boidマガジン

2017年07月号 vol.4

Animation Unrelated 第43回 山村浩二インタヴュー 前編(土居伸彰)

2017年07月29日 15:16 by boid
世界中のアニメーションの評論や上映活動を精力的に行なっている土居伸彰さんの連載「Animation Unrelated」。今回は本連載でもそのお名前や作品が度々出てきていたアニメーション作家・山村浩二さんが登場! 8月5日(土)からユーロスペースで開催される「山村浩二 右目と左目でみる夢」でも上映される『サティの「パラード」』、『古事記 日向篇』、『怪物学抄』のことなどをたっぷり話してもらったインタヴューを前後編2ページでお送りします。
※この記事は読者登録されていない方も無料でご覧いただけます。また本記事の後編には『怪物学抄』の結末に触れた発言が含まれていますので、知りたくない方はご注意ください



『サティの「パラード」』



山村浩二の現在地 『サティの「パラード」』、神話、『怪物学抄』


 2002年の『頭山』以来、日本のインディペンデント界を引っ張り続けてきた山村浩二。今月、その近作を集めた特集上映「山村浩二 右目と左目でみる夢」が劇場公開される。日本人として初めて短編アニメーションの聖地カナダ国立映画制作庁(NFB)で制作した『マイブリッジの糸』以降、その作品のモードは変わりつつあるように思われる。そしてその変容が、必ずしも映画祭界隈で理解されていないようにも……今回は特集上映の開催を記念して、山村浩二インタヴューをお届けする。タイトル通り、「現在地」がとてもクリアにわかるものになったのでは? 今年の夏、本上映に続けて公開となる『ブレンダンとケルズの秘密』、『変態アニメーションナイト2017』とあわせて見ると、おそらく今アニメーション自体が向かいつつある場所が見えてくるのでは。その鑑賞ガイドとしてもお楽しみください。(土居伸彰)



まるで憑き物が落ちたような

――本を出されましたよね。タイトルは『創作アニメーション入門 基礎知識と作画のヒント』(六耀社)です。

山村浩二 2011年に日経新聞に連載していたときのタイトルが「日本の創作アニメーション」で、日本の作家的な人達を紹介する連載でした。今回の本にもその一部を入れています。最初はもうちょっと柔らかいタイトルをつけていたんですが、大学で1本2本作って、その次に作るくらいの人が読む本にしたいなっていうのがあって、このタイトルにしました。アニメーションを作るのが面白いと思いはじめた人に向けた本にしたいと思って。

――われわれの周りには、「アニメーション」の前にどんな言葉を付けるかという議論が常に……。

山村 あったねえ(笑)。「アート・アニメーション」とか。

――その言葉が嫌なので、僕は「インディペンデント・アニメーション」って言ったりだとか。でも、必ずしもそれに当てはまらない作品もあって……そういうなかで、今回選んだのは「創作アニメーション」という言葉だったわけですね。

山村 そう、「創作」という言葉に、「作家」的な意味合いは含んでいますね。手作りで作るというか、「個人作家」と言われる人たちの創造。プロダクションで作るのではなく、自分1人の手で作るアニメーションのための本。

――なるほど。この「創作」という言葉の佇まいが、今回の山村さんの特集上映「山村浩二 右目と左目でみる夢」全体の雰囲気と近い感じを受けました。感覚的な話なんですけど、非常にスッとしているというか、憑き物が落ちた感じがする。

山村 なるほど。いいですね、個人的には(笑)。

――今回の上映作品はどういう基準で選ばれたんですか?

