boidマガジン

2017年09月号 vol.4+10~12月号

樋口泰人の妄想映画日記 その51

2017年11月10日 16:44 by boid
2017年11月10日 16:44 by boid

boid社長・樋口泰人による9月11日~20日の業務日誌ときどき映画&音楽&妄想日記です。激務から一息入れてレコードを楽しめる時間もあったようです。また水戸映画祭ではシンポジウム出席と『PARKS パークス』上映、そして高崎電気館での爆音上映作品の調整についても書いてくれています。
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文・写真=樋口泰人

まだ20日ほど前のことなのに、9月半ばのことが全然思い出せない。何もしていなかったのではないかとさえ思う。猫様たちの写真ばかりが残っている。まあ疲れていたのだろう。映画もほとんど観ることができなかった。深夜にレコードはよく聴いたが、新しい音楽はほとんど聴けていない。唯一カーネーションの新作の、地の果てまでも駆け抜けていく音の広がりとスピードに、ただひたすらうっとりしていた。宙に舞うのでもなく地に潜るのでもない、あくまでも地平すれすれを走る音の微かな重力を感じながらあらゆる人生の可能性が、そこでは夢見られるのである。なんなら地球を丸ごと愛してると言ってもいい。そんなことを言いかねない魂の強い広がりが、音を走らせている。地球上の全人類の耳元で、一瞬のうちにカーネーションの歌がささやかれ、あらゆる人がなにかを夢見始める、つまり地球自体が夢見る惑星となるそんな風景が目の前に広がった。



9月11日(月)
記憶なし。



9月12日(火)
猫様が不機嫌そうに眼を開けて眠っていた。丸まって寝ているとき以外は大概がこんな感じである。



近所のスーパーに立ち寄ったら、夏の間にお世話になったYCAMの皆様に送ったブドウと同じ種類の、ほぼ同じ等級のものが売っていて、なんとひと房2,980円。愕然とした。叔母のいとこのやっている農園から直接送ってもらったのだが、ひと箱いくらだったかは秘密。

 
 


9月13日(水)
月に一度のboid税務処理とそのための準備。そして丸井吉祥寺店にて9月30日のイヴェントの打ち合わせ。ようやくすべてが動き始める。あまりに遅すぎる始動で我ながらあきれる。2度とこういうことはできない。

暑かったのか、猫様たちはぐったりしていた。

 




9月14日(木)
スーサイドの「シェリー」12インチを買った。アルバム発売してずいぶん後になって、デーモン・レーベルからリリースされたものだ。改めて買う必要はないのだが、YCAM爆音で『20センチュリー・ウーマン』をやってしまった以上、見つけたら買うしかない。50年代のスイートな夢の果ての70年代末の絶望が、その絶望の果ての夢の見方を教えてくれる。夢見る力は尽きない。そのこと自体が新たな夢を生む。その運動そのものが夢であるような夢の連鎖によるエネルギーが、いくつもの時代の名もなき人々の思いをひとつにまとめる。そんな歌をわたしたちは聴いているのだ。わたしたちは自らの夢を夢見るのではなく、数限りなく夢見られてきた夢やいつかどこかで夢見られるはずの数えきれない夢の塊によって誰でもないものの夢を夢見るのである。名もなき他人の夢が自らの夢のようにスウィートな香りを運ぶ。その時私たちは夢見る人であるとともに夢見られた人となっているはずだ。「シェリー、シェリー」。アラン・ヴェガの歌声がいつまでも頭の中を巡る。



DON COVAYのアルバムの音も、自分の力というよりも他人の力によって作られたもののように聞こえた。「マネー」のカヴァーは、後に生まれるフライング・リザーズのヴァージョンの助走のようにも思えた。



PERE UBUの『THE TENEMENT YEAR』はなぜか買い逃していたアルバムだった。理由はない。たぶん、金がなかった。1988年。すでにひどい耳鳴りに襲われていた時期だ。音を聴くのがつらかった。今聴くとこんな楽しいアルバムなのに。出会いのタイミングというのはやはりあると思う。30年遅れてたっぷりと楽しんでいる。「音楽」という形式の持つ輪郭が膨らんだり縮んだり破裂しそうになったりしながら、あり得ない場所のゆがんだ風景の中を、どこまでも遠く突っ走るその姿に、今更力づけられている。




