boidマガジン

2017年05月号 vol.4

樋口泰人の妄想映画日記 その38

2017年11月10日 16:31 by boid

boid社長・樋口泰人による5月1日~10日の業務日誌ときどき映画&音楽&妄想日記です。映画『PARKS パークス』関連で、井の頭公園100周年ではスピンオフとも言える劇団ロロによる野外演劇公園、そして横浜、大阪での舞台挨拶などイヴェントが続くなか、新幹線のチケットを紛失して買い直すという痛手に遭いながらもレコードを買い、なんとか今後のboidの企画の準備も進めたようです。




文・写真=樋口泰人


 昨日のことも憶えていない勢いで4月が終わった。疲労は極限に達しているが、まあ、そこからがようやく本番、という感じでもある。どこにもないはずの力をいかに使うか。何度も力尽きそうになった。というか力尽きているのだが、まあ、最後のまばたきくらいはできる。そのまばたきひとつで何を見るのか。ただそれだけ。それくらいのことでいいのではないかと思う。大した物語やすごい現実などなくて十分。あったとしてもすぐに力尽きるわけだから、あってもなくても同じである。それくらいの構え。力尽きながらいかに生きるか。
 しかしずっとイヴェントをやっていたような気がする。


5月1日(月)
確かすごい雷雨だった。井の頭公園100歳の誕生日。いったい式典はどうなっているのだろうとか思いながら仕事をしていた。明日のイヴェントの準備のため、土居くんたちが何度か事務所にやってきて、荷物を運んでくれた。


5月2日(火)
話せば長くなるしほとんど話せないことだらけなのだが、とにかく、ようやく、ついにこの日が来た。『PARKS パークス』の盛上げ企画でもあり、井の頭恩賜公園100年を祝う企画でもあり、そしてそれらゆえにこれもまたもうひとつの『PARKS パークス』である、そんなイヴェントの本番。演劇とアニメの合体? 映画のサントラを使った演劇? 台本のない即興? などなどさまざまな予測がされるが、とにかく本番を迎えるまでまるでわからない。こんなことで、いくら無料とはいえ集客は大丈夫だろうか、ここの集客がままならないなら映画の盛上げにもならず、企画した意図は台無しということになる。その意味では無茶苦茶緊張していた。劇団ロロによる演劇『パークス・イン・ザ・パーク』。

とはいえ前日とは打って変わってあまりに爽やかな、あまりに典型的な5月そのものみたいな日であった。午前中から準備。昼食はピワンのケータリングによるチキンサンドカレー風味でむちゃくちゃうまい。あまりに美味かったのでトマトチーズ味の別のを食おうとしたらあっという間に売り切れていた。ピワン、商売っ気なし。夕方からの本番を見に来た知り合いたちも、みんなピワンのパンを楽しみにしていたのだった。残念。と、これこそがピワンの商売なのかもと後から思う。こうやってみんなに残念がってもらって、その「やり残した感」を胸に、誰もが再び駅前の店舗に行くことになる。つい過剰にサービスしてしまうboidのやり方は結局次につながらないのではないかという思いに至る。もったいないけど今日はここまで、というギリギリの線引きが望まれる。



しかし、爽やかな日の午後はなんと気持ちいいことか。今後のboidは屋外オフィスにすると宣言し、顰蹙を買う。案の定、15時過ぎてからは徐々に寒気が漂い出し、17時くらいには耐えられなくなり、ユニクロまで走り緊急の上着を買った。爽やかさは罠であった。みんな震えていた。

