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2017年02月号 vol.2

Television Freak 第12回 (風元正)

2017年02月11日 22:27 by boid
2017年02月11日 22:27 by boid
家では常にテレビつけっぱなしの生活を送る編集者・風元正さんが、ドラマを中心としたさまざまな番組について縦横無尽に論じるTV時評「Television Freak」。今回は現在放送中の連続ドラマから『嘘の戦争』と『カルテット』を、さらに小室哲也さんが出演した『マツコの知らない世界』(1月放送)の"小室プロデュースの世界”のことを取り上げます。
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上越妙高駅前にて(撮影:風元正)



「終わり」と「その後」から見る時間


文=風元正


 追悼上映の最終日に間に合い、『地球に落ちて来た男』を観て、あまりに遅ればせだが驚いた。死の直前、新曲「Lazarus」で病んだ姿を晒したデヴィット・ボウイ。グラム・ロック時代からずっと、いかがわしいナルシストと思い込み敬遠してきたが、この世から去り1年後の今、脱帽している。もっとも、朧気に激しく賛否を論争していた記憶が残っている1975年の公開当時など、B級SFテイスト満載のこの作品をエンジョイできたかどうか。とうてい無理だった気もするし、コンセプチュアルな生を貫き通したボウイの精神に、こちらの方がようやく追いつけたということなのか。
 ニコラス・ローグ監督は、ボウイの肉体をとことん粗末に扱っている。贅肉どころか、筋肉すらない裸がさんざん出てくるわけだが、皮1枚を剥げば宇宙人。いつ剝かれるか、戦々恐々としながら、水や酒(アル中御用達のビーフィーター)ばかり吞んでいる。自分だけが若いまま、周囲は醜悪に老いてゆき、砂漠化してゆく母星に残した妻子も死んでゆく。おおよそ救いのない作品世界が、そのまま映画に出た後のボウイのあり方を予告し、あるいは束縛してゆく虚実の被膜が怖ろしい。特殊な光線を放つ瞳を隠すために着けていたコンタクトレンズ(?)を、謎の医師たちによって眼と縫い合わされて、本来の姿に戻れなくなるシーンの哀切さは比類がない。
 とまあ、「終わり」が訪れてようやく解釈できるとして、撮影時に戻れば、謎だらけのチープさに覆われた作品世界にとことん付き合うというハイ・リスクな選択は、アーティストとしての強い意志がなければありえない。ついつい、「事務所」の論理にばかり付き合わされる昨今の日本の芸能界と比較してしまう。

『地球に落ちて来た男』


 1月10日、『マツコの知らない世界SP』に小室哲哉が登場した。小室さんは私の高校の先輩で、4級上だからちょうど入れ違い。でも、雰囲気はよくわかるし、他人事とは思えない。改めてヒット曲を聴き込んで臨んだマツコのリスペクトは心地よかったが、「TMネットワーク」でピカピカな最先端を体現していた80~90年代から、リハビリ中の妻KEIKOとともに暮らすジェットコースター的な変転を淡々と振り返る還暦手前の小室さんの姿を見ていると、複雑な感慨が去来する。
 98年に出現した宇多田ヒカルの「Automatic」に、追い越されたと頭を抱えた、という告白を聞き、ここまで正直に話すこともない、と案じつつ、コントロール不能の巨大な渦に巻き込まれながら、「その後」を生き延びている人の闇の深さを一瞬、覗き込んだ。作曲した歌が街中に溢れていた頃から消失するまで、億万長者ぶりが何となく板につかないのも「実業」で王貞治と並ぶ大立者らしい感じで、篠原涼子のカン高い声が耳から離れない。
 実は、「小室メロディ」に彩られた「バブル経済」期には嫌な記憶しか残っていない。平野ノラが出てきたらチャンネルを変える。この国には、あの虚飾と狂騒をくぐり抜けた上で、デヴィット・ボウイの如き謎の予見力を発揮している人は残念ながら見当たらない。だからこそ、小室さんには生き証人として、まだ十分に言語化されていないバブルの空気感を伝え続けて欲しい。奥様のご快復を祈ります。


 『嘘の戦争』を見ていると、どうしても草彅剛のキャリアを二重かさねで思い起こしてしまう。いい人を演じていたり、韓国語を喋っていたり、24時間テレビでマラソンを走っていたり、SMAPで歌っていたり、ほんとうに色々あった。それゆえ、いくつもの顔を持つ「天才詐欺師」という役柄に説得力が生まれている。相手役の水原希子、山本美月の2人のキャリアがまだ浅いことも、草彅の生きた「時間」を生かすためには効果的である。まず、バンコクの盛り場をアロハ姿で歩く時の、虚無的な表情にしびれた。
 第2話、六平直政が、父の死の際に「嘘」を強要した警察官を演じて、スマホを使った罠により転落してゆく様は迫真だった。六平の目から涙、肌から汗、どんどん身体から液体が出てくる感じが、草彅の怨念を生んだ過去の罪の重さに見合っている。テレビ的な、アップの「顔芸」が多用される撮影スタイルなのだが、草彅や、六平を筆頭にする悪役たちの、表情の大仰な変化が妙に心地いい。子供時代の裏切られたシーンが執拗に繰り返されるのも、不思議なリズムを生んでいる。
 安田顕が、相変わらずいい味を出している。うっとうしい金持ちのバカ息子に成り切り、常に不穏さを漂わせ、ずっと愚鈍な表情を続けているのはさすがの演技力である。山本美月は爽やかなのだが、詐欺師に恋して追い込まれると、どう変化してゆくのか。水原希子は、『ノルウェイの森』から比べれば、ずいぶん役者さんらしい感情表現を身につけた。山本との三角関係により、サバサバと人を騙すだけでなくヌラヌラとした情念が入ってくるわけだが、とりあえず「騙される側から騙す側へ」へ転じたい切迫はよく出ている。
 復讐劇は、秘められた暗いパッションがなければ成立しない。『銭の戦争』以来、草彅は「復讐」がどんどん板についてきており、今後はどういうキャリアを積んでゆくのか、とても気になる。田宮二郎の全盛期をつい思い出してしまうのはなぜだろう?

