今回載録するのはヴィヴィアン佐藤さんと篠崎誠さんをゲストにお迎えした回のトークイベントの模様です。ヴィヴィアンさんは青森県七戸町の町おこし、篠崎さんは監督作の『あれから』や4月23日(土)に公開される『SHARING』を通して、東日本大震災が起きた2011年3月11日、さらにラジウム・ガールズが生きた1920年代と繋がる現在のことを話してくれています。
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進行=松村正人
松村正人 司会をさせていただくのは5回目になりますが、今回は最もヴィジュアルインパクトの高い回ということで(笑)、本日のゲストは美術家で非建築家のヴィヴィアン佐藤さんと映画監督の篠崎誠さんです。
ヴィヴィアン佐藤&篠崎誠 よろしくお願いします。
松村 今回はおふたりとも話したいことがたくさんあるとうかがってますので、いきなりヴィヴィアンさんが最近東北の方で町おこしの活動をされているということから話に入りたいと思います。
非建築家という肩書きとともに
ヴィヴィアン 『ラジウム・シティ』の舞台が1920年代でしたよね。映画自体は1980年代に作られたもので、それを2000年代に私たちが観るということはそこに時間差があるわけです。この映画を現在見る行為、そこで語られている内容だけではなく、震災から3、4年経ちますが、私たちがみんなその間にどういうことを考えてきたのかということを、映画には直接関係なくてもそれを関連付けて思わざるを得ない。私はこういう出で立ちで、ドラァグクイーンというジャンルですけど、美術やアートもやっていたり、あと、実は建築家でもあるのですね。建築家といっても実際に建てられる建築、いわゆる「建物」という意味ではなく、いかに建てないで「建築」を作るかという、「非建築家」という肩書きを持っています。
松村 非建築家という言葉には語義矛盾がありますね。
ヴィヴィアン 矛盾はしてますけど、私は例えば「建築」と「建物」をまったく別に考えています。
松村 建物が建築じゃないんですか?
ヴィヴィアン 「建物」は英語で言うとbuildingです。一方、「建築」はarchitecture。建物の形でもいいですけれども、建物じゃなくても「建築」はつくり得るのではないかと思うわけです。建物は、コンクリートとか鉄やガラスで作っているからすごく頑丈で、雨風をしのげて、長く保つものだとみんな思っています。しかし実は100年保つ建築はほとんどありません。例えば、人が住まなくなったり、人が使わなくなったり、都市計画が変わっていくと、どんどん壊されていきます。私たちはバブルを経験していて、お金があるときには実現できたけれども、バブルが弾けてしまうとデザインが変わってしまったり、材料が変わったり、計画そのものがなくなってしまったりしてしまいます。そういう風に、経済が変わることでデザインが変わったり実現できなくなったりするのはちょっと許せないのです。建物というのは、むしろ現象的、フェノメナンなものであって、移ろいやすいものです。一方、私のいう「建築」というその考え方とか哲学の方が、実際の建物よりも建築的な意味でより強いものじゃないかと思っております。
私は建築をアートの一番の根底だと捉えているのですが、森美術館のこけら落としで「ハピネス展」という展示があって、そのときに6世紀の仏像が展示してあったのです。1400年前の仏像が展示してあるけれども、一方で、その箱である森タワーとか森美術館が1400年保つかといったら保たない。例えば、美術館やギャラリーで開かれる建築展は、建築の代理物の展覧会、要するに、建築物の写真だったり、図面とか模型が展示されている。そうではなく、「建築」そのものを美術館やギャラリー内に作り得ないだろうか。そういう風に思うと、建物ではなくてもダンスでも音楽でもいいし、なんでもいいのです。詩でもインスタレーションでも、建築的な意味的な強度の強いものだったらそれこそが「建築」なのではないのかという考え方です。
里山資本主義
ヴィヴィアン それで去年、青森の七戸という町で、そこは私には縁もゆかりもない町なのですが、前年のディレクターの方から町おこしをやって欲しいと言われてやることになりました。七戸は、一戸、二戸、三戸……というふうに1から9まであるうちの7番目の町です。青森は原発銀座と言われていて、有名な六ヶ所村もありますが、六ヶ所村から七戸は42キロくらい。例えば福島第一原発から42キロというと飯館村くらいだし、東京の日本橋から42キロといえば八王子くらいの場所です。
