青山真治さんによる日付のない日記「宝ヶ池の沈まぬ亀」第8回は、東京上映を終えた『はるねこ』と共に向かった名古屋と伊勢への旅、地点+空間現代による『ロミオとジュリエット』公演、そして常に意識の中にいた俳優ジョン・ハートと16年間生活を共にした愛猫の死が記されます。




文=青山真治



8、亀は沈むよ無帽のままで

某月某日、徒然と流れ、柄本明氏演出、柄本佑・時生御兄弟がジジとゴゴを演じる『ゴドーを待ちながら』を下北沢ザ・スズナリで拝見してからも幾許かの時が経過しており、それはもはや「家業」と呼ぶに相応しい感動的な上演だったが、同様に「家業」であったマキノに何度も想いを馳せた『はるねこ』上映中と共通して「何が娯楽で何が前衛か」などいったいいつまで議論しているのかという憤りというか諦念にさえ届かぬ冷え冷えとした虚無を噛みしめる、これは日々でもあった。ユーロスペース『はるねこ』上映中階上のシネマヴェーラではハワホ(これは中原昌也による略語)特集が連日照り映えていたが、一本だけ見ることのできた『光に叛く者』とマキノの『阿波の踊子』の共通点を想起しては、誰がマキノとホークスをそんな区別で語りえるのか、誰もマキノを「わからない」しホークスを「わからない」に決まっているからこそマキノもホークスも、あるいはヒッチコックも面白いに決まっているという確信によってしかこれまでもこれからも生きようとは思わない。ザ・スズナリの入場前にばったりと出会った荒井晴彦氏が十文字映画祭のために出したコメントにもまた同様に諦念に届かぬ冷え冷えとした虚無。どう言っても通じないのならばいっそ差し当たってベストテンという慶事は自粛しすべてにおいてスターリニズム式に「アメリカン」を標榜してしまおうという議論抜きの暴挙もあながち愚策と断じえないのではないかと提言が浮んでは茶沢通りの雑踏に紛れる。

この記事は登録読者だけが閲覧可能な内容を含みます。続きを読むにはPublishers IDによる読者登録が必要です。