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2016年09月号 vol.4

ファスビンダーの映画世界、其の二 (明石政紀)

2016年09月30日 23:55 by boid
2016年09月30日 23:55 by boid

ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーの著書『映画は頭を解放する』(勁草書房)やインタヴュー集『ファスビンダー、ファスビンダーを語る』(2013年に第1巻、昨年の8月に第2・3巻(合本)発行)の訳者である明石政紀さんが、ファスビンダーの映画作品について考察していく連載「ファスビンダーの映画世界」。映画を撮り始めるまでのファスビンダーの履歴を追った初回を経て、今回からいよいよその映画世界に足を踏み入れていきます。まずは現在観ることができる最古のファスビンダー作品である、短編『宿なし』のことから――



ファスビンダーの映画事始め――短編『宿なし』と『小カオス』


文=明石政紀


 多くの映画作家が短編から映画作りをはじめるように、ファスビンダーも短編から映画をつくりはじめた。ベルリン映画テレビ・アカデミーの入試実技の8mm短編(これは紛失)、その直後にミュンヘンでスーパー8mm短編(これも紛失)を撮ったあと、ファスビンダーは1966年の11月から翌年の1月にかけて『宿なし』と『小カオス』という10分ほどの 短編映画を二作つくった。ファスビンダー本人の言によれば、両方とも35mmで撮られた本格的映画ということになっている[*1]。『宿なし』のほうは一般に16mmだとされることが多いが、これは16mmのコピーしか残っていないということなのかもしれない。とはいっても16mmか35mmかという問題より、それが今でも観られることのほうが重要だ。
 このふたつの短編、のちのファスビンダー映画の見紛うことなき特徴となる映画のなかの出来事の対する創造的な距離、それを可能にするための意図的な様式化、無愛想な愛情の深さ、俳優に対する夢遊病的に的確な演出といったものはまだ見られないが、それでもファスビンダーがこのころから映画的手法をよくわきまえていたことがうかがえるし、のちの映画に通じていく態度や姿勢、素材や要素がすでにあらわれ、この人が一貫して「自分ならではの作品」をつくることに徹していた作り手であるのもわかる。
 このふたつの短編、当時の同棲相手クリストフ・ローザーにお金を出させてつくった映画でもある。セールスマンとして働いていたローザーは俳優志望で、この二本の短編で主演者もつとめているが、主演することが出資の交換条件だったのかもしれないし、ファスビンダーが主演させてあげるからと出資を説得したのかもしれない。そのほかの映画参加者もほとんどが当時のファスビンダーの身近にいた人たちで、映画偏愛仲間のミヒャエル・フェングラーは録音担当、出演者、撮影担当として各種役割を果たし、ファスビンダーが通っていた俳優養成所のクラスメート、ズザネ・シムクスやマリーテ・グライゼーリスも役者として顔を出し、一時期同居することになるイルム・ヘルマン、お母さんのリーゼロッテも映画初出演をしている。そのほかのスタッフや出演者については調べてみてもよくわからないが、こうした人々も身近な人脈を通じて知り合ったのだろう。そういうことを詮索するより、まずは映画そのものの話。
 それでは1966年11月に撮影された『宿なし』から。


ファスビンダーの短編映画、其の一
『宿なし(都会の放浪者)Der Stadtstreicher』



 「放浪する物語」ならぬ「愚弄される話」としての『宿なし』

 今でも鑑賞可能なこのファスビンダー最古の映画、「都会の放浪者」との訳題で呼ばれていることが多いが、これはふさわしいタイトルとは言えないだろう。
 原題の「Stadtstreicher」は、街を徘徊する者、街をうろつく奴、浮浪者、宿なし、といった侮蔑のこもった突き放した言葉で、そこには「放浪者」の語が喚起するようなロマンチックな含みはないからだ。ひょっとするとこの「都会の放浪者」なる訳題、ドイツ語原題ではなく、英語訳題の「City Tramp」をお行儀よく翻訳してしまったせいなのかもしれない。とにかくここでは原題に即し、『宿なし』という無愛想なタイトルを一貫して採用することにしよう。
 それにこの映画、観てみると内容の重点は「放浪」ではない。「愚弄」である。社会のなかで居場所を失ってしまった宿なし浮浪者が、拾った拳銃をきっかけに、ほかの人間に愚弄されるという「いじめ」の物語、抑圧の話なのである。もうのっけから、いかにもファスビンダーである。
 こういう内容だ。街を徘徊している宿なしの男が、橋の上で拳銃を拾い、最初のうちは拳銃を捨てようとするのだが、それがどういうわけだか手元に戻ってきてしまう。そのうち宿なしは、自分の居場所のなくなった非情な世からおさらばするため、この拳銃で自殺することに思いを馳せるようになる。ところが最後には、背後霊のようにつきまっている謎の二人組に拳銃を奪われ、死ぬことさえできない。じつはこの拳銃、この背後霊二人組が、宿なしを愚弄するために仕掛けた罠だったのではないか、というお話なのである。
 ひょっとするとこの映画、そのへんの脈略がわかりにくいかもしれない。というわけで映画をもうちょっと詳しく観ていくことにしてみよう。
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