なぜ、青森で原発かというと、今でこそ品種改良でお米は穫れますが、農作物はもともとあまり穫れず、中世からの馬の名産地でした。しかし時代も変わり馬の社会ではなくなり、産業や雇用がなくなりました。冬の間は東京に出稼ぎにいくということが常識化されておりました。そういう地域だったわけです。六ヶ所村のあたりは日本の満州と言われているくらい非常に土地が痩せていて、住みづらいと言われていました。どうして原発を作らざるを得ないかというと、元々原発には海外にエネルギーを依存するのではなく、日本の中だけで回していけないかという考えが根底にあったのです。
松村 日本は資源がないですからね。
ヴィヴィアン 六ヶ所村には核燃料のリサイクル施設がありますが、要するに原発の燃料を海外に頼らないで、一回輸入してしまった燃料を何回もリサイクルできないかという考え方なのです。でも、それがどうして青森県に多いのかというと、経済的な理由です。周辺の三沢にも米軍基地があったりしてほとんど沖縄と似たような感じです。安倍さんが言っているような、強くて大きくて早い経済の考え方ではなく、もっと小さくて微細なゆっくりとした経済の考え方もあり得るのではないでしょうか。安倍さんが言っているのは一極集中の、ヒエラルキー的な価値観を基にした経済システムですが、東京という中心を否定するわけではないですけれど、そうではなく、いま流行りの言い方をすれば里山資本主義ともいうような、その土地土地の独自の微細な経済システムもあり得るのではないかと。こういうことを考えて、青森県七戸町だけのアイデンティティを見つけるためのワークショップを中心にやったわけです。
松村 七戸の町は実際行ってみてどうでした?
ヴィヴィアン 町中には全然人がいないです。あたかもゴーストタウンです。
松村 これはしんどいな、と?
ヴィヴィアン 青森だけが特殊なわけではないのですが、商店街にも全然人がいない。よく、日本全国の地方都市でイオンやダイエー、ジャスコなど大手商業施設ができたおかげで商店街が衰退した、諸悪の根源だと言われてますけれども、もしそれらすら無かったら、もっと実生活的にひどい状況だったりするのかもしれません。ですから、そこだけの時間であったり空間であったり、なにかその土地固有の価値観のようなものを、そこに住んでいる人自体が意識して気付いていくようなワークショップを考えたのです。元々、七戸町は平成になって近くの村と合併しましたが、それでも人口約1万6000人程度の小さい町です。例えば七戸と八戸で性質や規模は全然違います。八戸はものすごく大きな漁港町でもあり重化学工業地帯もあり、青森県で一番大きな商業都市でもあります。
松村 名前はよく聞きますよね。
ヴィヴィアン 八戸は城下町だという側面もありますが、漁業や重化学工業があります。青森市が政治都市で、弘前は昔の城下町です。七戸は、八戸とも六戸とも全く違うのです。規模も違うし、気候も違うし、穫れるものも違うし、町民の気質も違う。じゃあ、その中で七戸の人たちがどういったアイデンティティを持てるのかということです。七戸に行くとわりと面白いスポットがあるのですが、ある程度知識があって見ないと面白く立ち上がってこないのが特徴です。ディズニーランドや京都を例に取りますと、もちろん京都は深いのですけれども、中学生や外国人など、きちんと知識がなくてもなんとなく感動した気になってしまう街です。しかし、七戸はそうではありません。自分でちゃんと調べたり、考えたり、見ようとしないと、その魅力が一切立ちあらわれてこない町なのです。
ドラキュラ映画祭
ヴィヴィアン 七戸町から私に声がかかる数年前から、七戸を何かインパクトのある土地にできないかと町の人たちが考えておりました。七戸はニンニクの名産地。それからトマト。それも私たちが食べているようなトマトではなく、南米の原産に近いようなトマトです。それから、ヒナコウモリといって、以前は第二種絶滅危惧種だった小さなコウモリが、七戸のあるひとつの神社の社に日本中からそのメスだけが飛来してきて、そこで子供を2匹産んで育てるというすごくユニークな神社があります。また、中世の頃のお城があって、江戸の頃の高さのあるお城ではなくて、この辺(東京)でしたら赤坂にある今井城とか、渋谷の金王神社のような中世の城を中心に町が形成されております。「ニンニク」と「トマト」と「コウモリ」と「中世の城」で、じゃあドラキュラだということで(笑)、ドラキュラで町おこしをしようというのが既に3年程前に決まっていたのです。
松村 それはどなたのアイデアなんですか?
