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2017年09月号 vol.4+10~12月号

宝ヶ池の沈まぬ亀 第17回 (青山真治)

2017年11月15日 17:57 by boid
2017年11月15日 17:57 by boid

青山真治さんによる日付のない日記「宝ヶ池の沈まぬ亀」第17回です。脱稿ボケから立ち直ろうとする最中、新しい仔猫が青山家にやってきます。ものすごく小さい猫なのに、後ろ姿があのお方にそっくりだそうで――。そのほか『アウトレイジ 最終章』(北野武監督)やアルノー・デプレシャン監督の最新作『Les Fantômes d'Ismaël』、同作の東京国際映画祭上映に併せて来日したデプレシャン監督との久しぶりの再会のことなど。
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文・写真=青山真治



17、若山先生、大いに走る

某月某日、脱稿ボケから立ち直るきっかけを見失っている。気を取り直すべくKAATへ舞台『オーランドー』観劇、苦手なヴァージニア・ウルフを初めて理解できた気がし、作劇そのものも楽しめたが、帰り道になるとまたしても赤い悪夢。翌日からは池袋コミュニティカレッジにて『AA』上映+トーク。初日は町田康・近衛はな各氏との「パンク」をめぐる対話、二日目は編集担当の大田和志と「製作過程=教育」について、そして最終日は佐々木敦氏と「興行=オーガニゼイション」についてじっくり話ができた。興味を持って話を聞いてくださったのは同世代か上の世代。客席に若い人はごく少ない。それだけでNo Futureとは言わないが、いささか遠い目にはなる。
そしてこの日、新しい猫が突如うちにやってきた。大変小さい。そして言うまでもないことだが、きわめて少なく醜い。但し、歩く後ろ姿が若山富三郎先生そっくり。
某朝、自宅で『遺体安置室』を見たのを皮切りに、立教新座キャンパスを訪れて篠崎誠監督と『スポンティニアス・コンバッション』と初期作品を連続で、というフーパー祭りのあとで、キネマ旬報のための「トビー・フーパー追悼対談」。夏に逆戻り的な暑さで駅から大学まで歩いて汗だく。しかし話し始めるや二時間はあっという間であった。志木駅までバスで戻り、軽い打上げ。篠崎さんと語るといつも時間が足りなくなる。うまい秋刀魚をたらふく御馳走になった。病院へ行った新生猫の名は、こりん、になった。こりんの肉球はちょっとしとっとしていて、ちょっとひやっとする。手やら足やらを鋭い歯と爪で攻撃し続ける。おかげで睡眠不足。

こりん(撮影=女優)


某日、甲斐Pと某所の中華。モンゴル系というのか、羊のヴァリエーションと中国各地の紹興酒。これらが実にうまい。いっぺんでファンになる。しかしあまりひとに教えたくない店というのはごくたまにあって、ここは久しぶりだ。
某日、昼過ぎに新幹線で青森へ。県立美術館でたむらまさきキャメラマンの特集で講演を行うため。十年ぶりということになる青森は本当にいいところだ。担当の齋藤氏の案内でホテルにチェックイン、居酒屋にて夕食。美味なる刺身を堪能。北イタリアのように美しく澄んだ光線が降り注ぐ翌日の午後、齋藤氏の司会でたむらさんについて話す。なんだか妙な気分だった。帰りの新幹線が北国仕様というのか、妙な具合に設定温度が高くてぐずぐずに疲れる。それにしても青森でロケしたい。
某日、天王洲の船着き場から出港する大型クルーザーがあって、これに乗って羽田沖まで出て花びらを撒く、という趣向の蓮実重臣氏を「送る会」へ。女優とともに。中原を含む幾人かで先生を穏やかに囲む。船尾から航跡を見るとダニエルのことまで思い出してしまう。最も重臣くんの存在を感じたのは、岡村みどりさんと鈴木卓爾が「猫ストーカーのうた」をデュエットしたときだった。その夜、『予兆』を一気に再見。やはり編集は高橋幸一氏だった。アルドリッチにおけるマイケル・ルチアーノのごときテイスト。
某日、某組への出演。現場は数か月ぶりであり、自分以外の組に参加するのは多摩美の映像スタジオで行った『はるねこ』以来ということになる。この組は若いスタッフが多くて元気が有り余ってる感じで好もしい。調布の角川大映スタジオは新築してから初めて入った。とにもかくにも映画はまだ死んではいないらしい。
某日、草月ホールで舞台『オーファンズ』。加藤虎之介が出るというので行ったが、虎ちゃんがもうほとんどベン・ギャザラのように見えて、落涙。内容はアメリカン・ギャングスター・フィルムが好きな人なら満足できるもので、エロール・フリンのファンであるティモシー・ボトムズのような「弟」も非常に良いし、この場合どうしても損な役回りになる「兄」はやはりそうなってしまうのだが頑張っていた。そしてこの作者、『進め龍騎兵』なんてタイトルを出してくるあたり、なかなか捨てておけない存在。
某日、台風の近づく中、期日前投票。目黒総合庁舎は長蛇の列。本当にひどい選挙だが投票だけが直接的な政治行動である身は義務を遂行するのみ。『予兆』最終回。ラストの雨降らしを黙って受け容れる。
某日、いよいよ台風の迫るさなか修善寺に撮影二日目に前乗り。主人公の見合いの席に集う肉親どもが宿泊先の金福荘にて前夜の晩餐。久しぶりに温泉に浸かった。選挙結果は推して知るべし。この期に及んで投票率53%という民度の低さは相変わらず。翌朝は快晴であり、1キロ離れたサークルKまで往復して朝食を摂ったのち「新井旅館」にて順調に撮影。他人の現場とはいえ、戻ってくる感覚というものはある。

