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2017年09月号 vol.4+10~12月号

Television Freak 第20回 (風元正)

2017年10月13日 03:21 by boid
2017年10月13日 03:21 by boid

家では常にテレビつけっぱなしの生活を送る編集者・風元正さんが、ドラマを中心としたさまざまな番組について縦横無尽に論じるTV時評「Television Freak」第20回です。今回は最近のワイドショー、ニュース番組について。1年前に本連載(第5回第8回参照)で取り上げた『ワイドナショー』『とくダネ!』『報道ステーション』といった番組がその後どう変わったのか、そして芸人を筆頭としたコメンテーターの増殖問題に切り込みます。
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ねこじゃらしが群生していたが今は刈られている




芸を忘れた芸人は……


文・写真=風元正


 9月30日は幸運にも爽やかな晴天。『PARKS パークス』秋祭りが催された丸井吉祥寺店の屋上は不思議な清々しさに充ちていた。天井がなく、夜空は月や星やネオンサインに彩られ、映画やアニメがチラチラする空間にバンドの音が広がってゆく時は半分夢のようで、イベントの間はずっと陶然としていた。井手健介と母船、谷口雄、YankaNoi(duo set)が集結した「PARK MUSIC」の「終わらないストーリー」という歌詞を聴いた瞬間、胸が熱くなった。瀬田なつき監督の「橋本愛バージョンを聴きたい」という要望は、こちらも叶えて欲しい。もちろん、boid主催だから、金網と剥き出しのコンクリートに囲まれた中、みな床にべたっと座り、サイリウムを振り回している子供が走り回っていて当たり前。「デパートは8時閉店です」というアナウンスで我に返ったが、打ち上げの席で聴いた歌姫たちが斉唱する安室奈美恵には感動した。都市の中で、また吉祥寺丸井の屋上の如き隙間が見つかるのだろうか? ポイントは「廃墟感」です。

 



 『ごめん、愛してる』で奏でられたショパン「別れの曲」が耳から離れぬまま、『散歩する侵略者』が揺るぎない巨匠の映画だと嘉し、『ひよっこ』のフィナーレの祝祭に涙する日々だった。岡田惠和が宗男に言わせた「日本の原風景」「人間の勝利」という言葉は、忘れまい。がしかし、これらの例外的な作品がなければ、力が抜けるばかりの世間である。まず、『ワイドナショー』が失速気味である、と書こうとして10月1日のオンエアを見たら、超暗黒コメンテーターみうらじゅんの「冷マ」に驚かされ、炎上王子古市憲寿がコンビニで現金を払う人に「頭悪い人じゃないすか」と言い放って、久々に痛快だった。とはいえ、政治音痴を公言して憚らない長嶋一茂や父親を擁護するばかりの石原良純が出演すれば苛立たしいし、だんだん松本人志が単なる保守派の頑固オヤジだと判明して、ワイドショー空間に馴染んでしまったのが苦しい。
 にもかかわらず、フジテレビは似た形式の番組が多い。昼の『バイキング』は坂上忍がMCで、毎日、芸人が中心になって「生激論」が展開されている。坂上は豊田真由子の謝罪記者会見について「この人はテレビの恐ろしさを分かっていないのではないか」と評し、それはそれで正しい言い分である。ただ、現場や一次情報の取材を省いた中、ひな壇などでカメラに対する運動神経だけ鍛えれば神羅万象を語れるわけでもないだろう。「見識」と「品格」はどこへ行ったのか。もうひとつ、いい加減、宮崎県を放り出したそのまんま東に政治を語らせるのは止めてほしい。話を聞いていれば、何の独自情報も持っていないのがバレバレである。
 『バイキング』の時間は(バラエティの奇跡、サンドウィッチマンの「生中継!日本全国地引き網クッキング」だけは必死で見ていた)、いかに私とて仕事に出かけていて流石にあまり生では見ていない。ちょっと注意してみると、おぎやはぎの矢作兼の番組回しは分を弁えて贅言がなく見事なテンポだと感心した。しかし、厚化粧で香水が匂ってくるコメントがお得意の南美希子、何の取り柄もない横澤夏子、ただニヤニヤしている横粂勝仁など奇妙な物件も多く、置物の森泉や借りてきた猫の柳原可奈子などを抱えつつ、まあ、こんなものでいいでしょ、というナメた感じが鼻につく。ヒロミはなぜ偉そうなのか。小林旭の「キチガイ」発言騒動では、局アナに責任を押し付けた坂上の態度に非難が集まった。ついでに言っておけば、設楽統がアク抜きされて画面上に葛藤の起きない『ノンストップ!』は最近、まったく面白くない。
 フジテレビには『とくダネ!』で《ホラッチョ川上》ショーンKを育成した前科がある。同番組では2011年、中野剛志がTTP問題につき正論をまくし立て、「馬鹿馬鹿しい」と吐き捨てた瞬間はTV的に最高だったが、むしろ、懲りたのだろう。毒にも薬にもならぬ事をいかにもっともらしく言うか、そのコンセプトを完成させた逸材がショーンKだった。姜尚中に似た声、適度なルックス、社会との摩擦が起きないために必要な空疎さを兼ね備えたタレントはいないとすれば、過激に見えて決して番組内ルール破りをしない芸人を起用する方向になるほかない。ちなみに、『とくダネ!』ではまたぞろJ-WAVE経由で「東大卒のミュージシャン」グローバーを起用し始めているから、確信犯らしい。むしろ、話芸の達人・ピストン西沢を起用する度胸を求めたいのだが、世間の風は真のプロの方に厳しい。


