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2017年09月号 vol.4+10~12月号

YCAM繁盛記 第39回 (杉原永純)

2017年10月13日 03:21 by boid
2017年10月13日 03:21 by boid

山口情報芸術センター=YCAMのシネマ担当・杉原永純さんが日々の仕事や生活、同センターの催しについて記録する連載「YCAM繁盛記」。今回は先月訪れたヨコハマトリエンナーレ2017(11月5日まで開催中)で見たビデオ・インスタレーション作品「ザ・ビジターズ」を紹介してくれます。別々の部屋にいる複数のミュージシャンがヘッドフォンから聞こえる他者が奏でる音を聞きながら合奏していく過程が9つのスクリーンで映し出されるこの作品が“エモい”理由とは――
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三宅唱監督滞在中。「無言日記」撮影中。雨の椹野川




ラグナル・キャルタンソン「ザ・ビジターズ」/信頼とユーモア


文・写真=杉原永純


 おぼろげながら少しずつ方向性が見えてきているYCAM Film factory第四弾企画。これまで『無言日記』として三宅さんが蓄積してきた手法が、今回の制作でなんらか使われることは確実になってきている。作品としてのアウトプットはひとつでなく、複数になるだろう。企画の原点として考えてきた、映画の発生から遡って、映画を今一度、作ることで考えてみる。三宅唱は真摯にこの壮大な課題に向き合ってくれている。三宅唱制作の詳細はまた回を改めて記していこうと思う。

先日は83歳の足立明男YCAM館長とお昼に。ステーキを食わせてもらう。左から三宅監督、三輪YCAM事務局長、足立館長
 
「端」という漢字の由来について書いて説明してくれた。山口は本州の端っこにある、というアイデンティティを漢字の由来から教えてもらう



 最近図らずも、アート作品の展示を見に行く機会が増えている。こんなこともYCAMに来て4年目になったからかもしれない。
 9月に黄金町バザールに伺った際に、久々にヨコハマトリエンナーレに行ってみた。自分が上京した2001年に第一回開催。現代アート自体が当時の自分には新鮮だったのもあり、会期中何回か足を運んだ。2005年の第二回開催時は藝大の映画専攻がちょうど横浜に設置され、それとほぼ同時に藝大を退職した直後の川俣正さんがトリエンナーレのディレクターに急遽就任し、じゃあメイキングを映画専攻の学生が横浜にいるなら彼らに任せようという話がやって来て、同期生だった加藤直輝らと一緒に、これまた何度も会期中に撮影をしに行った。
 この時の経験は、YCAMで働いている今、思っていた以上に生かされている。作品単体だけでなく展覧会全体をワーク・イン・プログレスとして捉えようとしていた2005年の横浜トリエンナーレは、会場は山下埠頭の先っちょの倉庫がメイン会場。枠組みのない中で、どうやって作家たちが作品を発想し、完成に導いていくのか、その様子をメイキング撮影で並走できたことで、その後、映画の現場においても自然と中身だけでなく「やり方」から考える癖ができていたように思う。
 同時に、疑問が深まっていったこともある。アートには縛り付けるべきルールがない。そのことは当初とても魅力に思っていたが、枠がないということは、どんなことをやっても可能性の横滑りをするだけで、どこにも軸足も責任も持てないことにならないだろうか、とか、ちょうど10年ぐらい前、20代半ばに生真面目に考えた気がする。その後、映画ではない映像作品の展示はきちんとフォローしなくなっていった。
 ただ最近になって、度々この連載でも紹介している「潜行一千里」にしろ「ブランクVR」にしろ、仕事で映像の展示をやるようになって、外部の展示を見にいくことが増えたし、以前よりフラットに捉えられるようになった。要は、面白いものは面白い。以前は文脈ばかり気にしていたように思う。作品形態がなんであれ、文脈から突き抜けたものは、作品単体で見ても、見るものに刺さって来るものだ。