修善寺の秋


某日、数日後に控えたアルノーとの会合の予習として、というのもどうかと思うほど真の傑作である『亡霊イスマエル』あるいは『イスマエルという亡霊』(邦題未定だろうが、こういう内容)を送られたDVDで。見るたびに大胆かつ繊細になっていくアルノーの作風ここに極まれり。ラズロ・サボが本当によくて(ストローブそっくり)、飛行機内での混乱にたださめざめと泣く。マチューの二つのラブシーン(一度目はマリオン・コティヤール、二度目はシャルロット・ゲンズブールがお相手)にもひたすら感心。こうしたことに真剣に取り組んだのは初めてではなかったか。「悲しきベイブ」でコティヤールが踊るシーンは素っ頓狂にも程があるというものだが、全体にあってさして違和感がないから、映画はここまで進化したのだ、と『TPR』と並べて沈思黙考させられた。いやはや、映画はここまで来てなお進化し続けているわけだ。
某日、ファッツ・ドミノと遠藤賢司の訃報。誰も言わないけれど先日の選挙最終日における秋葉原でのネオナチ騒ぎは48年目の10・21だったということで、アキバ騒乱とでも軽く名付けておくべきではないか。別に大したことではないが。それとは無関係にとてもひどい日本映画をテレビで見た。もしこれを劇場で見ていたら地獄だったろうと空寒くなった。こういうことだから劇場に足が向かないのだ、という自覚がないではない。
某日、と言いつつ『アウトレイジ 最終章』。ファーストシーンを承けた形での頭部を撃ち抜かれた太刀魚の波間の漂流以降、ほんの数カットを除いて緊張の糸は切れない。史上最もメルヴィルに近づいた作品として記憶されるだろう。そしてまた、これほど濃厚な人物造型を「型通り」などと言ったら映画など無用ということになる。大友とは、選挙前に「(希望の党は)50議席行かねえんじゃねえか」と看破した男と同じ精神の持ち主であり、そこには底知れない不機嫌さoutrageが通底している。そしてその不機嫌さは、襲撃に対抗する際の「若いもんやっちまった」と思わず叫ぶ痛切な悲嘆と背中合わせにある。大友という名は『仁義なき戦い』からという謂れを憶測として聞いたが、是非もなくこれ、大西瀧治郎以外であるはずがない。しかしそれはレジスタンスとしてのそれであって、大義だの謙虚だのと眠たいことを宣って延命に汲々とするチンピラどもとは初手から無縁だ。
某日、日仏、じゃなかったアンスティチュでアルノーとの対話。面白かったなあ! 基本的には『ジミーとジョルジュ』の話をしたが、内面としてはずっと『亡霊イスマエル』のことが「ここまで出てるのに」状態だった。最も驚いたのは、ベネシオ・デルトロと二人で四週間リハーサルした、という話。撮影前にそんなことできるならこんな幸せなことはない。その上でインプロヴィゼーションを試す余地を残すベネシオ君に驚嘆する。ちなみにアルノーは直前にDVDで『東京公園』と『共喰い』を見て褒めてくれたけど、こちらは列車の音なんかどこにも入れられなかったことを悔やんだ。あと、晩御飯のとき、『裏切りのサーカス』見た?と訊くと、好きだよ、今回だいぶパクッてるかもねー、と片目を瞑って笑った。翌日にTIFF(六本木)にて『亡霊イスマエル』本上映。ディラン「悲しきベイブ」を除いて音楽はすべて編集中に決めたとQ&Aで語ったが、その後のランチで「あのマチューのピアノは本人が弾いてるのか?」と訊くとそうだよと答えるので、じゃああれもそうじゃないか(笑)と。ちなみにこちらがあのメロをつい「めまい」と言ってしまい、あれは「マーニー」だよと逆襲される。カルロッタに引っ張られてしまった。ともあれ久しぶりにこの男と語り合い、心からの充実を感じた。しかしその夜、果てしなく現実に引き戻されるべつの強敵との会合で首の皮一枚という攻防戦。激しく疲れた。
