
文=梅田哲也
写真=アプト
いつかの11月1日、フィリピンではお盆にあたるその日、マニラ市内の墓地を何カ所かまわりながら、老人から子どもまでが墓石と朝まで添い寝する姿を眺めていた。マニラの夜は暗い。大通りから一歩路地に入ると、雑然とした街の風景のほとんどが闇に消えてしまう。その闇と、店先の蛍光灯や少ない街灯に照らされた箇所とのコントラストが、マニラ特有の街の臭いともとてもよく似合う。そんななかきこえてくるカラオケと、人々の喧噪。大きな墓地では出店が並び、ステージが準備されて、ちょっとした祭りのようだ。お金持ちの良家は門つき屋根つきの立派なお墓を建てていて、家族や知人がこのなかに集まって、朝までの時間を死者と共に過ごす。小さいお墓では、積み上げたブロックのひとつひとつに骨壺が収納された簡易的なものもあって、家族や知人から献花されているものもあれば、排気ガスの色に染まって、もう何年もただそこに存在しつづけているようなものもある。先日の熊本の地震のとき、祖父母のお墓の石が倒れて割れてしまっていた。墓屋に修復を注文しているが、今はどこの墓地もこんな状態だから忙しくて手が回らないのだ、という母親の説明をききながら、地下の空間に並んだ骨壺を覗き込む。いくつかの壷が壁沿いできれいに並べられていて、それらの隣りにはまだ十分なスペースが、これからのひとたちを迎え入れるために空けられていた
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