青山真治さんによる日付のない日記「宝ヶ池の沈まぬ亀」第11回は、前田陽一とクロード・シャブロル再検証の必要性、舞台『エレクトラ』と『忘れる日本人』、ディラン『トリプリケート』とあがた森魚&はちみつぱい『べいびぃろん』、そして度重なる死の報せと眠れぬ夜のことなどが記されます。
文・写真=青山真治
11、「マンガンとアルカリ組み合せると、波形が乱れてダメ」
某月某日、新作映画は見るが新しい音楽も小説もご無沙汰であることに気づく。新しい、とは若い作り手の意味で、例えばディラン新譜は聴くしピンチョンの新作も読むが若手は皆無。職業柄だろうが、では映画は新作ばかりかというと全くさにあらず関心はむしろ旧作に向く。現行案件はシャブロル。今日も『ヴィオレット・ノジエール』を見直したが、傑作とは言い難いこの作品にしても昨今の凡作に較べれば遙かに秀逸で何より、若い。そして当時のイザベル・ユペールを目指す若手女優が増えてほしいと願うばかりだ。一方、ではこの作品の何が悪いかといえば構成(回想形式)に拘泥するあまり尺が無益に長い点で、一本も110分を超えることがなかったブニュエルを想起してシャブロルがより簡潔な編集に向かってくれていたらよかったのに、と恨みが残る。ちなみに今日見た仏版DVDは118分だが、imdbには123分と記載されている。長尺版があるとか? しかしこれでも長すぎる。とはいえ問題はそこではなく、旧作の発売にも限界あることはわかるが、出すべきものは他にあるはずとも思われてならず、成瀬でさえ正規盤未発の傑作は数多ある。あるいは前田陽一をほぼ見ることができないのは由々しき問題だろう。いま視聴可能な最初期の前田のDVDは処女作『にっぽんぱらだいす』だが、これが売防法施行に至る戦後売春史を最も独創的かつポップに描いた『赤線地帯』に比肩する傑作であることは間違いない。ならばその後の作品群の確認は当然不可欠で、見ることによってのみ現前しうる細部とは決して言論によって清算できるものではないからだが、しかしリリース作品は全体の三分の一にも満たない。撮影所崩壊以前の作品群と現在視聴可能な『神様のくれた赤ん坊』や『土佐の一本釣り』を比較し変容の細部を学術的のみならず一般的に再検証すべきときが来ている。いま前田陽一が必要だ。そしてシャブロルも。
2018年12月号
【重要なお知らせ】 boidマガジンは下記URLの新サイトに移転しました。 h…
読者コメント