boidマガジン

2017年09月号 vol.1

樋口泰人の妄想映画日記 その47

2017年09月10日 06:45 by boid

boid社長・樋口泰人による業務日誌ときどき映画&音楽&妄想日記。今回はYCAMと東京を行き来する8月11日~20日の日記です。YCAMの染谷将太監督作品の野外上映へ戻る際に「お盆の帰省」に憤りを感じ、久々に戻った自宅では猫たちに不審な目で見つめられた社長。「アナログばか一代」ではレコードをギターに変えて湯浅学さん、直枝政広さん、井手健介さんによるライヴ編という新たな展開も。




文・写真=樋口泰人

8月半ばはほぼ東京。この期間だけのつかの間の自宅だが、東京に戻るとやはり具合が悪い。というか山積みの仕事を抱えた日常にうんざりする、というのをまるで東京が悪いみたいに言って何とかやり過ごす。細かい連絡やミーティングなど、次々にいろんなことがあってひとつのことにまったく集中できない。しかし世の中はお盆であった。この時期は本当にまったく心の底から納得できない。人はどうしてお盆の時期に実家に帰るのか? いや、帰るのは別に全然かまわないのだが、それをどうしてマスコミは嬉々として伝えるのか? あのおかげで子供たちが外に出た老父母たちは、しなくてもいい期待を過剰に膨らませているに違いないのである。「今年はいつ帰ってくるのか」と母や知り合いたちに尋ねられるたびに私はいつもぐったりどころか本当はちゃぶ台をひっくり返したいくらい激怒する。そういう仕組みから自由になりたくて外に出たのにどうしていつまでもそれに張り付かれていなければならないのか? テレビに映る、「おばあちゃんちに行くのぉ」とか言ってにこにこしている子供の顔を見るたびに怒りの炎がメラメラと燃える8月中旬。


8月11日(金)
3連休の始まりとお盆が重なるという事態をすっかり甘く見ていた。大阪から山口への移動は新大阪発の新幹線に乗ればいくら3連休でも楽勝と思っていた。駅について掲示板を見ると、すべての列車に×印が付いていた。愕然とする。荷物を山口のホテルに預けていなかったら、この時点で確実に東京に戻っていた。大阪から東京方面の列車はどれも空いている。特に大したものも入っていないし、どうせ10日後には山口だしそのまま置いておいてもらってもいいかなと思いつつ、気を取り直して自由席のチケットを購入。ホームに行ったらさらに愕然とした。あふれる人、汗臭い、仕事とはいえ面倒なことこの上ない報道関係者。どこに並んでいいものかもよくわからない。尋ねたくても、すでに駅員さんたちも汗だくである。

何となくここかなという列に並んだのだが、もちろん1台目に乗れるはずもなく待つこと1時間ほど。途中、無理やりギューギューの中に突入すれば乗れないことはなかったが、夕方までに山口に着けばいいわけなので、さすがに通勤列車みたいな新幹線に乗り込む元気はない。ようやく始発がやってきて座って山口までと思っていたら、それは山口には止まらない列車であることが判明したのだが、ここまで来てやめるわけにもいかず、小倉から引き返すことに。せっかくだから小倉観光でもしようかと思ったものの、さすがにその元気もなく山口へ。

途中、山口までは反対車線の列車とすれ違わなかった。そんなことはあり得ないのだが、何度か注意していたものの全然すれ違わない。山口を過ぎたあたりから影のようなものとすれ違いだし、小倉近くでは実体となった。あまりに不思議な体験だった。最近の新幹線は静音設計がすごいので、そのせいかもしれない。だがそれならあの影のようなものはいったい何だったのか? この時期は何が起こるかまったくわからない。やられたい放題である。

そして新山口駅からホテルに向かうバスで寝過ごした。気が付くとすでにYCAM前。慌てて降りて引き返したのだが、もうひとつ先の停留所だったら、この暑さの中での徒歩はむりだった。ホテルで温泉に入り、そしてYCAMへという予定。しかしうっかり寝てしまい、杉原くんからの電話で起こされる。迎えに行きましょうかと言うので温泉に入ってから行くと答えると、いや、もう7時ですよと。本日のメインイヴェント、染谷将太作品の野外上映が始まる時間が迫っていた。さすがに疲れている。迎えに来てもらい、染谷くんにも挨拶し、YCAM裏手の公園芝生へ。19時30分でもまだ十分明るい。東京よりだいぶ西であることが実感される。

上映は、『シミラー・バット・ディファレント』『清澄』そしてYCAM制作による『ブランク』の3本。もちろんどれも明らかに野外上映向きの広がりのある風景が映っているわけではまったくないので、公園に集まった数百人の方たちの多くが戸惑ったはずだが、そこに映る人たちがどれも朧気でその場にいるのかいないのかよくわからない人々である、その存在の不確かさが、スクリーンと野外の風景との領域をゆっくりと曖昧なものにしていく危うさは伝わったのではないかと思う。

同じ俳優と言ってもそれぞれまったく違うと思うのだが、染谷将太という人は、自分が誰かの役を演ずる時も、おそらくこんな不確かな人たちとともに演じているのだろう。「役柄」というあいまいな設定を演ずるにあたって、その確かさを求めない。その「役柄」になったかもしれない自分の知らない多くの人や、誰も知らない名もなき人との対話の中で、その「役柄」を生み出していると言ったらいいか。実際のところは本人に尋ねないとわからないのだが、この日の3本は染谷将太という俳優のあいまいな広がりとそれゆえの強さを伝えていた。

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