山村 『マイブリッジの糸』のときが最後の劇場公開だったので、それ以降に作ったものを中心に集めました。ユーロスペースさんから『サティの「パラード」』(以下、『サティ』)を上映しないかという話が随分と前にあった。『怪物学抄』もできていなかった頃。劇場でかけるとなるとやっぱり最低60分ぐらいのプログラムが必要で、日本の若手作品や海外作品をあわせて上映するということも考えたんですが、『怪物学抄』も完成して、他の作品も合わせてみたらそれなりの上映時間になったので、自分のものだけにしました。本当は『こどもの形而上学』を入れようか迷ってたんですけど。自分の中では『怪物学抄』と対になっているような感じなので。まあそれはまた別の機会にと思って外しました。コンセプトを固めるというよりは、「最近の作品集ですよ」と言えるような、自然な流れです。

――なるほど。過去はNFBなどの海外作品と観せていたじゃないですか。仮定の話ですけど、今回の上映に、最近の他の作家の作品を入れるとしたら何ですか?

山村 ジョルジュ・シュヴィツゲベルの『魔王』かな……あちらはシューベルトで、こっちはサティで、とか。あとはボリス・ラベ。他の作家の作品と並んでというのは、最初は考えましたけど、それで60分組もうと思うと、何かこう「埋まらないな」っていうのがあって(笑)。

――なぜこの質問をしたのかといえば、最近のアニメーション映画祭シーンを賑わせている作品と、山村さんの近年の方向性というのが違ってきている気がして。

山村 自分も「違うな」と思っています。『サティ』で久しぶりにアヌシーに行って、他の作品との並びで見ると、今の映画祭が求めている方向性と違うんだろうな、と思った。『怪物学抄』とか絶対ウケないだろうな、とか思ったけど、やっぱり大きい映画祭はどこも拾ってくれなくて(笑)。実写も含めた短編映画祭だと、『サティ』も『怪物学抄』も選んでもらえるんですけど、アニメーション専門の映画祭の見ている方向とは違う気はしていますね。

――その「違い」を言語化するとすれば?

山村 何でしょうね。いまだにアニメーションって、「技術」の話になっているのかな。動画や作画が面白くて派手に動いているものが求められているような。それに、ナラティブやメッセージがはっきりしているもの。単純にいうと、すごく分かりやすいものがいまだにアニメーションの評価軸になっていて、作画やグラフィック技術の高さや、作り込んだ作品が、アニメーション映画祭では選ばれやすいなって気はします。

――いつだったか忘れたんですけれども、「もうあんまり動かさなくていいかな」みたいな話をしていたじゃないですか。

山村 うん。「アニメーション映画祭でウケないだろうな」と思っていたら、やっぱりそうだった(笑)。単純な動きとかリピートとか、シンプルな動きしかやってないと認めてくれないんじゃないかっていうのは、その通りですね(笑)。アニメーションって止まっている絵の連続なので、逆に動けば動くほど価値が高いっていうのがどこかにあるんですよね。

――でも実は、山村さんの過去作品もそんなに動いてないんですよね。

山村 動いてないのもありますよ。リピートもそれなりに使っているし。別に「作画を見せる」みたいな気持ちは全然ないんで。作画もやっぱり作品全体の中の一要素でしかないので、動かなくてもいいと思うし。

――ただ、『頭山』や『カフカ 田舎医者』などと比べると、今回、ナラティブへの意識はかなり違いますね。山村さんの作品は、それらの作品も『マイブリッジの糸』も、『サティ』も「ある男」の話です。でも、今回は、とりわけ『サティ』は語り方がかなり違う。人間の人生自体をどう理解するかというのが違ってきたのかなとも思うのですが。そしてそのあたりで、「憑き物が落ちた」感がある。

山村 まあ、『田舎医者』の頃は実際取り憑かれていたので、カフカに(笑)。笑い事じゃないんですよ、これは本当に。カフカが乗り移ってきてたんで。サティさんは、ちゃんと距離を保って友達として付き合ってくれたけど(笑)。

――(笑)。マイブリッジはどうなんですか?

