今週の映画川は、4月22日公開の映画『PARKS パークス』(瀬田なつき監督)を取り上げます。井の頭公園と吉祥寺を舞台に、50年前に作られた歌を完成させようとする若者たちの姿を描いたこの作品について、映画評論家の川口敦子さんが、瀬田監督の過去の作品や本年度のアカデミー賞最有力候補のミュージカル映画『ラ・ラ・ランド』(デイミアン・チャゼル監督)との繋がりを踏まえながら論じてくれます。
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文=川口敦子


 オスカーめがけ"賞レース”の先頭を往くデイミアン・チャゼル監督作『LA LA LANDラ・ラ・ランド』。見るうちに、少し前に出会っていた瀬田なつき監督の快作『PARKS パークス』の見逃し難い影がじわじわと濃やかに蘇ってきた。
 前作『セッション』でも感じた監督チャゼルの撮りっぷりの、どこかもったりとした歯切れの悪さ。正直言えば今回もそのオープニング、本来ならばおおおっと手放しでうれしく幸福になり得るはずの渋滞のLAフリーウェイ上のダンスナンバーにもそれを噛みしめたりもしたのだが、それでも売れないジャズ・ピアニストと女優の卵が喧嘩しながら恋に落ちる、要は往年のハリウッドの恋愛映画の黄金のパターンを律儀に射抜く展開に、はたまたそこでアステア&ロジャーズを仰ぎ見つつなぞられる恋のダンスをどこまでも全身の入るサイズと構図で切り取ってみせるミュージカル映画への正しく頑固なリスペクトの表明の仕方に、小姑じみた文句もいつしかひっこんで、やるじゃないのと新鋭監督の試みの心を眩しく受け止めてみたくなる。何よりも"ハリウッド”という時を超えた(あるいはいくつもの時を抱え込んだ)懐かしい場所への恋物語に他ならない映画に素直に巻き込まれてみたくなる。この多幸感、有頂天の気分、そうしてその底に微かに染みていく寂寥――ああ映画って、ハリウッドのミュージカル・ロマンスって――なんてワクワクしつつ、ひょっとしたら監督チャゼル、瀬田監督の映画をどこかで見ていない!? と、いきなり訊いてみたくもなる。
 お気に入りのミュージカル映画のリスト(「LAタイムズ」2016年12月3日)に「必ずしもミュージカル映画ではないけれど」と前置きしながら「どうしても外せない」とクレール・ドニの『美しき仕事』のドニ・ラヴァンの場面を挙げ、来日記者会見では鈴木清順『東京流れ者』のポップな色彩が無意識のうちに『ラ・ラ・ランド』に入り込んでいるかもといった発言もあったという"旺盛な観客”チャゼルだけに、もしかしたらといきなりの妄想を膨らませてみたくもなってくる。こんなことならさぼらず会見に出かけてみるのだったなどと怠惰を悔いてもあとのまつり――。だが、そういえばまさに『あとのまつり』と銘打たれた瀬田監督の素敵に愛らしい中編の"今、ここ”をはさんで向き合う未来/現在と過去/現在の中で、軽やかに走り、出会い、踊ってキスをするボーイ・ミーツ・ガールの物語は、アンナ・カリーナをミューズとした時代のゴダール、そこに見出せるハリウッド・ミュージカルへのかわいい憧憬を睨んでもいて、それはまた『パークス』で吉祥寺サンロードをルーブルのギャラリー然と朗らかに駆け抜ける3人組の後姿が想起させる『はなればなれに』の影にも確認できるだろう。そんな60年代ヌーヴェルヴァーグ経由のハリウッド・ミュージカルへの眼差しは実の所、ハーバード大在学中に撮られて注目されたチャゼルのモノクロ・ミュージカル『Guy and Madeline on a Park Bench』にも(予告編で確認する限りにおいてだが)見て取れる。20世紀の終りに生まれた(乱暴にくくれば)ほぼ同世代のふたりの精鋭監督の意外なほどの共振に急き立てられてこれまできちんと見てこなかった瀬田監督の過去作と改めて向き合ってみると、妄想めいた予感がいよいよ確信みたいになってきてさらなる興味をかきたてる。実際、東京藝術大学院映像研究家第二期生終了作品集に収められた瀬田の『彼方からの手紙』をめぐる評で「突飛な前衛的快作でありつつ、みごとなハートウォーミング・コメデイでもある形容しがたい、これこそ映画の奇跡と呼びたい一作」と筒井武文氏が看破した直後、続けて「これに号泣しない人とはお付き合いしたくないとまで思わせる」と迸る映画への想いを熱く語ってみせれば、あたかも呼応するように、チャゼルの一作のプレスに寄稿された佐藤友紀氏のコラムは「『ラ・ラ・ランド』が好きじゃない人間なんて・・・」とのタイトルを掲げ、ここにも思いがけないシンクロが成立してしまっている。
