boidマガジン

2017年09月号 vol.2

『DARK STAR/H・R・ギーガーの世界』公開記念:マルコ・ヴィッツィヒ氏インタヴュー

2017年09月20日 19:37 by boid
2017年09月20日 19:37 by boid

現在公開中の映画『DARK STAR/H・R・ギーガーの世界』は、スイスの画家・デザイナーであるH・R(ハンスリューディ)・ギーガー(1940~2014)の創作の源や作品制作の裏側から日常生活まで、その人生に迫ったドキュメンタリー作品です。ギーガーの作品で最もポピュラーなのは映画『エイリアン』の造形だと思いますが、彼は「リー(Li)」や「ネクロノーム(Necronom)」、「バイオメカノイド(Biomechanoid)」など数多の絵画や彫刻作品、人間の背骨がモチーフとなった椅子「ハルコネン・チェア」、さらには彼自身がその空間を設計した「ギーガー・バー」など数々の独創的かつ多様な作品をその人生において生み出しました。
マルコ・ヴィッツィヒさんはそうしたギーガーの膨大な作品の管理しながら、世界各国で行われている展覧会の企画に携わっています。先日『DARK STAR』の日本公開に合わせて来日したマルコさんに、ギーガーの作品や手法、『エイリアン』のヒットが及ぼした影響、『DARK STAR』の撮影秘話などを、同映画のパンフレットやポスターのデザインを手掛けた河村康輔さんとともにじっくり伺いました。
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『DARK STAR/H・R・ギーガーの世界』より




聞き手:河村康輔、黒岩幹子
構成:黒岩幹子


5000点を超えるギーガーの作品


――まずはマルコさんが初めてH・R・ギーガーの作品に出会われたときのこと、そしてギーガーと一緒に仕事をするようになった経緯について教えてもらえますか?

マルコ・ヴィッツィヒ(以下MW) 私は幼少の頃から教育の一環として母親に様々な美術館に連れて行かれていました。そして1984年、私が12歳の時にスイスで初めて開催されたギーガーの大規模なレトロスペクティヴに連れて行かれたんです。当時は子供だったのでお城や怪獣が好きだったんですが、そういう好みに合う部分もあったからなのか、ギーガーの作品を見てものすごい衝撃を受けました。ただ母親はアート作品と聞いただけでギーガーのことを知らずに私をその展覧会に連れて行ったので、少しショックを受けていたようですが(笑)。その最初に行ったレトロスペクティヴのカタログは今でも大切にとってあります。
それ以後もギーガーの作品に魅了され続け、学校を卒業し大人になってからは自分のお金を全てギーガーの作品につぎ込むようになったんですが、やはりすごくお金がかかってしまうんですよ。なので自分がコレクションした作品を売ることも始めたんです。また、自分の持っている作品を展示会に提供したりもするんですが、それがちゃんと展示されているか確認にするために様々な展示会を訪れるうちに運営にも関わるようになり、さらには自分で展示会を開くようになったんです。その過程の中でギーガーと連絡をとるようになり、彼との関係がより親密になっていきました。そして最終的に彼の元で働くようになったというわけです。その間に自分のコレクションもどんどん増えていったので、現在でも美術館などの展覧会に自分のコレクションから作品を出すことがありますし、ギーガー・ミュージアムにも僕が所有する作品が4、5点ほど展示されているんですよ。

――ギーガーがその生涯で作った作品はどのぐらいの数あるんでしょうか?

