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2017年08月号 vol.4

映画川『散歩する侵略者』 (鍵和田啓介)

2017年08月26日 19:46 by boid
2017年08月26日 19:46 by boid

今週の映画川は9月9月(土)公開の『散歩する侵略者』(黒沢清監督)が登場。昨年の『クリーピー 偽りの隣人』、『ダゲレオタイプの女』に次ぐ黒沢監督の新作は、数日間の行方不明の後、夫がその身体を「侵略者」に乗っ取られて帰ってきた――というまさかの異変から始まる、劇作家・前川知大さんの戯曲をもとに作られた作品です。本作について、ライターの鍵和田啓介さんが、これまでの黒沢監督作品におけるトポスの変遷を踏まえながら考察していきます。
【※こちらの記事は読者登録をされていない方でもご覧いただけます。また文章の後半に映画の結末に軽く触れた部分が含まれますので、知りたくない方はご注意ください】



文=鍵和田啓介


 21世紀の映画とは“河の映画”である。かつて黒沢清は『黒沢清、21世紀の映画を語る』においてそのように宣言した。
 ここだけ抜き取るとなんのことやらという感じもするが、要は21世紀的(というのが何を意味するのかはひとまず措く)な映画にとって、河こそが最重要なトポスとなっているという意味である。
 なるほど、『グエムル 漢江の怪物』『宇宙戦争』『ある子供』『ミスティック・リバー』などを引き合いに出しつつ、ここにもあそこにも穏やかではない表情をまとった河が映っていると指摘する黒沢の手さばきは鮮やかで、自分ならあの作品の河を付け加えるだろうなといった妄想にふけりたくもなってくる。
 しかし、だ。当の黒沢本人はといえば、これに当てはまる気がしないのはどうしたことか。たしかに、『神田川淫乱戦争』で商業映画デビューした黒沢が、その後の作品においてもことあるごとに河を撮ってきたことは間違いない。とはいえ、それはすべて20世紀の話なのではないか。21世紀に至るやいなや、黒沢は別のトポスを目指すようになるのではないか。だとしたら、それはどこなのか。
 海である。黒沢は21世紀になって初めて撮った長編『アカルイミライ』において、河から海へと逃走したクラゲのその軌跡に同調するようにして、“海の作家”になったのだ。というのがここでの見立てである。
 実際、21世紀以降の黒沢のフィルモグラフィーを眺めてみれば、『ドッペルゲンガー』『LOFT ロフト』『叫』『トウキョウソナタ』と、いずれも海が重要なトポスとなっていることに気づくだろう。そこで海はある存在の死に場所であり、その死んだものが回帰する場所として、生の世界と死の世界を往還可能なものとする回路として描出される。それを「液状化現象」を通して見事に表現したのが『叫』である。
 しかし、だ(またしても!)。この海映画の系譜は『リアル〜完全なる首長竜の日〜』の狂気さえ感じられる水及び海の氾濫をもって、臨海点に達したように思う。この映画は主人公が自室のベランダで花に水をあげているショットから始まり、リビングでスープを飲み、病院の廊下で水を飲み、ジムのトレーニング後に水を飲み、離れて暮らす母の家で水を飲み……と水(液体)のイメージが執拗に繰り返され、それがまさに“呼び水”となって、ラストの回路としての海が召喚されるという作りになっている。
 ここまで水浸しの映画を作ってしまったら、もうそう簡単には海の映画なんか作れないのではないか。これをもって黒沢は海にも別れを告げ、また新しいトポスを模索し始めるのではないか。そんな素朴な予感は、次作『岸辺の旅』でいっそう強まることになる。なんせこの作品は、題名が示す通り海の一歩手前で終幕を迎えるからだ。では、黒沢は河、海に続きどこを目指しているのか。
 空だ。『クリーピー 偽りの隣人』で、地上からみるみる空へと上昇するドローンの異様な空撮を目撃してそう直感したものだが、最新作『散歩する侵略者』を見るにつけ、どうやら間違ってなかったような気がしてくる。本題に移る前に、『散歩する侵略者』のあらましを確認しておく。
 イラストレーターの鳴海の前に、数日間消息を絶っていた夫の真治が帰ってくる。しかし、彼は真治であって真治でない。というのも、彼は地球の侵略を企む宇宙人に、その身体をのっとられたからだ。彼ら宇宙人は、そうすることで地球の現状を視察した後、本格的な侵略を開始するという。映画は鳴海と真治=宇宙人の物語と、もう2人の視察者と1人の人間の記者の物語とを、同時並行的に描くことで進んでいく。
 宇宙人による地球侵略映画なんだから、空が重要なトポスであることは言うまでもないだろうが、そんな本作にも水のイメージが皆無だとはいえない。
 そもそもファーストショットからして、水中を泳ぐ金魚のイメージだ。この金魚は、のちに視察者の1人が間違えてその意識を転送してしまった存在であることが判明する。かの視察者は、これじゃあ視察もはかどらないとの判断により、すぐに付近にいた人間の身体をのっとることになる。
 また、河が映っているシーンもある。まだ地球人のルールがよくわかってなかった真治=宇宙人が、土手にいた犬との会話を試みるも襲撃に遭って倒れるというシーンの傍らに河がばっちり流れている。この一件をもって犬とは会話できないと思い知った彼は、以後、河に近づくことはなくなる。
 という次第に、水および河は登場するにはするが、それらは忌避すべき対象としてあるようだ。きわめつけが、いよいよ宇宙人の侵略が開始するラスト近くだろう。いかにも黒沢映画的な曇天の空から、宇宙人たちが放つ光線が地球へと垂直に降り注ぐのだが、かの光線は真下に広がる海を避けるように、水面の近くにさしかかると折れ曲がり、水面と平行方向にそれるのだ。まるで視察者たちに「海は避けろ」との報告でもされたかのように……。
 大したネタバレでもないだろうから結末にも触れてしまうが、結局この侵略は不首尾に終わったことがエピローグで明かされる。つまり、宇宙からやってきた宇宙人たちは、いったん地球に急接近したものの、また宇宙へと帰っていったことになる。海映画時代の黒沢映画の登場人物たちが海において歩んだ往還運動を、空に舞台を移して反復したのである。
 では、なぜ宇宙人による侵略はなされなかったのか。劇中において、その理由は詳らかにされることはない。しかし、黒沢が敬愛し、本作でも多分に参考したと思しき『宇宙戦争』の宇宙人たちが地球侵略に失敗した理由を想起するなら、やはり、なにかしら水に起因するのではないかと妄想したくなるのは筆者だけではないはずだ。
 いずれにしても、本作をもって黒沢が本格的に水(河、海)を遠ざけ、空を目指し始めたのは間違いないように思う。しかし、それが妄想かいなかは、彼の今後の作品を見てみないことにはわからない。

散歩する侵略者
2017年 / 日本 / 129分 / 配給:松竹、日活 / 監督・脚本:黒沢清 / 原作:前川知大 / 脚本:田中幸子 / 出演:長澤まさみ、松田龍平、高杉真宙、恒松祐里、長谷川博己ほか
9月9日(土)全国ロードショー
公式サイト




鍵和田啓介(かぎわだ・けいすけ)
ライター、編集者。「POPEYE」「BRUTUS」「Numero」を始め、雑誌を中心に執筆を行っている。著書に『みんなの映画100選』(イラストレーター・長場雄さんとの共著、オークラ出版)。

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