

文=Soi48
写真=山口貴裕
おかげさまで大好評だった「爆音映画祭2016 特集タイ|イサーン」のモーラム・コンサート。様々なお客さんと話していると一番好評だったのがウパニ君のケーン独奏だった。「ケーン1本でこんなにグルーブが出るとは驚きました」、「ケーンで覚醒しました」などという嬉しい声をいただいた。渋谷の真ん中でケーンの音が鳴り響き、そのグルーブだけで満員のお客さんが踊る光景は主催者の想像をはるかに超えていた。ステージ上で「ケーンの音色は非常に中毒性が高いです。イサーン人はこの音を聞くと覚醒します」と勢いに任せて手短に解説したが、より深く知りたい人のために今回のboidマガジンではイサーンの成り立ち、ケーンにまつわる話を紹介してみたいと思う。
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潮州出身の華人タークシン王は1767年にトンブリーに王朝をひらいた。その時、現在まで続くチャクリー王朝の初代王であるラーマ1世はタークシン王に仕えていた。そのラーマ1世はタークシン王の指示で現在のラオスにあたるヴィエンチャン王国を侵攻した。ヴィエンチャンを破ったラーマ1世は人質としてヴィエンチャン王の息子アヌウォンを連れて帰った。同時に農業、運河建設の労働力として数万人のラオス人がタイ中部へ強制移住させられた。のちにタークシン王は政治混乱を起こし、トンブリー王朝はわずか15年で終焉を遂げラーマ1世が即位した。1782年、ラーマ1世はトンブリーからチャオプラヤー川を挟んで対岸である東岸にバンコクを建設し遷都した後、チャクリー王朝を興した。先日ラーマ9世が崩御したが、このチャクリー王朝こそが現在まで続くタイの王朝になっている。
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