 芸人の価値は芸だけではないか。TV局にそう問うてみても、『アメトーーク!』は「コメンテーターやりたい芸人」を特集する。イマドキは、芸人の上がりはコメンテーターから司会者というルートらしい。番組そのものは笑えたが、品川庄司の品川祐の自称の肩書が「ひな壇芸人から、小説家、映画監督、マルチに活躍するクリエイター。それでいて、ソフトマッチョ」というシロモノだったのを代表に、全体にテレビに出ていない人の物哀しさが漂っていた。TKOの木下は「賢そう!!」とミもフタもない憧れを語っていたが、いったい芸人をどう心得ているのか。ご意見番のカンニング竹山は「Mr.コメンテーター」と呼ばれているそうで、「もっとキレてください」というカンペにジャストで合わせるなど練達の芸を披露し、秘訣は「心に残ることは言っちゃだめ」と明かして格の違いを示した。製作者側にとっては、もっとも使い勝手のいい芸人ではないか。
 もとより、MCやコメンテーターを任せているのはTV局の側だから、松本や坂上を批判するつもりはあまりない。竹山やサンドウィッチマンの2人には、どこか偉そうに社会を語っている自分への羞恥が見えるし、腹も立たない。漫才やコントをきちんと紹介する番組など絶滅寸前である。雲霞ほどいる芸人たちがひな壇やコメンテーターなどの隙間に進出しなければ、吉本興業も喰ってゆけない。気づいたら、本来の芸を忘れた芸人に囲まれている。TVはそれでいいのだろうか。私は、視聴者はTVを見ないという選択を始めて久しいと見る。『王様のブランチ』がアンジャッシュの渡部建にMCが変わったら何か下品になった、とか、そんな話だ。

 


 妄想の領域だが、小泉純一郎内閣が終わってから、ビートたけしが仮総理大臣の座に座っている気がしてならない。今でも、もし出馬すれば圧倒的な票数で当選するのは間違いないし、軍師がつけば冗談でなく実現する可能性がある。『ビートたけしのTVタックル』では現実に内閣も組閣されている。お得意の「振り子の理論」でバカな真似をし続けていて、テレビ東京の朝の番組をすっぽかしたりしているが、どこかで談志の徹を踏むまいと用心しつつ「ご意見番」の役も常に果たしている。残念ながら、政治家の方に匹敵する人材がいない。品川の憧れの肩書きはビートたけしとぴったり重なる。「お笑い最強」の正体は、「団塊の世代」のチャンピオン・ビートたけしなのだが、それが日本にとって最善なのかどうか? 『ソナチネ』の「青」は今も鮮烈だが、たけし本人は幸福そうには見えない。
 世の中は難しい。『報道ステーション』では富川悠太が経験不足を露呈し、つらい番組になっている。「熱盛」の寺川俊平が出ている時だけ余裕があるが、後藤謙次の単調なコメントを拝聴するガラス球のような眼は哀れを誘う。世界の複雑さに十分対応できない番組の中で、私生活が充実していると思しい小川彩佳が異常にハッピーなのが浮いている。久米宏はやはり天才だった。『久米宏のTVスクランブル』で、もうひとりの天才・横山やすしをとりあえずコメンテーター席に座らせて続けて、ある時期無事だったのだから。
 今、圧倒的に安心できるのは『ニュースウオッチ9』の桑子真帆・有馬嘉男コンビである。桑子はまだ若いが決して富川のように目が泳がず、きちんと勉強して喋っている。前任の「仮面夫婦」鈴木奈穂子・河野憲治とは違い、呼吸がぴったりで、引き立て役に徹しつつ時折ぴしっと締める有馬の知性が光る。ただ、いつも最後にNHKを褒めなければいけないのが哀しい。いや、またしてもみやぞんという逸材を発掘した『世界の果てまでイッテQ!』があるか。大丈夫だとは思うが、みやぞんは天然のまま、コメント方面には決して行かないで欲しい。

 



 サントリーホールの「片山杜秀がひらく〈日本再発見〉」で伊福部昭「ピアノと管弦楽のための協奏風交響曲」を聞いた。下野竜也指揮、ピアノ小山実稚恵、管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団。1941年作曲、戦災により楽譜が失われて、演奏される機会がほとんどなかったけれど、これが凄い。工場をモチーフに、機械の音と原始のリズムが一体となり、ピアノもヴァイオリンもチェロも打楽器的に叩き続けられ、伊福部の故郷である北海道の大地を丸ごと曲にしたようなスケール感だった。伊福部は「ロックのおかげで、自分の音楽が理解されるようになった」と語っていたそうだが、ラヴェルの「ボレロ」とツェッペリンの「移民の歌」の間にある音で、戦中日本の文化のポテンシャルの高さを改めて思い知った。私は黒沢清と岡田惠和と同時代に生きる幸運を噛みしめる者だが、今後、いかなる「高さ」に打ちのめされる機会に恵まれるのか。古今亭志ん朝の落語が当たり前のようにTVで見れた状況が再び蘇ることを切に望みたい。

 
西荻の大欅





風元正(かぜもと・ただし)
1961年川西市生まれ。早稲田大学文学部日本史学科卒。週刊、月刊、単行本など、 活字仕事全般の周辺に携わり現在に至る。ありがちな中央線沿線居住者。吉本隆明の流儀に従い、家ではTVつけっぱなし生活を30年間続けている。土日はグリーンチャンネル視聴。

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