9月15日(金)
我が家の猫様たちはあまり仲良くない。雌猫2匹だとまあこんなものかとは思うのだが、常に微妙な距離感を保ちつつ暮らしている。



税務署へ。どうやら建て直すらしく、10月から仮庁舎に移転とのこと。しばらく西新宿から大久保へ抜けるあの怪しい路地を通ることもなくなる。



友人がかつての妄想日記(「幻聴繁盛記」)を年に1度は読み直すと、FBだったかで書いていた。 確かに今読み直しても、今後の行動のヒントには充分なる。しかし状況はさらに悪くなっている。自分自身も、この日記に書いてあるような「勇気」や「覚悟」といった言葉からは程遠いところにいる。そのエネルギーがすっかりなくなっていることに気づく。逆に、そんなエネルギーゼロの状態で何をやれるか、どう生きるかを考え始めているような気もする。そこにもまた、「勇気」だったり「覚悟」だったりがあるのではないか。


9月16日(土)
水戸映画祭へ。「水戸の映像文化と水戸映画祭のこれから」と題されたシンポジウムへの出席のためだ。シンポジウムは事前の打ち合わせの際、当初の予定を変更し、それぞれの自己紹介はなくしてすぐに本題へという話になった。公開の場では、こういう当たり前のことがなかなかやりにくい。そしてそれでもまだ、時間が足りなかった。もちろんこういった公開のシンポジウムで「時間が足りない」というのは前提で、何かを語り切ったり結論を出したりする必要はないように思う。そこでのそれぞれの発言のいくつかが、それを聞いたそれぞれの人の今後への何かのヒントになってくれたら。



夜の会食は水戸の老舗料亭で。わたしと大寺(眞輔)だけがそんな場に慣れておらず、出された料理をスマホで写真撮っていた。




9月17日(日)
18日に上映予定の『PARKS パークス』を、午前中にチェックした。会場が映画館ではなくシンポジウムをやったホールなので、かなり音が響く。そして初めての2チャンネルでの上映である。
こういうホールではどうしてもセリフが響きすぎてしまうので、そこだけ注意して調整してもらった。もちろん爆音ではなく通常の音量での上映である。
その後、『ダゲレオタイプの女』の上映とトークがある黒沢さんも到着して昼食を。カフェやレストランがリニューアルされた水戸芸術館内の中華レストランにて。ヌーヴェル・シノワっていうのだろうか。いずれにしてもうまかった。黒沢さんには『悪魔のいけにえ』の丸の内ピカデリーでの爆音上映の話をした。丸ピカの爆音の件も、この時点ですでに初日まで1か月を過ぎているのにもかかわらず、いまだに一般に告知できずにいた。しかし、丸の内ピカデリーで『悪魔のいけにえ』が上映されるというのは、相当なことだと思う。通常なら絶対にあり得ない。この「絶対にあり得ない」という感覚がどこまで周囲にわかってもらえるか。今回の映画祭のboid枠、ということで2回の上映が可能になったのだが、現実には本当にあり得ないことなのだ。この貴重さをどう伝えたらいいのだろう。まあでも興味ない人にとっては何のありがたみもない話ではある。フーパーのファン、『悪魔のいけにえ』好きの方たちが日本中から集合してくれたら。たぶん、日本での『悪魔のいけにえ』上映史上最大スクリーン、最大キャパシティでの上映となるはず。そしてとにかく『悪魔のいけにえ』の爆音上映をあの広さの中でやったらとんでもないことになるはずなのだ。



『ダゲレオタイプの女』前の黒沢さんと太刀川さん(精神科医)のトーク、例によって記憶はほとんど残っていないのだが、映画の終わり方の話についてのメモ書きが残っていた。黒沢さんが映画の終わりをどのように考えているか、という話である。主人公たちはもはや後戻りできない場所に行きつく。一線を超えるわけである。しかしそれで終わりではない。一線を越えたことを受け入れ、次の一歩を踏み出す。越えた後、それをどのように受け入れるか。『ダゲレオタイプの女』も『散歩する侵略者』も、「その後」の世界が黒沢さんの中でますます鮮明になってきているように思う。


9月18日(月)
黒猫様が頭を抱えてまるまって寝ていた。単なる黒い塊にしか見えない。まあ、この日の私もそんな感じだったはずだ。




9月19日(火)
久々にCINRAの編集部に行って秋のイヴェントの打ち合わせをした。boidが直接何かをするわけではなく『PARKS パークス』を上映するのである。映画館でやるわけではないので、いったいどんな条件ならできるのか、CINRAとして何をしたいのかなど、詳細を確認しに行ったのである。テーマは学園祭なのだそうだ。boidの9月30日の丸井吉祥寺店屋上イヴェントもそうだが、大人たちが集まって学生みたいなことをやる。あの頃に戻りたいのではなくて、あの頃なら何も考えずに持ちえた時間を、大人の力で自分たちのものにする試みと言ったらいいか。やろうと思えばいつでも自由にできるはずなのに何か説明不能な理由、さまざまな要素の重なり合いの中でやることができなかったことをやってみる。爆音上映も、今から思えばそんな試みだったような気もする。大寺がやっているシネマテークの試みや、『キングス・オブ・サマー』の上映などを行っているグッチーズ・フリースクールの試みなども含め、これまでとは違うやり方で、子供じみていつつもしかし確実に大人のやり口で自分たちの自由の領域を作り上げていこうとする小さな作業が各所で始まっているように思う。子供じみているところに重きがあるのではなく、あくまでもこの現実の中でわたしたちの場所をいかに作っていくかという試みである。学園祭や遊びが面白いわけではない。学園祭的な場所をいかにして広めていくか、それをいかにして私たちの場所としていくか、それに対して自覚的あることが求められる。