『嘘の戦争』 関西テレビ・フジテレビ系 火曜よる9時放送  (C)カンテレ



 今クールは粒揃いでとても忙しい。『カルテット』は一瞬も見逃せない緊張感がある濃厚なドラマで、坂元裕二の快走は続く。役者さんの演技合戦がすごい。松田龍平は、常に怪しい役を選択してイメージの固定化を避けることに成功している。勤め先では「いるだけで価値がある」、世界的指揮者の孫が、カラオケボックスでの「カルテット(弦楽四重奏)」の4人の出会いを「運命」と言い募るのが、いい大人の話として、そもそも嘘くさい。なにしろ、SPEEDの「White Love」を一緒に歌っている同僚に「結婚するの」と宣告されるのだから、吹けば飛ぶように軽い男。高橋一生の"唐揚げにレモン”論争は狙いとはいえ爆笑で、イッセー尾形の"余生9ケ月のピアニスト”など、男たちのダメぶりが目覚ましい。
 松たか子は、夫を殺したかもしれない危ない女。腹黒さと狂気をさらっと漂わせ、常に謎を孕んだ存在として物語を引っ張ってゆく。きれいな卵型の顔の、くりっとした瞳に暗い翳がさす瞬間がたまらない。田舎で、むやみに女を武器にしてのし上がろうとする吉岡里帆はセクシーで、『ゆとりですがなにか』でも目立っていたが、ついに当たり役にぶつかったか。芸達者の中でも、一歩も引いていない。
 高橋源一郎が満島ひかりの父親役というのは、超絶ハマリ役だった。小説家はつまりは嘘つきなのだから、娘を「超能力少女」に仕立て上げた詐欺師というのも地に近い。高橋さんも、あの江川の隣で「スポーツうるぐす」に出ていた頃からすると、当たり前だが歳をとって、役の上では死を迎える日がきた。感無量である。病院の前まで来ながら、どうしても入れない満島ひかりと松が、道路をへだてて『ゆれる』の名シーンをパロディしているのも愉快で、ほかにもいろんな引用が隠されているのだろう。油断できないドラマです。

『カルテット』 TBS系 火曜よる10時放送  (C)TBS



 テレビ東京の『バイプレイヤーズ~もしも6人の名脇役がシェアハウスで暮らしたら~』と『山田孝之のカンヌ映画祭』は、評判がいいようだけれど、あまり触手が動かない。どちらもフェイク・ドキュメンタリーであるが、遠藤憲一・大杉漣・田口トモロヲ・寺島進・松重豊・光石研という6人が「テラスハウス」状態になることや、山田孝之がプロデューサーになってカンヌを目指すという設定に、妙な表現になるが「真剣味」を感じない。ずっと「ドラマ24」に注目してきた人間としては、おおむね予定調和の手慣れた世界であり、面白がっているのは作り手だけ、という気がする。『山田孝之の東京都北区赤羽』には、抜き差しならない切実さが感じられた。テレビ東京の深夜枠が切り開いた手法は偉大だけれど、案外、もう盗まれ尽くしているのではないか。たとえば、『東京タラレバ娘』をテレビ東京的なフェイク・ドキュメンタリーの一種と考えると、とても刺激的である。吉高由里子は圧倒的にチャーミングであるとして、ドラマとしては身近なあるある感で成り立っている。坂口健太郎は常に地に足がついた風に見えるのはなぜだろう。今後は、いよいよリアリティショー的な、タレントの私生活を切り売りすることをあらかじめ設定に含むドラマが出てくるのではないか。


 デヴィット・ボウイの終わり方は見事だった。しかし、夭折せずに「伝説」を守ることは難しい。小林秀雄のように、「生きている人間というのは、人間になりつつある一種の動物かな」と言いたくなる。ずっと見られ続ける俳優というのはかなり残酷な職業であるが、視線に晒され続けるからこそ顕れる人のリアルのようなものがあるもあるだろう。いつ現れるとも知れぬその一瞬を探し求めながら、私はテレビを眺め続けている。


えちこトキめき鉄道の一風景(撮影:風元正)




風元正(かぜもと・ただし)
1961年川西市生まれ。早稲田大学文学部日本史学科卒。週刊、月刊、単行本など、活字仕事全般の周辺に携わり現在に至る。ありがちな中央線沿線居住者。吉本隆明の流儀に従い、家ではTVつけっぱなし生活を30年間続けている。土日はグリーンチャンネル視聴。

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