boidマガジン

2016年04月号 vol.3

大音海の岸辺 第27回 後編 (湯浅学)

2016年04月23日 21:39 by boid
2016年04月23日 21:39 by boid
「大音海の岸辺」第27回はプリンスの追悼企画をおおくりしています。後編ではプリンス&ザ・ニュー・パワー・ジェネレーション名義で発表された『ダイアモンズ・アンド・パールズ』『ラヴ・シンボル』、一度は発売中止になった『ブラック・アルバム』、3枚組の大作『イマンシペイション』のレビューを掲載。そして湯浅さんが今回新たに書き下ろしてくれた解説では、プリンスが湯浅さんにとってどんな存在だったか、何を教えてくれたのかが語られています。

『ダイアモンズ・アンド・パールズ』



文=湯浅学


プリンス&ザ・ニュー・パワー・ジェネレーション『ダイアモンズ・アンド・パールズ』

 高揚感というものがなかなか得られずに首をひねりつつ何度も聴いた。そんなはずはない、と思う一方でやっぱり、という思いもないわけではなかった。『グラフィティ・ブリッジ』のあのいまわしいインナー・トリップぶりで見切りつけるべきだったんじゃないか、とさえ思ったのだ。これぐらいのアルバム、作って当たり前なんじゃなかったっけ? それが正直な第一印象であった。
 まるで"スターズ・オン・プリンス”。それもプリンス自身の手による。自分で自分のカヴァー/替え歌/パクリ/再構成、ずいぶんあります。この曲はあの曲のここんとこ、ぐらいならまだしも曲のイメージがそっくり踏襲されているものがなんだか1曲おきに出てくるように思えたりして。自分で自分を再構成するのがよくない、といっているのではない。パターンにはまり切ってそれで押し通す頑固さならむしろ強く支持する。故林家三平、柳亭痴楽、どちらも俺の人生において大きな影響力を持つ人である。これまでにもプリンスは、いやプリンスにかぎりはしない、年数を重ねれば重ねるほど、一般的・最大公約数的嗜好傾向をあえて放棄してきた創作者だとて何らかのかたちで自分で自分のカヴァー・ヴァージョンになることによって生きのび・失地を回復し・ジレンマを克服してきた。自分で自分のカンフル剤となり脳内麻薬を醸成してなんとかやっていく。
この続きは無料購読すると
読むことができます。

関連記事

映画川 『地球に落ちて来た男』 (川口敦子)

2016年04月号 vol.4

人と伝書鳩~東北編~第1回(ヒスロム)

2016年04月号 vol.4

無言日記 第24回 (三宅唱)

2016年04月号 vol.4

読者コメント

コメントはまだありません。記者に感想や質問を送ってみましょう。

バックナンバー(もっと見る)

2018年12月号

【重要なお知らせ】 boidマガジンは下記URLの新サイトに移転しました。 h…

2018年11月号

【11月号更新記事】 ・《11/25更新》三宅唱さんのによる「無言日記」第37…

2018年10月号

【10月号更新記事】 ・《10/30更新》冨田翔子さん「映画は心意気だと思うん…