フランスで『地獄の黙示録』が劇場公開されたのは1979年9月。その時の「カイエ・デュ・シネマ」では、当時セルジュ・トゥビアナさんと共同編集長を務めていたセルジュ・ダネーさん、そしてジャック・リヴェット監督作品などの脚本家、映画監督としても知られるパスカル・ボニゼールさんが同作を論じていました。ここでは特にダネーさんの批評を中心に読み解きながら、『地獄の黙示録』という作品が同時代にどのように受け止められていたのかを探っていきます。

「アポカリプスは失望させる」とセルジュ・ダネーは書いたが、はたして……
文=松井宏
『地獄の黙示録』(79)の上映がはじまる。かつて2001年、東京国際映画祭でも上映された『地獄の黙示録・特別完全版』(01)とは違う、いわゆる劇場公開版の上映とのこと。特別完全版を見たのは、たしか渋谷Bunkamuraの、しかもオーチャードホールだったと思う(記憶違いかしら?)。ほんとにヘリコプターがホール内をぐるぐる回っているみたいな錯覚に陥ったことを記憶していて、あれはまあ、すごかった。あれ以来『地獄の黙示録』は見直していない。もう15年も前か……。そうそう、その年は相米慎二監督がなくなった年でもあって、東京国際映画祭では『魚影の群れ』(83)も特別上映されたのだった。スクリーンではじめて見る『魚影の群れ』は、これまたとてつもなくて、マグロの群れとナパーム弾が当時の自分のなかではまったく同じもののように、感じられた。そこには興奮もあったが、同時に、ああ、なにかが決定的に変わってしまったのだなあ、なんていう漠然とした感覚もあった。2001年というあの年……。相米とコッポラ。全然違うけれど、なんだか似ている気もしてきた……。まあそんなことはどうでもよいのだが。
ということで、せっかくなので、というかboidの樋口泰人さんに言われて、『地獄の黙示録』公開当時、いったい「カイエ・デュ・シネマ」ではどんなふうにこの作品が扱われたのか、調べてみることにしたのです。そして結論から言うと、その号は見つかりませんでした。はい。302号(1979年7-8月号)というのがまさに劇中のマーティン・シーンが表紙になっていて、これが7-8月号で、カンヌ国際映画祭+『地獄の黙示録』特集のようだ。だが、おそらく日本でも屈指の「カイエ」コレクターである梅本洋一さんの自宅に、その号が存在していない。残念。ちなみにその前後の号も20号ほど見事に抜けていた。うーん、フィルムセンターの図書館に行けばあるのかな? ともふと思ったけれど……すみません、もう面倒なのでこれ以上探すのはやめました。

左が「カイエ・デュ・シネマ」302号、右が同304号の表紙
代わりに、と言っては大変失礼な話なのだが、304号(1979年10月号)にセルジュ・ダネーとパスカル・ボニゼールによるクロスレビューがある。『地獄の黙示録』フランス公開時のもののようだ。ちなみにこの304号の表紙はピアラ。たぶん『ルル』(80)の撮影風景で、ピアラとユペールとドパルデューがカフェに座っている写真だ。こうして表紙を見ていくだけでも、雑誌というのはおもしろい……。
いや、『地獄の黙示録』の記事である。というのもこの記事は「カイエ」が出している書籍シリーズ「『カイエ・デュ・シネマ』アンソロジー」のなかの1冊、『アメリカの味わい』に所収されているのである。「『カイエ』におけるアメリカ映画の50年」と副題にある通り、「カイエ」が創刊された1950年代から1990年代までの、雑誌内でアメリカ映画について書かれた記事をアンソロジーとして集めたこの書籍(出版は2001年!)。「カイエ」にとってアメリカ映画は特別なものである。だからこの本は「カイエ」の歴史とアメリカ映画の歴史を同時にたどるという、名文揃いのとても良い本なのだが、まあそれはまた別の話。しかしまあやっぱり「カイエ」って歴史があるんだよなと、ふとため息が出る。
さて、この記事が書かれた1979年、当時まさしくダネーは編集長(セルジュ・トゥビアナとの共同編集長)。60年代後半から70年代前半にかけて、「カイエ」は時代の流れとともにマルクス主義やら精神分析やら記号学やら、そしてマオイズムへと、どんどん傾いてしまい、もはや難解すぎてわけがわからなくて誰も読者なんていない、という感じだったらしい。もちろん、バルトやフーコーなどの思想家たちと密接な関係を築いて、彼らをより映画へと近寄らせた功績はとても大きいとは言え、まあでも、とにかくいつしか「カイエ」は「作品」というものについて語らなくなっていってしまった。で、トリュフォーやなんかから叱責を受けて、ダネーとトゥビアナは73年、あらためて具体的な映像と音響について、作品について、そしてとりわけアメリカ映画について語るのだ、ということで編集長をスタートさせた……。という、まあこんな歴史どうでもよいかもしれないけど、とにかく、そんな再スタートをきって数年経った当時の「カイエ」の、35歳の編集長セルジュ・ダネー。その2年後、81年には「カイエ」を去ってしまう彼は、では、いったいどんなふうに『地獄の黙示録』を見たのだろうか……。

ダネーはまずこう書く。『地獄の黙示録』にはたったひとつの物語=流れがあるのではない。4つの〈流れ=遡行=川のぼり〉があるのだと。「具体から抽象へ:戦争」「息子から父へ:ゴッドファーザー」「自己と他者:アメリカ」「スペクタクルと、スペクタクル的人間:コッポラ」。なんだかちょっとおもしろそうな感じがしないだろうか。
まあ本来ならこの文章を丸々訳すのが誰にとってもよいわけで、こんなふうにぼくがかいつまんで書くことにとても負い目を感じるのであって……、なんだか申し訳ない。でも、とりあえず書いてみる。ダネーは『地獄の黙示録』を新たなタイプの戦争映画だと語る。そこでは、描かれる戦争に対してどのような立場を取るのか、ということがまったく問題にされない。
「ホークス、ウォルシュ、あるいはフラーにおいては存在したシーン、つまり兵士たちがたとえば目の前の戦争について語り合うようなシーンが、ここにはない。あるいは戦争一般の恐ろしさを問いかけるような兵士たちの言説も皆無。だから『地獄の黙示録』のなかに、ヴェトナム戦争でアメリカがなにをしたか、それに関してこの作品がどんな立ち位置を取っているのか探すのは、まったく無意味なことだ。『ディア・ハンター』(78)同様、この作品は政治的には記憶喪失じみている。ただチミノにおいてその特徴は、反動的な内向という観点から生まれているが、コッポラにおいて歴史的な次元というのは、身体的・具体的なものから形而上的なものへの直通によって一挙にショートカットされている」
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