ヒスロムの先月の活動を写真、テキスト、動画で記録するヒスロム日記。ポーランド、ウジャドゥスキー城現代美術センターでの展示のためのリサーチで3人では初の海外滞在の模様を伝えてくれています。街中や、不思議な木の生える森などを訪れ、炭鉱と伝書鳩の関係についても発見があったようです。





文・記録=ヒスロム


ヒスロムとしては初めての海外滞在。3人とも英語は話せないし、もちろんポーランド語も話せない。自分は特に話せないかもしれない。けどこの問題は海外だけでなく、よく日本でも友達におまえ耳わるいな、聞いてた、時間差、日本語話せる等とよく言われる。そういう意味ではどこへ行ってもおんなじか、と思いながらもやっぱり話せないのはつらい。通訳をしてくれているまっこいさんは目いっぱいの英語と日本語を使って話を伝えようとしてくれる。キュレーターのアナも必死に言葉を伝えようとしてくれる。ときには英語文法レッスンもしてくれるもんだから、なんとか橋渡れてますよ。ほんと一歩一歩だなと感じながら、その一歩をヒスロム3人でどう踏みしめていけるか考えている。これから先、ここで自分たちは何ができるだろう。作れるだろう。3週間の滞在を終えて日本に帰ってきてからも、未だわからずにいる。


11月2日-11月24日 ワルシャワ

いまの季節が好きじゃないひとが多いのはなんでだろう。こっちにくる前からアナは、10月以降は寒いし、暗いし、最悪だからぜったいやめた方がいいよ、って言ってた。現地、ポーランド語の通訳をしてくれるアーシャも、んーこっちのひとたちはあんまり好きじゃないかな、って言うし。たしかに寒いし、日はみじかい。いまの気温は日本だと青森にちかいかな。いまの青森はこのくらい寒いのかな。昼すぎには夕やけ空になる。4時には暗くなるからか、いつも朝7時から工事のおじさんはトンカンしてる。滞在しているウジャドゥスキー城現代美術センターのレジデンシーには冷房がないらしく、来年の夏にむけてその設備工事をしているんだって。ありがたい。夜6時くらいにはもう眠たくなってくる。時差ボケかな、いや、これは夜が長いからでしょう。じゃあこれは何ボケっていうのかな。場所に慣れてないってこと?これを時差ボケっていうのか。むしろ地差ボケ?

街には大きな建てものがたくさんあってとにかく横に長い。道路に沿うようにしてドーンドーンと建ち並んでる。建てものにはたいてい大きな格子の門扉があって、カギが掛かってる。なかに入ると、中庭になっていて空がぽっかり抜けて見えている。外は寒いからみな重ね着してコート着て歩いてるんだけど、それがまた似合ってるんだよなあ。こないだミラノ行ったとき、ちょうど母の日だったかな、女性の日って言ってたかな。ちょうど日も暮れたころ、ごはん食べるお店はどこも賑わっていて、お店の外で、いらっしゃいませ、と言ってるスーツを着てドレスアップした黒人の男の人がめちゃくちゃかっこよかったなあ。手足がスラッとしてて、まっ黒なひとがまっ白なシャツを着て、まっ黒なスーツに身を包んで立ってる。そんなひとに声をかけられると、とたんに映画のワンシーンに入り込んでしまったというか、自分が女の人になったような気分になってしまって。心を奪われるっていうのはこういうことなのかな。本人もきっとわかってるんだな。今日は女の人の日だから。街には他の国の人がとても少なく感じる。ちょっと郊外に行くとどれも似た一戸建ての住宅街にでる。ここは日本でいうニュータウンか。ある晩、ケバブ屋で仲良くなったカーズンは大の日本好きで、オタクです。カーズンは日本語でいとこの意味らしいです。たこ焼きをふるまいました。そしたらポーランド独立記念日の夜、お家によんでくれました。彼は一生懸命つくったポーランド料理をたらふくごちそうしてくれました。彼のお兄ちゃんコンラードと、幼なじみのルーカスと3人で住んでいます。みんなすごくいいヤツです。カーズンはお金をためて、来年の春、日本に来ると言ってくれました。だからお花見の約束をしました。ポーランドの物価は日本の1/3くらいです。来るのは大変だけど、会えることが楽しみです。街の中心、ど真ん中には、とてつもなく大きな建てものが突っ立っている。そのどでかい建てもの、文化科学宮殿はスターリンからの贈り物だそう。んー、ポーランド人はみんな好きじゃないなー、っとアーシャは言う。

アル中患者のおじいさんはゆっくりとした足どりで船内を案内してくれる。ここは操縦室、ここは機械室。ここは寝室になるんだ、といってペーパーで間仕切られた部屋を指さして教えてくれる。甲板にあがると大きなマストがしっかりと空を向いてる。鉄でできた大きな船は動かず静かに北のほうを向いてる。この場所、ワルシャワ郊外にあるウルススという地域は戦前から機械を作る工場町として栄えました。戦後も共産主義のもと、たくさんの労働者によってトラクターなどの農機具を生産してまいりましたが、1989年、民主化にともない衰退しました。そして、いくつもの工場が閉鎖を余儀なくされました。そしてひとが居なくなった場所は荒廃していきました。この町でわたしたちは育ちました。いまの町の状態はかなしいです。だからなんとかして、ふたたび活気を取りもどしたいです。むかしの、たくさんひとが居て、賑わっていた町を見たいのです。と、話しながらジャスミンさんとジェイコブさんは工場を案内してくれる。年季の入った高炉からアツアツドロドロのアルミニウムが出てくる。またべつの機械に流し込んで型をとる。蒸気まみれに作業するおじさん。できた型からトンカンとバリを剥くおじさん。何言ってるかわからないけど、笑顔の素敵なおじさん。歓迎してくれているのかな。来年の夏にはこの船に乗って海に出るんだ、とアル中おじいさんは言う。船のすぐとなりにあるアルコール依存症治療施設に住みながら、ずっと毎日つくってるんだろうな。船をつくり続けて何年経つんだろう。もうアル中なおった?ここから海までは遠いよ。海まで500キロ。1日100キロ、ゆっくりと時間をかけて、過ぎてく景色を見落とさないように。出航から結局2週間経ったある朝、遠くに海が見えてきた。待ちにまった海だ、バルト海だ。後ろを見返してもウルススは遠くて見えない。前を見るんだ、潮の流れがかわるぞ。風をつかまえろ。急げ、ビールを出せ、祝杯の準備だ!もうきっと帰ってこないんだろうな。

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