boidマガジン

2017年06月号 vol.4

レジデンツに寄せて、あれからもう32年 (明石政紀)

2017年06月29日 21:10 by boid
7月1日から『めだまろん/ザ・レジデンツ・ムービー』(ドン・ハーディー監督)が公開されます。レジデンツといえば今年の3月に32年ぶりとなる来日公演を行ったことでも話題になりましたが、その32年前、1985年の初来日公演の招聘に携わっていたのが、boidマガジンで「ファスビンダーの映画世界」を連載中の明石政紀さんです。レジデンツのドキュメンタリー映画公開を前に、明石さんが当時のことを振り返ってくれました。
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ザ・レジデンツ『「アイボール・ショー」ライヴ・イン・ジャパン』



文=明石政紀


 わたしは今を去る32年前、すなわち1985年のレジデンツの初来日公演に関わった者である。知己には、ちょっとだけ関わったと慎み深く伝えてあるが、じつはけっこうどっぷり関わってしまった者である。
 経緯はこうである。少々長くなってしまうが、お許しいただきたい。
 わたしは1981年から1983年まで「FOOL’S MATE」という音楽誌に原稿を書いていた。わたしの原稿のおもな対象は、当時まだ目新しかったドイツのニューウェイヴやパンク、つまりいわゆるノイエ・ドイチェ・ヴェレだった。それからしばらくして、東京六本木にWAVEというレコード・メガストアができ、その求人広告を偶然見かけて、面接に行ってところ採用されてしまった。
 当時の西部百貨店文化の一端を担っていたWAVEは、レコード・レーベルをはじめることを画策。デア・プラン、ホルガー・ヒラーなどといった、いわゆるノイエ・ドイチェ・ヴェレの音盤発売でイメージアップを図らんとしており、わたしは「FOOL’S MATE」誌における所業のため、自分ではそう思っていなかったにもかかわらず、その手の音楽の専門家と見なされ、始動せんとしていたレーベルの制作担当者として雇用されてしまったのである。
 こうしてWAVEレーベルの担当者となったことが、レジデンツの32年前の公演とつながっていくのだが、その発端がどうだったのか、残念ながら詳しくは思い出せない。たぶんある日、レジデンツの日本公演をやりませんか、とプロモーターから問い合わせがあったのだと思う。
 レジデンツの音楽に関しては、というかレジデンツは陳腐な言葉を使えば「アート」・グループなので、その作り物に、そして何よりもそのものづくりの態度にわたしはかねがね感嘆していたし、こりゃあいい、駄目もとでいいから上申してみようと思い、会社にかけあってみたところ、意外にもすんなりOKされ、お金がおりることになった。WAVEのイメージ戦略にあっていたということなのだろう。それに当時はバブルの真っ盛りだったのだ。とはいっても、わたし自身はそのおこぼれにあずかれない薄給の契約社員だったが。
 とにかく、主催はWAVE、制作実務はプロモーターのスマッシュが担当してくれるというかたちでレジデンツの来日公演がおこなわれることになったはずで、わたしも来日記念盤発売、もろもろの宣伝(目玉のステッカーもつくったし、六本木WAVEビルの外壁に巨大な目玉の垂れ幕をかけることもできた)、来日後のライヴ・イン・ジャパン盤制作と、しばらくレジデンツ漬けとなったのである。
 わたし個人は、レジデンツをやっている「匿名」の面々は、あのように発想と批判と諧謔にあふれた素晴らしい活動をしているのだから、いい人々であると思っていた。いかにその音楽が奇怪奇矯、奇妙奇天烈に聞こえようとも、わたしは彼らがいい人々であるのを信じて疑わなかった(なにが「いい人」かの定義は棚上げしておくが、わたしには言葉にはしがたいその基準があるし、この予感は大方はずれたことがない)。
 そして、そのとおりだったのである。
 これはわたしが本格的に関わった最初の公演でもあった。未熟な随伴者のわたしは、レジデンツを浅草観光に連れて行き、アドリブでその途中に見つけた庶民的な日本料理店に訪れ、味はたいしたことはなかったのだが喜んでくれた(すくなともそう信じたいところではある)。
