
文=鍵和田啓介
本作の主人公であるテレーズは眼差してばかりいる。ある人を、ある状況を、ある虚空を眼差す。車のリアグラス越しに、濡れた窓越しに、カメラのファンタジー越しに眼差してばかりしている。しかし、彼女は眼差した対象に反応することができない。行動に延長することができない。なぜか。彼女は恐れているのである。対象と親密になることを。それでもなお彼女は眼差すことをやめないのは、彼女は対象に眼差すことを強要されていると見るべきだろう。彼女は眼差しを奪われているのである。
より正確を期すなら、テレーズは行動しはする。サンタクロースのキャップをかぶったり、キスをしたり、デートに行ったりしはする。しかし、それは眼差した対象に命令されてのことである。彼女はそれに服従しただけである。彼女に言わせれば、「ノーと言えないから、イエスと言っている」に過ぎない。なぜか。やはり彼女は恐れていると見るべきだろう。対象とノーと言えてしまう仲になることを。すなわち、彼女は行動も奪われているのである。
本作は、そんなテレーズの物語である。そんな彼女が、美貌の貴婦人キャロルと恋に落ち、眼差しと行動を奪い返す物語である。まず、テレーズとキャロルの出会いの場面を想起してみよう。テレーズの職場であるデパートの玩具売り場にキャロルが訪れる。先に眼差したのは、もちろんテレーズだが、彼女は眼差すだけだ。その眼差しに気づいたキャロルは、テレーズに接近するーーところで、原作ではこの場面において、2人が同時に見つめ合うということになっている。いずれにしても、そんな風にして2人は出会い、映画は動き出す。
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