9月20日(水)
1年ぶりに高崎へ。町が少し変わりつつある。駅前もそうだが、電気館そばのアーケードも、数年前の雪で屋根が落ちたままだったのが、付け替え工事が始まっている。とはいえ、本屋さんや文房具屋さんの隣にキャバクラや風俗の無料案内所がある謎の風景が変わるわけではない。電気館のたたずまいも相変わらずである。





『キック・アス』は完全にエルヴィス合わせだった。終盤、キック・アスがヒット・ガールを助けるため、あれは何というのだろう、背負い型のジェットエンジンみたいなのを装着して高層ビルの窓外から機関銃を撃つシーンで流れるのがエルヴィスの「An American Trilogy」なのだが、確か『エルヴィス・オン・ステージ』に収録されているものと同じヴァージョンではなかったかと思うその曲のエルヴィスの歌が、銃声の中でくっきりと輪郭を作り出すようにイコライジングを設定してもらった。つまり『キック・アス』という映画は、キック・アス、ヒット・ガール、レッド・ミストという3人が表彰するアメリカのトリロジーであるということだ。そこに注目するだけで物語自体も全然違うものに見えてくるはずだ。

『レ・ミゼラブル』は合唱が合唱らしく聞こえるかどうか? 音量が大きすぎると音が塊になってひとつの声になってしまう。あくまでもひとつの歌を歌う大勢の声が、それぞれの音の粒子となって映画を観る者の身体の中に入り込んでくるような、そんな音。そしてその「大勢」の中にはその場にいる者たちだけではなく、死んだ者やこれから生まれる者たちも含まれる。もちろんそれらの声を聴くことができるかどうかは、映画を観るわたしたちの問題でもあるのだが。

『ストップ・メイキング・センス』はジョナサン・デミ追悼で東京でも各所でやったので、あえて爆音ではやらなかったのだが、やってみるとどうしてそんなことで意地を張ったのか、自分自身の天邪鬼ぶりが恨めしい。『幸せをつかむ歌』と一緒じゃなければ追悼にならないと本気で思っていたのだ。つまりいくら追悼と言ったって『幸せをつかむ歌』では動員は見込めない。それはだれもが承知。それをわかった上でやれるかどうかが追悼じゃないかと、それができないなら追悼などするなと、実は今でも思っているのでこれは追悼ではない。ということにしておく。ただとにかくめちゃくちゃご機嫌すぎて、やはりまたいつかどこかでやりたい。そして『幸せをつかむ歌』ができない自分にも周りにも、本気でむちゃくちゃ怒っている。 『ザ・ストーン・ローゼズ:メイド・オブ・ストーン』は彼らのフリー・ライヴに集ったファンたちの声や顔が印象的だった。それらに後押しされた音楽のようにも聞こえた。90年代、まだみんなが若かった頃、ストーン・ローゼズによって人生を変えられた者たちの20数年後の声が、ストーン・ローゼズの音楽を変える。そしておそらく変化したローゼズの音楽がファンたちの20数年前にさかのぼってファンたちのこれからを変えるベースになる。そんな時間のフィードバックが起こっているような。全体が共振して輪郭があいまいになった音が、電気館の中に響いていたのではないかと思う。



夜、一度ホテルに帰ったもののいったいこの街の夜はどんな感じなのかを確かめに外出。単に歩いただけで、特に何をしたわけでもない。背中のぱっくり空いたドレスを着たお姉さんたちに声をかけられた。うっかりしたことをしたらすぐにでも闇の中に連れ込まれそうなお兄さんやおじさんたちがいっぱいいた。暗闇で何か物音がするので振り返ると、酔っ払いが転がっていた。





樋口泰人(ひぐち・やすひと)
映画批評家、boid主宰。映画『PARKS パークス』『めだまろん/ザ・レジデンツ・ムービー』そして『DARK STAR/H・R・ギーガーの世界』公開中。10/13より11/10まで約1か月間に渡り丸の内ピカデリー爆音映画祭を開催。

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