山村 マイブリッジは未だに理解できないんだよね、自分でも。マイブリッジのある一部分をこちらから理解しようと思ってアプローチしたんだけど、よく分からないまま。「マイブリッジって不思議な人だな」と。何考えているかよく分からない。カフカとサティはすごく分かる。両方ともシンパシーを感じる。でも、マイブリッジにはそういう共感が起こっていない。もともとは「母と子」というテーマとバッハの「蟹のカノン」を中心に描こうと思って、そこにマイブリッジの連続写真の要素が入ってきた感じなので、マイブリッジを描こうと思っていなかったっていうのもある。途中で面白くなってマイブリッジの人生も入ってきちゃった。でも、実在した人物としての思い入れっていうところでは、特になかった。『サティ』は100%サティに興味があったから作っていて。『田舎医者』はカフカに興味があったという訳ではなく……本当に取り憑かれて(笑)。

――呼ばれたんですね(笑)。

山村 呼ばれちゃったんだからしょうがないっていう。憑かれていた(笑)。

――今回はノーマン・マクラレンとのコラボレーションもあるじゃないですか(『鐘声色彩幻想』)。山村さんの場合、「自分と誰か」という、一対一の関係が作品のなかにずっとあるようなところがある気がしていて。マクラレンについてはどうですか? マクラレン作品と山村さんの今回の上映作品には、シンパシーを感じるなと。作品を組み立てる要素と純粋に向き合って、それ以外の猥雑な要素が無い。ある種の即物性みたいなものをすごく感じる。『サティ』も同じです。「憑き物が落ちた」という話もそれに通ずるのかなと。

山村 すごくシンプルにアニメーションに向き合おうとしたかもしれないですね。『創作アニメーション入門』でも書いてますけど、アニメーションって行き着くところは、「コマとコマのコントラスト」だけだなと。マクラレンからはもちろん感じるし、サティもそういう構造がある。サティの音楽は、楽曲の構造もそうだし、部位・ディテールも全体も、構造的なんですよね。その辺は、『マイブリッジの糸』でバッハの音を使っていたときからちょっとずつ意識していたかもしれないですね。前から弾いても後ろから弾いても同じ「蟹のカノン」の構造。

――アニメーション映画祭の現場にいると、『マイブリッジの糸』あたりから戸惑う人が出てきたなと。

山村 はい。『マイブリッジの糸』はね、特にアニメーションの人に「よく分からない」って言われて(笑)。「あれ、受け入れられていないな?」って。で、『サティ』もそうなんですよね。アニメーション、特に個人作家の人たちの温度が低くて……。

――やっぱりそうなんですね(笑)。きょうはそこらへんをちゃんと覆そうと思っていて(笑)。

山村 そこ、不思議なんですよね。でも、僕の興味が、『マイブリッジの糸』あたりから特になんですが、さっき一対一の関係って言ったように、ある創作物もしくは創作者をリスペクトして、その文化的な意味について考えたり、自分にとってどういう価値があるかっていうことを考えたりするのが創作のポイントになっている。どうも、そういう文化的な興味がないと、全然意味が取れないみたい。『マイブリッジの糸』もそうですが、『サティ』も、(伝記的な)説明を作品の中であえてあまり丁寧にしていないので、そこに接続できない人は置いてけぼりになるみたい。それはもう、しょうがないなとは思っているんですけどね。

――今回、僕もすごく思ったのが、アニメーションの、というよりか、ひとりの表現者・創作者として他のジャンルの人と共鳴しあっているみたいなイメージがある。違うステップに行ったな、と。山村さん、2000年代くらいから、海外のアニメーションのスポークスマンのような活動を、ブログなどでしていたじゃないですか。僕もその流れで色々教えていただいて、いろんな文章を書くデビューもさせていただいたのですけど。山村さんがある種のアニメーションを背負うというか、そういったような位置に必然的に置かれた部分もあった。

山村 誰も紹介していなかったからねえ、あの頃は。

――そこらへんは最近、比重が軽くなっている感じもありますよね。もちろん大学で教えたりだとか、コンテンポラリー・アニメーション入門をやったりだとかはしてますけど。

山村 そこも荷物降ろしたいんだけど(笑)。まあ、ちょっとずつフェードアウトできれば。もうちょっと純粋に自分自身の創作に集中したいなっていう気持ちはありますけどね。


