『ちあきなおみ・これくしょん』(6枚組ボックス・セット)
音盤からエロス
文=湯浅学
Vol.9
今月の音エロ:ちあきなおみ
長~い夜の営みに。じゅくじゅくふくよか歌エロス!
テレビCMで濃厚なボケな奇行を演じていたのがつい昨日のことのように思えるので、ちあきなおみ[*1]が引退していたとは、とても意外であった。顔の作りが大胆なようで、目にとても優雅で献身的な光があり、美しい人である。アゴのとがったラインと少し物ほしげな唇のありように色気を感じる輩も多かったと思う。スタイルも大雑把なようで実は引き締まっている。顔が全体から見ると大きめであることが、いわゆる"美人”というワクから外されてしまう要因だったかもしれない。
反応のよいギャグ・センス(これはとても貴重である)ゆえに三枚目の線で扱われたのだろうが、正確な歌唱力ゆえに楽曲を自己流にデフォルメできる音楽的実力とともに、ちあきなおみが日本芸能史に残るべき逸材であることは、疑問の余地がない。
ちあきの日本コロムビア時代の名唱が今年CD6枚組のボックス・セットとなって発売された。制作側の予想に反してこれがたいへんな売り上げを記録している。当初の見込みの10倍以上のセールスを今も続けている。おそらく冬のボーナス期にまたぐっと売り上げを伸ばすだろう。
しっとりと包み込むようにちあきの歌は聴き手をまず落ち着かせる。高音は伸びやかで軽やか、中音域は幅広い。ちあきの色気はそこに、ダイナミックな低音の歌唱が加わることによってぐっと増す。「X+Y=LOVE」[*2]や「四つのお願い」[*3]のようなほのぼのとしたお色気歌謡も楽しく、くすぐったく精力を元気づけるが、ジャズのスタンダード・ナンバーや歌謡曲の定番曲などをちあき流に歌いこなしたもののほうが、ふくよかな歌エロスが多量に分泌されている。
ちあきの低音は聴き手をくわえ込み、さらにそこからじゅくじゅくと大量の愛液にまみれさせるように、うねりなめらかでやわらかく粘着力がある。しかも奥ゆきがありタフである。終わりのない営みに十二分に応えてくれる持久力が歌唱に感じられる。
このCDボックスには含まれていないがテイチク移籍後の作品にも傑作が多く、廃盤後中古店を探し求める者も数知れない。とりわけ『石原裕次郎を唄う』は倉田信雄のジャジーなアレンジともども、あの世の裕次郎さんを再び快楽に悶えさせるが如き絶品だ。ぜひとも再発売を。
●コトバチェック
*1…47年9月17日板橋区生まれ。69年歌手デビュー。72年「喝采」でレコード大賞受賞。92年夫と死別後、芸能活動停止中。
*2、*3…作詞・白鳥朝詠、作曲・鈴木淳(70年)。この曲以降、アイドル的な人気を得て"びっくり人形”というニックネームを頂戴する。
(『特選小説』2000年11月号)
Vol.10
今月の音エロ:ルー・リード
快楽の夜の渦…ふと気づくとけだるい朝…
ニューヨークの、それもマンハッタンの真ん中よりも下のほう、チェルシー地区から東西ヴィレッジ、ソーホー、トライベッカからチャイナ・タウン、さらに南のダウンタウンでは今も得体の知れない各種人種がいろいろな事(ゲージュツやら犯罪やら労働やら商売やら思索やら)をやって暮らしている。音楽を演る場所も美術ゲージュツ作品を売り買いする人も組織もたくさんある。
いかがわしさとざっくばらんな欲望、神経質なアーティスト心と野心満々の大立者根性、ふらふらな創造力と人なつこい歌心などいろいろな精神がぶつかったり交流したりよろこびあったり悲しみをわかちあったりしているのはどこの都会も似たりよったりだろうが、マンハッタンの空気は雑然な人の混在が濃縮され醗酵し、それをそこにいるほとんどの人がいぶかしく思いつつ楽しんでいるところがあって、だから特別なのだと思う。哀愁の中に苦悩と希望と執念がまざっている。
ヴェルヴェット・アンダーグラウンドというロック・バンドの一員として60年代の半ばに世にひろく知られるようになったルー・リード[*1]ほど、ニューヨークのそのマンハッタンの下半分のスリルと感傷を如実に感じさせる歌手、音楽家はいない。ルー・リード自身がドラッグだ、同性愛だ、バンド内外のいざこざだ、得体の知れないぶっこわれた人々のいさかいだ、といくつもの修羅場を越えて来た。その体験が淡々と奥に刻み込まれていることを感じさせる歌声である。太くひずみ、それでいて艶がある。キラキラと晴天下で輝くものではない。暗闇で光るふくろうの眼のようだ。
いわゆる狂気を装うことなどはるか昔に忘れ、海千山千の奇人怪人をやりすごしながら、丸ごとこの街を愛していることが痛いほど伝わって来るが、あくまでもその姿勢は冷徹(クール)である。
未知の世界へと誘うエロスを香の煙のように漂わせる。めくるめく快楽の渦に巻き込まれている自分を感じたような。ふと気がつくとけだるい朝が。夢幻と現実の境界を溶かす歌である。
俺は8年ほど前に、ヴィレッジのイタリア大衆食堂でスターリング・モリスン[*2]とパスタを食っているルー・リードを見かけた。極普通のニューヨーカーだった。そのときルー・リードをドキドキしながら見ていたのは店の中で俺ひとりだったかもしれぬ。
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