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2017年04月号 vol.2

ファスビンダーの映画世界、其の八 前編 (明石政紀)

2017年09月22日 06:54 by boid
2017年09月22日 06:54 by boid


ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーの著書『映画は頭を解放する』(勁草書房)やインタヴュー集『ファスビンダー、ファスビンダーを語る』(2013年に第1巻、2015年に第2・3巻(合本)発行)の訳者・解説者である明石政紀さんが、ファスビンダーの映画作品について考察していく連載「ファスビンダーの映画世界」。今回は『愛は死より冷酷』『悪の神々』に続くギャング映画第三弾、『アメリカの兵隊』についてたっぷり2ページで取り上げます。



文=明石政紀


ファスビンダーのギャング映画三部作、其の三
『アメリカの兵隊 Der amerikanische Soldat』(1970)



 感情ご法度映画としての『アメリカの兵隊』

 『アメリカの兵隊』はこんな風にはじまる。

〔主人公の殺し屋〕ヴィンツが電話をかける。
ヴィンツ「ハロー、ミスター。ダチのひとりに先生の電話番号もらいましてね。わたしがご入用なこともあるでしょう。こちらの番号は37 35 62。 わたしは業界で評判がいいんですよ」(・・・)
睡眠、トレーニング、記帳
ヴィンツ(録音音声)「10月21日、6時起床、8時までトレーニング、8時半まで朝食、その後、待機」
ヴィンツは電話と目覚まし時計が置かれたテーブルの前に座っている
睡眠、起床、トレーニング、記帳
ヴィンツ(録音音声)「10月22日、6時起床、8時までトレーニング、8時半まで朝食、その後、待機」
彼はテーブルのまわりを行ったり来たりする
ヴィンツ(録音音声)「10月27日、6時起床、8時までトレーニング、8時半まで朝食、その後・・・」
ヴィンツは受話器をとり、電話をかける
ヴィンツ「ハロー、ミスター。ヴィンツです。もう一週間もお電話を待ってるんですがね」[*1]・・・・

 ・・・失礼、これは戯曲版『アメリカの兵隊』のほうであった。
 じつはファスビンダーの『アメリカの兵隊』には、この短編戯曲版(初演1968)[*2]と長編映画版(1970)の二種類がある。とはいっても、題名は同じながらもそれぞれまったく別の話。両者の共通点といえば、主人公がプロの殺し屋で、最後にはこの殺し屋が殺されるということくらいだ。
 そう、ファスビンダー・ギャング映画三部作の最終作『アメリカの兵隊』が、先行する『愛は死より冷酷』と『悪の神々』と決定的に違う点は、主人公が身の置き場もなく何をしていいのかもわからない小物のギャングなどではなく、プロの殺し屋だということである。それも警察の注文で邪魔者を消していく職業意識たっぷりのキラーで、社会のあぶれ者だった以前のアウトローとは異なり、もう完璧に管理システムのなかにどっぷり組み込まれ、人殺しは冷徹なお仕事と化し、仕事の邪魔になる感情は完全にご法度となる。
 よって以前のように惹かれあう男どうしの愛も生まれず、愛のために密告する女という感情構図も発生せず、愛の告白まで出てきたギャング前作『悪の神々』とは大いに異なり、愛の感情を吐露する者はそのために死ぬか狂うしかない。
 というわけでこの『アメリカの兵隊』、ギャング映画三部作のなかでもっともクールな映画であり、ファスビンダーのハリウッド・ギャング物へのオマージュの骨頂であり、主人公の出で立ちからしてギャング映画のイメージの再現であり、本人に言わせれば、三作のなかでもっとも手際がよく完成度が高い映画であり、もっとも非個人的な作品である[*3]
 ファスビンダーは、この『アメリカの兵隊』は「『愛は死より冷酷』と『悪の神々』を掛け合わせたもの」とも言っているが[*4]、それは内容的なものではなく、『愛は死より冷酷』の演劇性と『悪の神々』のシネマ性と組み合わせたという作法上の意味だろう。
 たしかに『悪の神々』からヤン・ゲオルゲの悪徳刑事、情報屋のエロ本売り、冷たい母親、クラブ「ローラ・モンテス」、シュールな装置・設定といった諸要素を引き継ぎ、ほとんど同じスタッフでつくられているとはいうものの、『悪の神々』で多彩かつふんだんに登場していたペーア・ラーベンの音楽は、主題歌と挿入歌を除けばわずか二種のチューンしか用いられず、ディートリヒ・ローマンの映像は決まってはいるが、前作のように多様なアングルやショットの快感をそれほど発せず、テーア・アイメスの編集は強弱長短の意味ありげなリズムを希薄にし、物語内容と同じように、よりクールでプロフェッショナルで非個人的な所業の映画となったのである。
 正直なところ、ファスビンダー・ギャング映画三部作のなかでもう一度観る機会を与えてくれると言われれば、わたしが選ぶのは、この『アメリカの兵隊』でも『愛は死より冷酷』でもなく、たぶん『悪の神々』だろう。それは、きっと人に笑われるような馬鹿げていて言うのも恥ずかしい理由、つまりこの映画が三部作のなかでもっとも愛が感じられるという理由からではあるが、こんな個人的趣向は無視していただいてかまわない。

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