
文=青山真治
10、いまは練習のときです。
某日、東京生活再開さる。しかるに表題このまま放置していいのかという疑問が頭を擡げるも、グレッグ・レイクとジョン・ウェットンというキング・クリムゾンを支えた二人の偉大なヴォーカリスト=ベーシストに捧げるべくこれを京都生活の墓碑銘として刻まん、というわけでこのまま続行。日記という行為は過ぎたことをいち早く忘れるために違いないのでさっさと現在の話に切り換えると、帰京以降はLEDでくっきり照らされたトンネルを抜けるがごとき健康な週が続き、中でも燦然と記憶に鮮やかなのがロバート・ゼメキスの存在、つまり『マリアンヌ』の出来栄えである。ゼメキスのスパイアクション映画、と聞いてもなんとなくピンと来ず、『ビッグ・フィッシュ』で鮮烈に登場しながら以後さっぱりであったマリオン・コティヤールにも嫌な予感、結婚生活が破綻したと聞いては大丈夫かブラピと心配したが、それらはすべて杞憂であった。実は見逃した『ザ・ウォーク』をブルーレイで見て、やはり失敗だった、中原昌也にとにかくIMAXじゃないと意味ないと強く進言されていたのに、と後悔と絶賛を同時に募らせていたので期待はあったのだ、だがまさかこれほどとは。とりあえず何がいいって、敵は容赦なく頭部一発で即死、というのがたまらなくいい。夜間飛行で渡仏した後に刑務所で会見する泥酔した片腕のレジスタンスがデヴィッド・ワーナーそっくりでどきどきする。1カットのうちに手榴弾で敵のトラックを破壊する持続に息を飲む。宝石屋前では銃声の遅延がこれほどサスペンスフルに活用できるものかと感心。そうしてコティヤールが何しろよかったことで凡庸に胸を撫で下ろした。ラストの雨はどうかというとこれはどうもうまくいってないのだが、車内に鎖されたままの緊迫に翻弄され、母子のいかにもな結着をただ凡庸に納得するしかなかった。決して圧倒的ではないこの凡庸な納得というやつを強いるところにゼメキスの時代の到来を感じずにはいられない。というか、このゼメキスの奇妙な「若さ」は何なのか。最初から年齢不肖なところがないではなかったが、妙に生臭いここ数作には何やら開き直りの境地さえ感じる。砂嵐のラブシーンにしても『アメリカン・スナイパー』と『宇宙戦争』の後では誰も驚かないことは百も承知でさらりとやってのけるいさぎよさというか図々しさというか、とにかくそんなゼメキスの飄々とした姿勢に頭が下がるばかりなのだった。
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