、『After the Storm』(2009年/MTV放映)、『Numbered』(2012年/ARTE放映)、『Dancing in Jaffa』(2013年/トライベッカ映画祭、IFCサンダンスセレクション上映)、『Web Junkie』(2014年/サンダンス映画祭上映/PBS、BBC放映)、『キャノンフィルムズ爆走風雲録』(2014年/カンヌ国際映画祭上映)。最新作『Censored Voices』(2015年)は、サンダンス映画祭とベルリン国際映画祭にてプレミア上映され、今秋に劇場公開を予定している。

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