 とまあなんだか強引な例になってしまったが、この際、もうひとつ気にしてみたい名前として浮かんでくるのがスタンリー・カヴェル。チャゼルがハーバード大に学んだ頃には既に教壇を退いていたものの、同校映像アーカイブス創設にも関わった哲学者カヴェルがものしたハリウッド黄金期の恋愛コメディ論をふまえた「NYタイムズ」紙マノーラ・ダーギス女史のインタビュー(2016年11月23日)に、恋愛コメディの嵐のような台詞の応酬でなくダンスだけで語り尽くすミュージカルの尖りを指摘して、何食わぬ顔で実験性を究めているこのジャンルへの想いを育んだと気鋭は述懐している。そんなチャゼルのミュージカルでエマ・ストーン演じるヒロインの衣裳がカヴェルの説く"グリーン・ワールド”(都市を出て再生するヒロインが向かうアメリカの田舎)をふまえるように緑を基調にしているのも偶然とは思えなくなってくる。かたや瀬田は他ならぬそのカヴェルの著作『幸福の追求』に修士論文で取り組み"再婚の喜劇”、30~40年代ハリウッドのスクリューボールコメディを研究したことで自作でも「あるカップルが別人として再生し出会い直すという関係性や、反復が螺旋となる物語を描けたらと思った」(「nobody」39)と振り返る。そのウェブドラマ「レンアイカンソク」や商業映画デビュー作『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』の、幼なじみのふたりの軌跡は逞しく研究の成果を刻んでみせる。後者はとりわけ陰惨な背景を呑み込みながらも清澄な朗らかさを手放さない瀬田という監督の描く世界の美質を証しているように見える。ここでも鍵となる写真、そこに掬われた"今、ここ”。その反復と再生と螺旋となる物語。同様に時の重層性を孕み、「懐かしい未来」と「憧れた過去」とが帰り着く現在として互いを照射しあうような『彼方からの手紙』と『パークス』。ソラリスの時空ともみえる過去/未来――ここでない今/彼方との往還。
 階段、自転車、少女、ベランダ、見下ろし見上げる視線――とお気に入りの語彙を豊かに深めつつその世界をいっそう大きな物語へと開いてみせる瀬田の最新作はまた、横浜黄金町という一つの時空のいくつもの今をそれぞれの人/眼差し/窓から切り取った『5 Windows』とも通じるひとつの場所をめぐる映画でもある。吉祥寺という街。そうして井の頭公園という"グリーン・ワールド”を背負ってそれぞれに不完全な現代の3人と、60年代の3人とがその恋や人生を再生しようとする様を、相変わらずの明澄さで讃える。桜と水と風と音楽に包まれながら終わりが始まりへとなだれ込む。あのミュージカル的多幸感と共に。それは、もうひとつの現実を夢見て物語へと帰り着く『ラ・ラ・ランド』のエンディングとももう一度、共振するかもしれない。
 いっぽうでバウスシアターという映画館の終りから始まった映画でもある『パークス』は終焉という現実から物語を切り拓き、もう一度始まりへと向かう。物語をそのまま生きられないとわかっている現実とそんな現実をやわらかにのみこんでいく物語とが融け合う場所。その懐かしさ。繰り返し帰っていきたいそこは父の遺した写真、祖母の遺したオープンリールテープ、ふたりともうひとりのいた時空とその音楽、とどまるか、なくなるか――自分に確信が持てないヒロインと物語を書く少女とラップする青年、とても今な3人のいる覚束ない時空と私たちの音楽、それぞれの現実と物語を息づかせ、それをここでない今/記憶という彼方からの手紙の置き場所とする。
 銀幕と名づけてもいいそこを幸福にするための微かな寂しさを心得て『パークス』は輝き、その点で再び『ラ・ラ・ランド』との近さを思わせる。新世代の精鋭ふたりの光り方、二本立てでぜひ!


PARKS パークス
2017年 / 日本 / 118分 / 監督・脚本:瀬田なつき / 音楽監修:トクマルシューゴ/ 出演:橋本愛、永野芽郁、染谷将太、石橋静河、森岡龍、佐野史郎
4月22日(土)よりテアトル新宿、 4月29日(土)より吉祥寺オデヲンほか全国順次公開
公式サイト






川口敦子(かわぐち・あつこ)
映画評論家。著書に『映画の森―その魅惑の鬱蒼に分け入って』(芳賀書店)、訳書に『ロバート・アルトマン わが映画、わが人生』(アルトマン著、キネマ旬報社)などがある。