MW 全作品点数ということになると絵画作品500点、ドローイングやスケッチも含めると5000点を超え、彫刻も1000体近くありますから何千単位になりますよ。彼は常にスケッチをしていて、ベッドの下にもスケッチブックを何冊も置いていたほどですから。私は全ての作品をスキャンしたり写真に撮ったりしてカタログ化したんです。そのカタログはPDFにして管理していますが、印刷すると電話帳以上の厚さになりますね。ギーガーにも見せたんですが本人もこんなにあるのかと驚いていました。それから彼の誕生日に主要作品を大きくプリントしたもの――タッシェン(Taschen)という出版社がギーガーの主要作品を収録した大型本(『HR Giger』)を出しているんですが、それと同じぐらいのクオリティのプリント――をプレゼントしたらすごく喜んでくれました。

――タッシェンからは小型の作品集も出ていますよね? それは僕(河村)も持ってます。

MW 小型本は1991年に出たものですね(『HR Giger Arh+』)。最近15㎏もある大判の作品集も出版されたんです。その1991年に出版された小型の本は、私が最初に買ったギーガーのカタログのひとつですよ。

――『DARK STAR/H・R・ギーガーの世界』の中でマルコさんがギーガーの自宅で1960年に描かれたスケッチ作品(「シンデレラ博士の植物」)を発見された話をされていましたが、彼の自宅には他にもまだ世に出ていない作品がありそうですか?

MW ああいう(雑然とした)家の状態なのでまるで宝探しのようなんですが、いろいろな場所を探しました。映画の中でもギーガーに「彼(マルコさん)は掃除をしすぎる」と文句を言われてしまっていましたが(笑)。ですからほぼ見つかっていると思うんですが、まだ家の全部を探し終えたわけではないのでこれからも新しい作品が出てくる可能性はあります。先ほど挙げたタッシェンの大型本などの新しい作品集、展覧会においても今までに人々が見たことがなかった作品を見せたいので、常に探すようにはしていますね。

――現在、世界各地でギーガーさんの展示会が行われる際にどの作品を出すかを決められているのもマルコさんですか?

MW ギーガーの存命中はもちろん彼と一緒に話し合ってどの作品を出すか決めていましたが、今はカルメン(ギーガー夫人)と話し合って決めています。開催地や開催規模、レトロスぺクティヴなのか、あるいは初期作品をテーマにしたものか映画作品が中心なのかといったテーマに沿って作品を選ぶようにしています。その過程でコレクターからも作品を提供してもらうか、ギーガー・ミュージアムから出すかなども考えていきます。
また、ギーガー財団としては自分がメインのキュレーターですが、美術館で展示をする際はそこのキュレーターの意見を聞くようにしています。自分だけでキュレーションすると自分のアイデアしか表われませんから、この時代を強調したいとかこういうテーマでやりたいとか、別のアプローチを提案してもらえたほうがいろいろな組み合わせが生まれて、より良い展覧会になると思います。やはりアートの世界から新たなアイデアをもらうのは面白いことです。ギーガーの存命中は展示会場自体がダークな雰囲気になっていたんですが、最近は白い壁に作品をかけたいという要望などもあって、彼の作品を別の形で見てもらうチャンスにもなっています。

――ギーガーの存命中は展示会場がダークな雰囲気になっていたというのは、ギーガー自身の希望がそこに反映されていたということでしょうか?

MW これはギーガー・ミュージアム(スイス・グリュイエールにある1998年に開館したギーガー作品を所蔵・展示する美術館)の話なんですが、彼は晩年の15年ほどずっとこのミュージアムに力を注ぎこんでいました。あのミュージアムこそが彼の世界なんですね。多くの人が想像する美術館というと、センターピースがあってその周囲にそれに伴う作品が配置されるような展示の仕方だと思うんですが、ギーガー・ミュージアムではまずそのランドスケープから彼の作品を切り取って形成されているので、普通の美術館とは違うという意見もありますね。そうした展示方法は、ラビリンスに迷い込むようにギーガーの世界に入っていくために必要なことだったと思います。

――ミュージアム自体がギーガーのひとつの作品だと考えていいでしょうか?

MW その通りです。ギーガー・バー(ミュージアムに併設するギーガーがその空間全てをデザインしたバー)にしても子宮を通って身体の中に入っていくような感覚ですよね。彼の絵画の3Dヴァージョンと捉えてもらっていいと思います。

――彼はキャンバスや紙の上だけではなく、ギーガー・バーのように空間をデザインするような作品をもっと作りたいという願望を持っていたと思いますか?

