
文=川口敦子
監督エドワード・ヤンには短い時間ながら2度ほど取材する機会に恵まれた。最初はアジア映画の特集上映で『恐怖分子』が紹介された88年6月の来日時。戦後日本の小市民家庭にありがちだった文化をめぐる西高東低な偏見にどっぷり浸かって育ったままの無知(+恥)蒙昧状態で、台湾には畳の日本式な部屋がまだあるんですね――などと涼しい顔で愚問を発し通訳嬢の顰蹙を買ったりもしたのだが、そんな訊き手に対しても監督が絶やさず浮かべていてくれた穏やかな笑顔が今もくっきりと想起される。
その折の都市をめぐる監督の発言はこの春、デジタル・リマスター版として待望の劇場再公開が実現された『牯嶺街少年殺人事件』を吟味するため改めて反芻してみたのだが、続いてやはり修復されたヤンの長編第二作『台北ストーリー』とまた向き合うと、いっそう噛みしめがいのある言葉として迫ってきたりもする。
「台北は、そして都市は、いつも僕の映画の主題だった。都市のルック、視覚的なものというよりそこにある物語に惹かれている。都市化された環境の中にある興味深いストーリーに。自分の親密な経験がここにあるから」
物心つく前に両親と共に上海から台北に移り住んだヤンは、進学してエンジニアリングを学んだ後に渡米。81年、34歳で帰国するまで青年期をフロリダ、LA、シアトルと、アメリカ各地で過ごした。そんな背景をふまえてみると、人にも都市にもあくまで距離を保ってキャメラを対峙させる彼の映画『台北ストーリー』の底に、アメリカという"よそ”と台北という"ここ”の狭間で揺れる存在と時代への、意外なほどに濃やかで個人的な想いが居座っていることに胸をつかれる。そのこっくりとした心情をしかし描写の上ではサングラスしたヒロインそのままに覆い隠す映画の肌触りの都市性にもまた打たれずにはいられなくなる。
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