コミッション作品と「神話」


――『マイブリッジの糸』のあと、いわゆる「作品」という意味だと、『サティ』が初めてになりますよね。もちろんその間に絵本をものすごい量やられたりもしていますが。

山村 今回も上映する『古事記 日向篇』(以下『古事記』)もあります。テレビ用ですが、短編アニメーション。

――今回「おっ」と思ったのが、『古事記』や俵屋宗達(『鶴下絵和歌巻』)みたいに、仕事でやったものが作品と並んでもまったく違和感がないということでした。

山村 それらのものは、仕事といってもほとんど作品と変わらないスタンスで作ったものばっかりなんですよね。コマーシャルの場合はたくさんの船頭さんがいるので純粋に作品とは言いづらいですけど。『古事記』はもともと古事記をやりたいと思っていたところに、ちょうどテレビ番組の話があった。シナリオから自分で作って進めていったので、ほんと純粋に「作品」。俵屋宗達も、テレビ番組でこの絵を取り上げるっていうときに、作家としてこの絵をどう解釈してアプローチするのかっていう以上の要求はなくて、あとはこちらから自発的なアプローチで作った。「番組のために作りました」っていうものではなかった。

――コミッション作品、という感じになっている。

山村 そうそう。『水の夢』もそういう意味ではそうですね。

――ちなみに、古事記をやりたかった理由というのは何でしょう?

山村 90年代くらい、あるプロデューサーから僕の絵が古事記に向いていると言われて、それが頭の片隅にずっと残っていた。小学校の頃から古事記はずっと好きで読んでいて。単純に面白いので。あと今ずっと気になっているのは、アニメーションと神話の関係。アニメーションは神話に近いと思っていて、だったら日本の神話であれば古事記ということになる。荒唐無稽なものがいきなり接続される突拍子のなさやナンセンスさ、でもすごく根源的で内面的なものもあるし、すごくドロドロしたものも描かれていて、本当にすごい。糞尿からも神様が出てくるし。小学校の時にセックスの意味を初めて知ったのも古事記なんですよ、「そういうことか!」って(笑)。

――山村さんのフィルモグラフィーと古事記というのが、結構距離がありそうな気もします。

山村 そうかな? でも、いわゆるファンタジックな神話的な世界を描きたいと思ったことは一度もないですね。

――では「神話」という言葉は何を意味してるんですか?

山村 たぶん、寓話に近い。

――もしくはメタファー?

山村 メタファーにも近いですね。ミルチャ・エリアーデというルーマニアの神話学者がいて、幻想小説も描いている。エリアーデがいろいろな神話を取材するなかで、ある部族から聞いた神話の話が、よく調べるとたった5年とか10年前の出来事に基づいていると気づいたというエピソードがある。ほんのつい最近の出来事が、神話として語られている。神話には、その人が自分自身の出来事をナラティブに変換するという機能があるということ。それと同じ意味で、アニメーションというものも、現実をただダイレクトにドキュメントするのではなく、ベースには事実があるんだけれども、それをアニメーションにした瞬間に神話になるっていうことがあっていい。そういう意味合いでの「神話」ですね。古事記もたぶん、史実とか民間の伝承とかがごちゃ混ぜになっていると思う。だからこれは「歴史的な話だ」とか「事実だ」ってわけではない。ベースには絶対に人間の根源とか処世とか性とか食とか、下世話なものも含めた人間の根源的なものをストーリーに転換したときに、神話になっている。
おそらく次の作品になるであろう『Dozen North』をずっと作っていて、自分の生きてきた感覚を置き換えるという意味では、自分も神話を創作しているという感覚がある。『文學界』の表紙で描いていたものをアニメーションにしようとしています。


『古事記 日向篇』



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