MW 絵画だけではなく自分の世界を空間的に表現することができるのであれば、ぜひやりたかったと思います。もし機会があれば自分の作品のコラージュ、自分の作品の全てを組み合わせた空間を作りたかったのではないでしょうか。ギーガー・バーももっと何店も開きたいと言っていましたし、財政面など様々な条件が伴うのであれば、もしかしたらショッピングモールのようなものも開きたがったかもしれないですね。まあそこに買い物に行きたいかどうかは別として(笑)。

『DARK STAR/H・R・ギーガーの世界』より




エアブラシが体の一部


――『DARK STAR』ではギーガーの自宅が主要な舞台になっていますが、彼にとってあの場所はどのような空間だったと思いますか?

MW 彼はすごくシャイな人でした。もちろん有名人なのでいろいろな人が彼に会いに来るんですが、それを喜びながらもひっそりと暮らすことを望んでいました。だから彼の家は隠れ場所であり、ネズミが巣穴に入ってじっと過ごすような感覚だったと思います。彼は世界を普通の人とは違う見方で見ていましたから、彼にとっては自分の世界の外側は悪夢であり、絵画に描いた自分の世界こそが落ち着ける場所でした。だから家の中を自分の世界観で満たすことによって安心感を得ていた、外の世界から自分を守るためにそこに留まっていた部分があったと思います。

――きっと自分の絵の中に住んでいたような感覚だったんでしょうね。

MW そうでしょうね。彼の作品もまた平面的な絵画ではなく、その絵画の世界に入っていけるような立体感を持っていますから。

――(『DARK STAR』劇場パンフレットに掲載されたギーガーの作品を見ながら)作品全体に奥行きがあって、メインのオブジェだけでなく背景もものすごく描き込んでありますし……

MW あなたが今見ている「呪い(Spell)」シリーズ(1973~77年制作の「The Spell」Ⅰ~Ⅳからなる4作品)はギーガー・ミュージアムでは大きなひとつの部屋の四方を囲むように、それぞれの絵画の両端が繋がった状態で展示されているんですよ。入口の正面にこの作品(「呪いⅠ The Spell Ⅰ」)が配置されていて、まさにこの絵画の世界に入っていくような感覚になります。

 


――なるほど、長年の謎が解けました。最初にギーガーの作品を見たときから背景の描き込みの細かさが気になっていたんです。でもきっとこの絵の中に自分が住むと考えれば、これくらい描き込まないとリアリティが持てなかったんじゃないでしょうか(笑)。

MW すごくリアルに描かれているので、写真と間違える人もいますよ。ある人がギーガーに「この写真はどうやって撮ったんですか?」と質問してきたことがあったそうなんですが、彼は「どうやって撮るんだ? 私が地獄に行ったと思うのか?」と答えたそうです(笑)。それだけ精巧だということですよね。彼のこの緻密な作風に影響を受けているアーティストはたくさんいると思います。あるデザイナーが、マイクロソフト社に自分の会社を売却した際にそのお金でギーガーの作品を買いにきたこともありました(笑)。

――ギーガーが絵を描く際にまったく下書きをしなかったというのは本当ですか? 大きな作品などはどうやって描いていたんでしょうか?

MW はい、それも彼の才能のひとつですよね。『エイリアン』(1979年)のようにクライアントからの依頼があってデザインする場合はもちろん最初にスケッチを描いてそれを渡していたのですが、自分の作品の場合は下書きはしていませんでした。全て調べたんですが、下書きのスケッチは1枚も見つかっていません。大きな作品はたとえば右上の部分から描き始めてそこから左に下にとどんどん広がっていく場合もあるし、家にそれほどスペースがなかったのでロール状の紙を壁に貼って紙を巻き取りながら描くこともありました。つまり描いてるときに全体像は見ておらず、頭の中にある全体像に沿って描き進めることができたんです。

――頭の中で完全な全体像があったからこそ、スケッチなしで描けたんでしょうね。

MW 彼のアーカイブや日記に類する記録も見たんですが、本当にスケッチは出てこなかったです。むしろエアブラシで作品を描き終えて、まだ描き足りなかったときにスケッチブックに何かをスケッチしていたということはありました。ただ絵の完成前に描かれたスケッチというのはありませんでしたね。