そして始まった本番は確かに本番だったが、当たり前のように、練習のようでもあった。似たようなシーンやセリフが何度か繰り返された。いや、現実にはそうではなかったかもしれない。似たようなシーンを思い起こさせながらいまこの現実のシーンが演じられていたと言うべきか。ひとつのシーンにそれ以前のシーンがいろんな形でからまり合いながら、ひとつの場所ひとつの時間を膨らませて行く。膨らんだ場所は映画『PARKS パークス』の領域をも侵食し、それらを分かつ境目はなだらかに朽ちていき、その朽ちた境界線がいまここでそれを見ているこちらとの境界線も侵食する。そこにおいてもはや『PARKS パークス』としか言いようのない何かが、ようやくぼんやりと姿を現わす。その意味で映画『PARKS パークス』は圧倒的に中途半端な作品である。それだけでは完結しないし、この日新たに姿を現したnew『PARKS パークス』を予感させはするが誰にもそれが予感できるものではない。それは予兆に過ぎず、映画単体ではない外側の誰かの力が必要なのだ。だがそれでいいのだ。わたしではない誰かがそれをする。それが『PARKS パークス』である。いつかこの中途半端さが世界の境界線をなくす。

最後はみんなで、本番前に三浦くんがばらまいた桜の花びら掃除だった。これはマジだった。ひとひらも残すなと、公園の管理課長にきつく言われていた。最後に挨拶した土居くんのアピールがあまりに弱かったので、つい大声を出して掃除を呼びかけた。力尽きている力は時々役に立つ。最初はまったく片付かないかと思われたが、20分後には、これならやれるというくらいには綺麗になった。そこから先は一気に作業が進んだ。300人収容のテントから溢れるくらい集まったの人々の半分くらいの方たちが手伝ってくれたのではないか。終了後は、それもまたひとつの作品のような気分がそこにいたほとんどの人たちに伝わったはずだ。いつが練習なのかいつが本番なのか誰にもわからない。ガス・ヴァン・サントの『誘う女』の最後のスケート・シーンが思い出される。物語の結末にはほぼ関係なく、凍った湖の上で登場人物のひとり(主人公ではなかったと思う)がスケートをする。単にスケートをする。その先に物語が待っているのか現実が待っているのか誰にもわからない。そんなスケートの先に、井の頭公園があったように思う。確かそのシーン流れていたのはドノヴァンの「Season of the witch」ではなかったか? 井の頭公園にも魔女が住んでいるに違いない。『PARKS パークス』は魔女たちの話であってもいいわけだ。そういえば青山の『レイクサイド マーダーケース』で池に沈められた女のテーマソングも「Season of the witch」だった。




5月3日(水)
テアトル新宿では映画終了後にシャムキャッツの夏目くんのライヴ。ジャック&ベティではわたしと瀬田さん、それから井手くんのトークとライヴ。夏目くんのライヴの音響のセッティングをPAオペレートしてくれる空族の山崎さんと一緒にやって、後はお任せ、横浜へと向かう。新宿は夏目くんのファンらしい若い子たちが目立ったが、横浜は映画好きと思しき人々が多数。イヴェント後の瀬田さんのサイン会にも大勢の方が並んだ。そして驚いたのはそのうちの何人かが、前夜の井の頭公園にいたことだ。ポケットから掃除した桜の花びらを取り出してくれたりもした。そこにもひとつの『PARKS パークス』があった。



サイン会終了後は、場所を移して「交流会」を行なった。「交流会」と言っても飲み会ではなく、上映後20分くらいのイヴェントではあまりに勿体無い、せっかく横浜まで来たのだからもっとあれこれ話すことはあるし、来場者たちにとっても尋ねたいこともあるだろうというわけで、映画をネタにしてみんなで話す、トークの続きのようなイヴェントである。ちょっと足りないくらいでいいというピワンの教えに反する、いつものboidの過剰サービスである。とはいえ楽しい1時間だった。瀬田さんも井手くんもいろんなことを話した。こういうことを何度かやりながら上映を続けられるといいのだが、かかっている予算を考えるととてもじゃないがそんなわけにはいかない。

