学生時代にザ・スターリンのライヴを企画した経験を持つ樋口泰人が、当時のことを振り返りながら、この作品で示される「遠藤ミチロウ」という生き方/音楽について記します。

ただそこにあればいい
文=樋口泰人
ザ・スターリンというバンドを知ったのは確か『DOLL』という音楽誌だったか、もしかするとその前身の『ZOO』だったかもしれないと不安になって調べてみたら、ザ・スターリンの結成が80年6月ということだったので、おそらくすでに『ZOO』は『DOLL』になっていたはずだ。いずれにしても、最初のソノシートは発売されてすぐに買った。発売は80年の9月だったと記録されている。その後多くのバンドがソノシートを作るようになり、日本でもようやく「インディーズ」という言葉や、方法が、つまりDIYとは何かということが身体的実感として定着し始めたような気がする。
わたしの友人が慶応大学の三田祭にザ・スターリンを招いたのは、同じ年の11月下旬のことである。三田祭といっても、正規に行われている三田祭の、賑やかで華やかな学祭のキャンパスの真っただ中に、実行委員会に無許可でいきなりパンクバンドが暴れ始めたらそれこそ本物の祭となるだろう、ということで企画された「反三田祭」というイヴェントだった。じゃがたらとザ・スターリンが出演した。本当に無許可だったから、相当な騒ぎになったと思う。翌年の反三田祭では、校舎の中で行われていた国会議員の講演会とぶつかって、そのSPたちに囲まれながらの開催だった。もちろん2回目も無許可である。ザ・スターリンには2年連続で出演してもらって、2年目は吉野大作&ザ・プロスティテュートも出演した。
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