ヴィヴィアン 七戸の町民たちです。
松村 ヴィヴィアンさんを見て決めたというわけではなく?
ヴィヴィアン 私じゃないですよ(笑)。でも正確にはドラキュラではなくてヴァンパイアですよね。ドラキュラは固有名詞なので。そこが町民のちょっと浅いところですよね(笑)。
松村 なんでここで貶すんですか(笑)。
ヴィヴィアン 私がもうちょっと関われたら、ドラキュラ(ヴァンパイア)映画祭というものをやりたいと思っております。ドラキュラ(ヴァンパイア)映画というのは、B級から何から古今東西いろいろあります。岩井俊二さんや、ジム・ジャームッシュとか、みんな一度は撮りたがるではないですか。ドラキュラ(ヴァンパイア)映画と映画そのものの誕生はほぼ同時で、ドラキュラ(ヴァンパイア)は映画の同義と言えるのかもしれません。ドラキュラ(ヴァンパイア)の黒いマントは映画館の暗幕で、ドラキュラ(ヴァンパイア)に噛まれると永遠の命を得ることはスクリーン上で永遠の姿を残す女優そのものといえます。ドラキュラ(ヴァンパイア)映画のコンペみたいなものがあってもいいのかなと。
ちょっとここでスライドを用意します。
松村 ドラキュラ映画はひとつのジャンルですかね。
ヴィヴィアン ドラキュラ(ヴァンパイア)が出てこないドラキュラ(ヴァンパイア)映画もあります。
篠崎 僕は思い入れがあるのはそちらの系譜です。『呪われたジェシカ』、『ニア・ダーク 月夜の出来事』、『デッド・オブ・ナイト 溶ける顔』、『マーティン』。何といってもカール・ドライヤー監督の『吸血鬼』。止まらなくなるのでこのくらいにしておきます(笑)。
ヴィヴィアン (スライドで地図を出しながら)まず七戸はこの黄色いところですね。右のところが小川原湖というところですね。六ヶ所村はこの辺りです。
松村 それがだいたい42キロ圏内にあるということですよね。
ヴィヴィアン 八戸市がだいたいこの辺りで、この辺がNHK『あまちゃん』の種差海岸。これが十和田湖ですね。それでこの辺りが青森市。この辺りが弘前市。実は、津軽地方と南部地方は歴史的に仲が悪くて、明治政府が作った際にも、天皇側についたところと明治政府側についたところで戦争しているくらいです。それからこの辺が恐山。この辺が大間と言ってマグロが獲れるところです。原発もたくさんあります。
(スライドを変えて)これはドラマールと言って、当時ピカソの恋人だった女性をモデルにした絵です。ドラキュラとドラマールをかけて私は思い付いたのですが、要するにキュビズムの時代に描かれたピカソのこの絵のシリーズは、一つの対象を、時間軸であったり、内面だとか、いろいろなものを含めて様々な角度から描いていたということなのでね。今日で言えばネットに載ってる情報だけではなく、もっと埋もれた歴史や消しさられた出来事、いわゆる勝者の歴史だけではなくて、敗者の歴史もあり得るのではないか。町民にそういったものを掘り起こしてもらい、様々な角度から街を捉えて感じて欲しいということを考えました。フライヤーは『ロッキー・ホラー・ショー』のパクリです(笑)。
篠崎 かっこいいですね。
ヴィヴィアン 映画のようなフライヤーを作りました。裏には新宿区長さんやいろいろな美術館長さん、ケイタマルヤマ(丸山敬太)さん、野宮真貴さん、東ちづるさんだとか、様々なジャンルで活躍されている人のコメントを頂き、まるで1本の映画のようなチラシを作りました。ワークショップでこういうことやりますよ、みたいな内容です。
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