 離日直前には、レジデンツが屋外レストランに招待してくれた。そして彼らと過ごした数日間は、とてもよい思い出としてわたしの脳裏に刻印されている。
 もう30年以上も前のことだ。だから、これも明かしてしまっていいと思う(わたしの苗字も明石だし)。六本木WAVE一階ロビーにおけるトークショーの直前、ちょっと相談があるんだけど、とレジデンツに言われた。なんのことかと思いきや、来日メンバーのひとりが今日観光に行きたいと言っているんだけど、きみ、ちょっと目玉をかぶってくれないか、とのことであった。こうしてわたしは、30分だったか1時間のあいだ、にわかレジデンツとなった。やったことと言えば、座って頷くとかそれだけだったが。
 こんなことを明かしたからといって、レジデンツの存在が微動だにするものではないし、多くのみなさんはもう想像のついていることだと思う。この話をしたのは、これぞレジデンツだと実感したからだ。レジデンツというのは、もちろんのこと舞台上、音盤上、メディア上の存在であって、コンセプトに従ってさえいれば、じつは演者は交換可能だし、匿名で正体不明なので、自分の名前とか名声とかそういうものと結びついた欲望の力学には束縛されず、だからこそ大きな自由が保障される。そしてこの自由こそが、このグループの稀有に素晴らしいところでもあると思う。これは芸名とかペンネームといったレベルの問題ではないことは言うまでもない。というわけで、わたしはかつて、「不乱つ可不可」とか「今煮える奸徒」、などといった筆名も考えたことがあったが、このような中途半端な架空名は破棄することにした。
 だから、わたしが浅草に同伴したり、離日直前にレストランに招待したりしてくれた目玉をかぶっていない素顔にして普段着のレジデンツは、レジデンツではないとも言えるわけだ。
 残念なことといえば、自分で関わるコンサートの常として、あの32年前のコンサートを観客席でしっかり体験できなかったことだ。なにやら諸般の事情により、楽屋裏かどこだったか忘れてしまったが、関係者にふさわしい場所にいたはずである。
 そうそう、そういえば、来日公演のあと、日本公演の録音を収めたライヴ・イン・ジャパンのレコードを制作するという話が持ちあがった。それで、ジャケット絵をどうするかと思いあぐねていたところ、WAVEの同僚が、じゃ、タイガー立石さんに頼んでみれば、と言ってくれた。というわけで、タイガー立石さんのお宅を訪れ、お願いしてみたところ、快諾してくださった。立石さんとお会いしたのはそのとき一度かぎりだったが、もう20年近くも前にお亡くなりになったとのこと。あまりに遅ればせながらも、追悼を込めてその緻密にして見事なジャケット絵をここに掲載したいと思う。
 あれからもう32年、『めだまろん/サ・レジデンツ・ムービー』という映画が公開されるとの話を小耳にはさんだ。わたしはこの映画をまだ観ていない。
 観てもいないのに無責任ながらも、この文章を書いたのは、ものづくりをなりわいとしているすべての人々、あるいは、なりわいとしていないあらゆる方々に、脳髄にも神経にも情感にもかぎりなき刺激を与えてくれるこの類稀なる集団、レジデンツのひとつの入り口となるであろうこの映画を観ていただきたいと、ちょっとばかり声高に叫びたかったからである。
 要するにそういうことである。




明石政紀(Masanori AKASHI)
著書に『ベルリン音楽異聞』(みすず書房)、『ポップ・ミュージックとしてのベートーヴェン』(勁草書房)、『キューブリック映画の音楽的世界』、『フリッツ・ラング』(以上アルファベータ)、『ドイツのロック音楽』、『第三帝国と音楽』(以上水声社)、訳書にファスビンダー『ファスビンダー、ファスビンダーを語る』全3巻(boid)および『映画は頭を解放する』(勁草書房)、ボーングレーバー『ベルリン・デザイン・ハンドブックはデザインの本ではない』(ベアリン出版)、ヴァイスヴァイラー『オットー・クレンペラー』(みすず書房)、サーク/ハリデイ『サーク・オン・サーク』(INFAS)、ケイター『第三帝国と音楽家たち』(アルファベータ)ほか。賞罰なし。

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