メイン会場の一つ横浜美術館の入り口はアイ・ウェイウェイのインスタレーション。柱に巻き付けられているのは無数の救命胴衣


 現代アートの国際展はテーマでかすぎ/作品多すぎ/会場多すぎ問題が起きて、結局は散らばった印象しか残らない、というのは自分の偏見でもあるが、とにかく現代アートの国際展は実際見にいくと疲れる。歩く、立ち止まって見る、キャプションなり読む、考える、また歩くという体の使い方が、本当に疲労感がたまるんだろうと思うが、この「考える」に比重がかかるアート作品の鑑賞は適当な分量で配される方が良いに決まっている。
 覚悟して、疲労を予想しながら会場に赴いたものの、よく配慮された展示だった。一時期よりも映像の作品が少なくなっていることも大きい気がするし、長尺の映像作品は、椅子なりソファなりきちんと見るための環境を整えられていたので、その点も安心だ。もし時間がない人にオススメするなら、赤レンガ倉庫の展示だけでも十分かもしれない。密度の濃い作品が厳選されている印象。特別気に入ったのは、アイスランドのアーティスト、ラグナル・キャルタンソンのマルチスクリーンのビデオ・インスタレーション「ザ・ビジターズ」。

 
 
もう一つのメイン会場の赤レンガ倉庫の最奥に位置している「ザ・ビジターズ」。ちなみにヨコハマトリエンナーレの作品は写真撮影フリー


 2012年の作品。これまで世界のいたるところに巡回をしているだけあり、実に面白かった。一度見だすとやめられない。大きな洋館の、寝室、居間、浴室など部屋ごとに一人ずつミュージシャンたちがいる。その一人一人が楽器を持ちヘッドフォンをつけている様子が計9面のスクリーンに配される。カメラはフィックスで、フルショットの8人のミュージシャンと、館のおそらく裏側に位置するテラスに腰掛けるコーラス隊(?)はロングショットで映し出される。鑑賞者はもちろん映像全てを見渡すことはできない。
 館のロケーションがまず素晴らしい。ミュージシャンたちは、ネグリジェを着ていたり、ベッドに腰掛けたり、バスタブに浸かっていたり、リラックスしている。映像は同期している。別々の部屋にいるので、一人のミュージシャンは他のミュージシャンの様子はわからない。ヘッドフォンから流れてくるのは、他のミュージシャンたちの演奏している音のフィードバック。それを聴くことに集中し、それぞれが音を紡いでいく。程よい緊張感と、表情に浮かび上がる戸惑い。
 思い思いにピアノ、ドラム、チェロ、ギター、ベース、アコーディオンなどを演奏していく。時折音を出さずじっと待っていたり、葉巻をふかしたり、ソロ演奏を譲ったり。楽器を置いて歌い上げたり、それぞれワンショットの1時間が映し出される。

 別会場での巡回時の様子がわかる動画があるのでご興味ある方は是非。

作品のダイジェスト
 
作品のラスト


 途中、とある仕掛けが一つあるのだが、それはぜひ見て確かめていただきたい。
 彼らは最終的には「Once again I fall into my feminine ways」という歌を歌いながら、楽器を手放し一つの部屋に集まり、シャンパンを開け、皆で館を出て、裏の草原に去って行く。
 要はエモい訳だが、なぜエモいのか。
 信頼とユーモアがあるからだと思う。そんな作品を自分も作りたいと思う。
 ミュージシャン相互でもそうだし、こんなことを企画する作家と被写体相互にも信頼がなければ完遂できない。観客がこの時間を一緒に過ごしてくれる信頼も感じられた。
 同時に、出演しているミュージシャンは、遊んだりサボったり演奏したり時には大声張り上げたり、ユーモアに溢れている。まあ自己演出過剰なところもあるが、全然ありだ。いつまでも見続けていたいと思えるほど、作品自体とても居心地がいい。
 ヨコハマトリエンナーレに行く機会があれば、いや横浜になんらか用事があって行く機会があれば、お見逃しなく。強くお勧めします。





杉原永純(すぎはら・えいじゅん)
山口情報芸術センター[YCAM]シネマ担当。 年明けに35ミリフィルム上映の企画をYCAMで準備中。

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