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2017年07月号 vol.2

大音海の岸辺 第40回 前編 (湯浅学)

2017年07月15日 20:11 by boid
2017年07月15日 20:11 by boid
大著作集『大音海』の編纂を兼ね、湯浅学さんの過去の原稿に書き下ろしの解説を加えて掲載していく「大音海の岸辺」第40回です。幻の名盤解放同盟(湯浅さん+根本敬さん+船橋英雄さん)による『ディープ・コリア』刊行30周年にあたる今年は「ディープ・コリア再訪の旅」プロジェクトも進行中。本連載でも前回から大韓民国の音楽について書かれた原稿を再録しています。今回は1991年~1995年頭に執筆された、同国のフリー・ジャズの第一人者である姜泰煥や金大煥、シャーマン音楽の重鎮・金大石や金大禮などに関する文章をお届けします。

姜泰煥『トケビ』



文=湯浅学


姜泰煥『トケビ』

 大韓民国には、ジャズ・ミュージシャンが極めて少ない。活動の場が少ないのが最大の原因だが、ジャズに関する資料(本、レコードetc.)が一般的市場にあまり出まわっていない、ということもかなり影響しているのではなかろうか。特に1970年代後半以降は、在韓アメリカ軍関係者の帰国とディスコの台頭によってジャズ・クラブが激減し、ジャズ・ミュージシャンの多くは"転向”を余儀なくされてしまった。しかも"ジャズ=スウィング~ビ・バップ”という見方が支配的だったために、大韓民国にはフリー・ジャズというものは皆無に等しかった。現在でもそれはさほど改まっているわけではない。音楽、特に外来文化としてのクラシックやジャズ、ロックに対するとらえ方は保守的である。大韓民国でフリー・ジャズがあまり知られていないことと、レゲエやパンク・ロックがまったく伝えられなかったことには共通の理由(政治状況/文化状況/それを支える倫理観など)が見い出せるのではなかろうか。
 フリー・ジャズが、禁止はされぬまでも、理解者・愛好家を持たぬ状況の中で、果敢にも独自の探究心によって"自らのフリー・ジャズ”を創造したのが、姜泰煥(カン・テファン)である。
 1944年7月15日ソウルに生まれた姜は、幼少のころから音楽に親しみ、小学校(国民学校)、中学高等学校時代からクラシックのミュージシャンを志して、クラリネットを吹いていた。
 ソウル芸術学校時代にジャズと出会う。そのために一年半で学校を中退、グレン・ミラー・スタイルのビッグ・バンドに参加し、プロ活動を開始する。当初の活動は在韓アメリカ軍関係のクラブが中心だった。クラリネットとサックスを吹いていた。ビッグ・バンドに参加するかたわら、チャーリー・パーカーやジェリー・マリガンなど多くのジャズ・ミュージシャンを研究し、自己のコンボでも活動するようになる。初めてのリーダー・バンド結成は、1967年=23歳のときだった。
 アメリカ軍関係クラブから一般のナイト・クラブへと活動の場を変えていった姜は、ディキシー・ランド、スタン・ゲッツなど、観客の要求に合わせるかたちでさらにレパートリーをひろげていった。「レパートリーは広がり様々な音楽を吸収することができたが、自分で納得のいく演奏はいつも、客がまったくいない最初のステージだけだった」そのころを振り返って姜はそう語る。韓国のジャズ・シーンが急速にその力を失っていった70年代後半、姜は、何ものにもとらわれない独自の道を歩むことを決意する。
 1978年には、ソウル市内でジャズ・ミュージシャンといえる人間は、わずか30人程になってしまったという。そうした状況の中で姜はフリー・ジャズを始めるのだった。
 当初はメンバーが定まらず、3~6人でその形態はそのつど変化していった。80年代に入るころには、そうした活動の中からパーマネントなスタイルが確立される。金大煥(キム・デファン/パーカッション)、崔善倍(チェ・ソンベ/トランペット)、そして姜泰煥の3人による、姜泰煥トリオである。
 姜泰煥トリオは、同じ曲は二度とやらないという姿勢で、80年代を通じて大韓民国唯一のフリー・ジャズ・グループとして活動した。オーネット・コールマン、アーチー・シェップ、ジョン・コルトレーンといった歴代の名プレーヤーの演奏が単なるヒントでしかなかったことは、姜の演奏を聴けば即座に納得できる。姜泰煥トリオが1987年に初来日したときに、日本のジャズ・ファンに与えた衝撃は並大抵のものではなかった。
 流れる大河の如き長大さで強靭なノンブレス奏法(循環呼吸法)、自在なマルチ・フォニック、鋭く素速いタンギング、それらの背景には韓国伝統音楽の音階もが脈打っている。
 特定の指導者も、仔細な資料やテキストもなしに、姜が完全なる独学独習による自己鍛錬で現在の奏法を体得したことは、驚異という他にない。
 「できることなら自分だけのサキソフォンそのものを作りたかったが、楽器の構造がむずかしくて、できなかった」と語る姜は、リードはすべて自らの手作りのものを使用している。アルト・サキソフォンという楽器の"核”を探ろうという、ある意味では無謀な、しかしあまりにも正しいアプローチを姜は続けている。その姿勢に故阿部薫の姿を透視する日本人は少なくない。
 1989年に姜トリオを解散。姜はさらに自己の深部へと突入していった。
 本アルバムは、現在の姜のサキソフォンのすべてが記されたものである。初のスタジオ録音作品でもある(89年に、88年のライヴ録音を集めたアルバム『Korean Free Music Live Improvisation』が韓国でリリースされている)。
 サキソフォン自体が姜の肉体の一部と化している。厳しさの中に血のぬくもりが躍動している。
 さらに本作では、韓国シャーマン・ミュージックの重鎮=金石出(キム・ソクチュル)の胡笛(ホジョク)と、石出の甥でやはりシャーマン・ミュージックの強者=金用澤(キム・ヨンタク)の枝鼓(チャンゴ)とのコラボレイションも収録されている。正楽や農楽にはない、大きなスケールを持ったふたりのプレイと、ダイナミックな姜の世界が生み出す音空間には、痛いほどの緊張感が漲っている。
 今年でシャーマン生活65年という金石出はこのセッションに心から感激し、収録後、歓びのあまり28年間止めていたという煙草をうれしそうに吸った。
 姜は「自分が常にオリエンタルであるということを強く意識して演奏している」という。
 ジャズがジャズというひとつの規定の中に埋没しがちな現在の音楽状況の中にあって、姜泰煥の存在は、ジャズ愛好家のみならず多くの人々に、勇気を与えるものであったと私は確信している。

(ライナーノーツ/1991年7月)


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