――じゃあ普通とは逆なんですね。

MW 本当にそうですね。彼の作品をあまりにも暗いという理由で好まない人の中にも、彼の作品を描くプロセスや技法には尊敬の念を抱いているという人もいます。(パンフレットに掲載された1972年の作品「アスワン Assuan」を指して)この作品はギーガーがエアブラシを使い始めた最初期の作品のひとつです。エアブラシを使い始めてほんの1~2ヶ月でこの作品を描きました。すでにものすごい完成度ですよね。

 


――ギーガーさんが油絵からエアブラシを使ったこういうテイストの作品に移行したのはどうしてでしょうか?

MW 音楽家がいろんな楽器を試してみて一番しっくりくる楽器を見つけるように、ギーガーもエアブラシを使っているときが一番しっくりきたんですね。エアブラシのほうがシュルレアリスムの世界観をよりオートマティックに、直接的に描けた。油絵だと絵具を塗って乾くのを待ってからそれに上書きしていかなければならないので時間がかかるんですが、エアブラシだとすぐに上書きできるので絵具が乾く時間を待たずにどんどん描いていくことができるのが魅力だったようです。ただ、油絵を描いていたときはアートシーンでも芸術家として認められていたんですが、エアブラシを使うようになったことでアート界からは見放されるという側面もあったと思います。

――その変化は突然のことだったのでしょうか?

MW この油絵(1968年の作品「地の底で・未完(Unter der Erde)」)と「アスワン」の間にも「通路(Passage)」シリーズ(1969~73年)があったりしますので、制作年を追って見ていったほうが変化がわかりやすいかもしれません。ギーガーの絵を年代順に追っていくと、インクから油絵に行って、より抽象的な油絵に移行し、エアブラシのクラシカルな手法、さらに独自の手法へと徐々に変わっていっています。もっと作品数の多い本で見ていただければその進化がよくわかると思います。

――そうした手法の変化は、描く題材やテーマによって促された部分もあったんでしょうか? たとえば「バイオメカノイド」を描く上でエアブラシという手法が選ばれたとか。

MW 題材によって手法を変えたというよりも、油絵で「通路」シリーズのような抽象的な作品を描いていって、その後偶然エアブラシという道具に出会ってよりシュルレアリスム的な夢の世界、バイオメカノイドの世界を描けることに気づいた、エアブラシを使うことによってより大きな自由を得たということだったのではないでしょうか。手法を変えることで、もっと可能性を広げられることに気づいたんだと思います。夢の中にいるような感覚で自分の頭の中にあるイメージをどんどん描けてしまうということです。

――ドローイングに近い感覚ということですよね。自分自身がマシーンになったような……

MW そう、エアブラシが体の一部のような感覚だったと思います。

『DARK STAR/H・R・ギーガーの世界』より




『エイリアン』、『DARK STAR』


――『DARK STAR』の中でオーストリアの美術館のキュレーターであるアンドレアス・ヒルシュさんが、『エイリアン』が公開された当時ギーガーの作品はアートシーンで評価されていなかった、しかしこの10年で状況が変わったということを話されていました。マルコさんはその意見についてどうお考えですか?

MW 今は違うんですが、確かに70年代末ごろは芸術家の作品とポップアートやデザイナーの作品は別物だと捉えられていて、ポップアートのアーティストやデザイナーのほうが下に見られていました。ですからギーガーは『エイリアン』によってすごく有名になったものの、彼のアーティストとしてのキャリアにはあまり良い影響を及ぼさなかったと思います。たとえば美術館などに、エアブラシで描かれた絵画やハリウッドの作品はうちには飾らないといった不躾な対応をされることも多かったようです。ただ彼は常に自分のために作品を作っていたので、そうした評価によって彼が自作において妥協することはなかったですし、彼の作品や作風への影響はありませんでした。また、女性器などを描いたことが宗教的側面からタブー視されたことでキャリアに影響を受けた部分はあったと思います。コロンビアや中東などでは宗教的な理由から彼の作品を展示することができませんから。もしそうした批判を受け入れて女性の裸を描かないようにしていればもっと作品は売れていたかもしれませんが、今いったように彼は妥協する人ではありませんでしたから、自分の描きたいものだけを生み出し続けていました。