その後、ジャック&ベティ近所のタイ料理屋で夕食。タイ料理と言ってもイサーン料理である。メニューが全然違う。普段はなかなか食せないものを堪能した。




5月4日(木)
夕方、新宿に。『めだまろん』のパンフレットの取材で某所に赴く松村くんと湯浅さんの新幹線のチケットを渡すためなのだが、実はこのチケット、4月下旬に湯浅さんのところに送ったものの、その他の書類と一緒に送ったのがいけなかったのだが、郵便物は届いたにもかかわらず、中に入ってなかったのであった。わたしは入れた記憶しかない。しかも現物がどこにもない。郵便物からチケットだけ抜け出して、どこか違うところに届けられてしまったのである。えきねっとでのカード購入だったので、チケット購入のあらゆる状況証拠が揃っていて、とにかくそれらをすべて持ってみどりの窓口に出向いたのだが、まったく受け付けてくれなかった。飛行機のようなシステムなら絶対なんとかなったと思うものの、現状のJRのシステムにそれを望むのは無理であった。わたしの買ったチケットの席には、いったい誰が乗っていたのだろうか。目玉を被った人だったりしたらいいのだが。
何れにしてもチケットは買い直した。3万円弱をドブに捨てた気分。もう2度と他人のチケットの手配などやらないと誓ったのだが、最近はそんなことばかりである。元々こういうことは苦手だからやらなければいいし、やった上で失敗してああやはり全然こういうことは向いてないのがわかっていてやりたくないのにやった上でやはり失敗したと、ダメージが幾重にも渦巻いてなかなか立ち直れない。
その2度目の3万円弱のチケットを松村くんに手渡しするための新宿。待ち合わせをディスクユニオン中古センターにしてしまったのは、もう、レコードでも買わないとやってられないという気分だったからである。もちろん金があるわけはないので1,000円くらいで買えるレコードを2枚。

Loleatta Holloway『Loleatta Holloway』。ディスコサウンドに乗った70年代後半以降の彼女とは違う、サザンソウルが詰め込まれたファースト・アルバム。アルバム中からジョージアの香りが漂う。歌い上げてはいるが、その歌い上げた声をふと飲み込んで自身を膨らませるような、余裕と懐の深さがある。湿気の多い熱を帯びた風がゆるっと漂いだすようなまったりした演奏が作り出すどこか淀んだ時間の中で、彼女の声がもうすぐどこかに行ってしまいそうでギリギリそこに留まっている儚さを歌う。
彼女に関しては、こちらのサイトに詳しい。
http://www.waxpoetics.jp/interview/loleatta-holloway/



そしてLittle Johnny Taylor『Open House At My House』。ロレッタ・ハロウェイのも73年だがこちらも73年のアルバム。こちらの方が当時のリアルタイム感満載。当時30歳。すでに10年を超えるキャリアを持つブルース、ソウル・シンガーが、余裕でリアルタイムのサウンドを取り入れつつ、自分の足場を築いたブルースを熱唱する。ジャケットのモデルとはいったいどんな関係だったのかとあらぬ妄想を掻き立てられるが、ブルース通の方はご存知だろうか? 周知の事実なのかもしれない。70年代後半のロレッタの変化とは逆に、リトル・ジョニーは自分の足元に世界の変化を呼び寄せようとしているかのようだ。ブルースという形式のうちに、すべてのものが流れ込む。彼がそこから出て行くことはないだろう。そんなことを思わせる。




5月5日(金)
夕方から大阪へ。6日の『PARKS パークス』大阪初日の舞台挨拶の準備である。宣伝の古賀、boid田中とともにシネ・リーブル梅田に。大阪の人にとっては当たり前のことなのだろうが、初めて行くと驚く。ようやくこれから再開発という荒地の中にポツンと近未来的な空間。本来ならもっと早くこの周りは同様な近未来空間になっていた事だろう。どこかでねじれてしまった時間の軋みが聞こえてくる。



その後ホテルに戻ると相対性理論のマネージャーの守屋くんとドラムの山口くんから連絡が来て、どうやら近所にいるらしいので再度出動。すでに夕食は済ませていたのだが、焼肉を。これがうまくて、夕食を済ませてしまったことが悔やまれた。相対性理論は明日、大阪での久々のライヴなのであった。

 

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