――『エイリアン』のデザインをやったことによって、外側からの見方でクライアントワークの人だと見られるようになったというだけで、結局ずっとファインアートの人だったということですよね。

MW 『エイリアン』が成功したひとつの理由は、監督のリドリー・スコットがギーガーの才能に気づいて、エイリアンやフェイスハガーなどのクリーチャーだけでなく難破した宇宙船などのデザインも全部任せたことによって、人々はその世界観に魅了されたからだと思います。その続編などではギーガーが第1作目のように深く関われなかったので、評判が落ちていってしまったのはないでしょうか。リドリー・スコットがギーガーをデザイナーとしてではなく芸術家と認識して、好きなようにさせてあげたので良いコラボレーションが生まれたのだと思います。
ギーガーのファンには『エイリアン』から入る人が多いと思うんですが、映画でも『エイリアン』以外にデザインを手がけた作品があること、『エイリアン』以外の側面もあることを是非知ってもらいたいです。「ギーガー・フィルム・デザイン」というギーガーの映画関連の作品をテーマにした展覧会をいろいろな美術館と組んでやってきたんですが、そこでも当然『エイリアン』の作品は展示しますが、それ以外の映画作品も重視した展示になるようにしてもらっています。彼のアーティストとしてのキャリアは50年を超えるものでしたが、『エイリアン』における仕事はその一部に過ぎません。たとえばギーガーは『エイリアン』より前にエイリアン(異星人)の映画を作っていたんですよ。『Swiss Made(スイス・メイド)』(1968年)という2000年のスイスを舞台にしたSF映画なんですが、その作品ですでに彼は異星人をデザインしていたんですね。そういったまだ知られていない作品ももっと世に広めていきたいです。

――『DARK STAR』についてもお伺いしたいのですが、こうして自分のドキュメンタリー映画が作られることについてギーガーさんやご家族の方はどうお考えだったのでしょうか。

MW 自分のドキュメンタリーを作ってもらうのは夢だったんですけども、すごくシャイな性格なので撮影隊がカメラを向けてコメントを求めても「やめてくれー」って逃げたりとか、「今疲れていて話す気分じゃない」と言ってカメラを避けたりしていました。でも撮影隊が帰った後、家族や身近な人たちと食卓を囲んでいるときにカメラの前で言うべきことを喋るんです(笑)。撮影スタッフがある作品を作った経緯を尋ねてもその場では何も話さないんですが、彼らが帰った後でそれを全部話してくれたこともありました。撮影スタッフは本当に苦労したと思います。ですがこの作品ほどギーガーの自宅に入り、彼の生活を追った作品はありません。彼の日常生活や素顔、友人たちと語り合う姿をこれだけカメラに撮らせたことは今までなかったので、そういう意味でこの作品は特別なものです。ギーガーはこの映画の撮影直後に亡くなってしまいましたが、彼のレガシーを映画として記録できたことは本当に良いことだったと思います。

――ギーガーさんがカメラを避けられることもあったとのことですが、この作品はギーガーさん自身があれこれ語るというよりも、ご家族や近しい友人・協力者の証言によって彼の作品や人となりが浮き彫りになるような構成になっていますね。

MW もちろん監督のベリンダ(・サリン)はもっとギーガーに喋ってほしかったのではないかと思いますが、やはりギーガーは作品を見せられればそれでよくて、自分のことは気にしてくれるなという謙虚な人柄だったので、結果的にああいう構成になってしまったんでしょうね。でもあれでも喋っているほうなんですよ。ギーガーが喋っている場面は、ベリンダが辛抱強く働きかけて発言を引き出してくれていました。普通はもっと寡黙です。マリリン・マンソンがギーガーに会いたいと連絡してきたときでさえも、どうしてあんな有名人が自分のようなただの画家にわざわざ会いに来るのかと不思議がっていたぐらいでした(笑)。

――マリリン・マンソンの他にも有名人がギーガーさんを訪ねてくることはあったんですか?

MW 会いたがっていた人はたくさんいたんですが、やはりシャイなので断ってしまったことも多いですね。80年代にアンディ・ウォーホルが会いたいと言ってきてくれたときも会うことは会ったそうなんですが、彼のファクトリーに行ったり、一緒に夜の街に出かけたりということはなかったそうです。若い時から人と会って遊ぶよりもアトリエに引き籠って作品を作っていた方がよかったんですね。もしもっと多くの有名人と交流していれば作品ももっと売れたかもしれませんが、それよりも自分の創作を優先したのです。

――サルバドール・ダリとはどういう関係だったんでしょうか?

MW ダリの作品は子供のことから好きで影響を受けていたそうですし、『エイリアン』の前にアレハンドロ・ホドロフスキー監督の『DUNE』という実現しなかった映画のプロジェクトがあったんですが、そこでギーガーは作品の舞台となる砂の惑星をデザインする予定で、ダリはその惑星の皇帝を演じることになっていました。結局その作品はダリが巨額のギャラを要求したり、様々な問題が起きて立ち行かなくなったんですが。その後、1977年に『ネクロノミコン』を出版した際に寄稿を依頼したところダリは小さなドローイング作品を提供してくれて、その絵は同書の裏表紙に掲載されています。その年にギーガーは当時のガールフレンドを連れてダリのもとを訪れました。ダリはギーガーの作品も気に入っていたんですが、それ以上に彼のガールフレンドのことを気に入ってしまって、「ハンス(ギーガー)は先に帰っていいよ」と言われて彼女をダリの家に残したまま帰るはめになったそうです(笑)。それからギーガーは映画『スイス・メイド』で作ったコスチュームをダリにプレゼントしたんですが、ダリはそれをすごく気に入って、現在でもダリの美術館に展示されているんですよ。

――マルコさんは『DARK STAR』に出演されてもいるわけですが、完成した作品をご覧になってどのような感想を持たれましたか?

MW もちろん作品は気に入っています。年老いたギーガーを見るのは少し寂しいですが、彼を天才として持ち上げるだけでなく人間的な側面、彼の日常生活、友人たちとのやりとりなどを近い距離で描いてくれているのが素晴らしいと思いました。今までそういう作品はなかったので、非常に貴重な作品です。彼の作品を知っている人はたくさんいますが、彼の人柄はあまり知られていませんでしたから。もちろん彼の作品についてもしっかりと描かれていて、作品とパーソナルな面がバランスよく構成されていると思いました。そして残念ながらこの作品を撮った直後に彼は亡くなってしまったので、このような作品が出てくることはありません。ぜひ多くの人に見ていただきたいです。

 

DARK STAR/H・R・ギーガーの世界
2014年 / スイス / 99分 / 提供:日活 / 監督:ベリンダ・サリン / 製作:マルセル・ホーン / 出演:H・R・ギーガー、カルメン・マリア・ギーガー、スタニスラフ・グロフ、トーマス・ガブリエル・フィッシャー、ザンドラ・ベレッタ、マルコ・ヴィッツィヒ他
9月2日よりヒューマントラストシネマ渋谷、
9月9日より東京都写真美術館ホール、シネマート心斎橋ほか全国順次公開中

公式サイト

 

マルコ・ヴィッツィヒ Marco WITZIG
芸術教育者、キュレーター、H・R・ギーガーの作品管理者。ヌシャテルとブライトンで経済学を数年間学んだのち、ギーガー作品の収集に力を注ぐようになる。世界中に散らばったギーガーのアートの捜査から管理・運用まで、ギーガーの生前よりアシスタントとして手腕を発揮。またマティアス・ベルツとともにギーガー作品の整理と記録に取り組み、広範囲にわたる目録を完成。現在も世界各地で展覧会をギーガー財団のもと企画している。

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