某日、あおいという人はうちのこりんのようなところとモニカ・ヴィッティのようなところとベッシー・スミスのようなところを同時に備えている(誰かはモーリン・オハラだと言っていた)人で、それはきっと十年前までにもあったはずなのに我々にはそれを見極める能力がなく、そのことを思い知った結果またしてもここまで来てさらに迂遠な線路を見つける羽目に陥ってしまった。そうしてそんな迂闊な我々の陥没した年月をあっさりと赦してくれる寛大さに包まれた一夜でもあった。しかもその寛大さには、まさるという深甚な微笑の後ろ盾まであったのだった。人生を「やり直す」とか「取り返す」とか考えてもはじまらないとき、人生は「如何様にも続けられる」と考える術もある。
某日、卒業生の訃報。世間に喧しい座間の事件とは何の関係もないが、それ以上の衝撃を覚える。どうして、とか、何があったのか、とかと問うことさえ虚しい、というか、その問いを自分が発することを信じ難い。知ったからこれから何ができるわけでもない。ただ呑まずにはやってられない。
某日、座間の事件があって米国大統領が来て帰って、女優からこれ以上酒を飲むなら出て行けと宣告され、さあこれからどうして生きて行こうかと考え込む午後。しかしその夜も某組の打ち上げ。初対面の某女優に某TVドラマについての疑問を思わずインタビューしてしまった。ほぼ二台まわっていたと聞いて得心。
某日、気づくと携帯電話が見あたらない。弱った。非常に弱った。あちこちメールして救助を求める。と、どこからともなく着信音。布団の奥に潜んでいた。これで半日が潰れた。
日暮れてWOWOWで昨年の大ヒットアニメ。目玉焼きをめぐるファザコン考察だとは知らなかったがそれ以外ほとんど記憶に残らない画面に終始した。
某日、無暗に自暴自棄な日々が続き日記はもちろんものを書くなんてまっぴらという日にふと若干の金が転がりこんできて借金返済すべく家を出ると、行きがけの道端の垣根の上にラグビーボールの形をした見慣れない木の実が成っていて、それが何の木かは知らないがふと気になったので携帯電話で写真を撮った。

名の知らぬ黄色い実


こういう習慣はほとんどなくて、仔猫が居間でころころ転がっていても撮る気にはならないし、仲間との酒盛りだって酔漢のだらしない笑顔に向けて電話を構えたりしない。写真を撮るのは誰かに見せるためで誰かに見せようというのは、それが特定の誰かか一般的な誰かかはべつにしてこれは何だと訊くためもしくはこれはいいぞと広めたいから以外に理由は見あたらない。そう考えるとひとが食卓に出された料理を撮る理由もわからないではないが、それをしないのはさっさと食ってしまいたいからで、所謂写真週刊誌を手に取ることがないのはそこに写っているだろう他人事にまるで興味がないからだとも言えるし、その写真を撮ったか公表したかした者にとっての「誰か」になるなどごめんこうむりたいからだとも言える。だからこの日記を見ようとしない人はこちらにとっての「誰か」になりたくないのだと考えることもでき、逆に見て下さる人は無条件にこちらにとっての「誰か」である。どちら様もご愁傷さま。
某日、卒業生Y・T・M、夕方集合して「田中」。例の一件と現在の一部始終について語らう。義母の様子が心配であり、私だっていつポックリいくか知れない。ともあれ六時間、気の済むまで語らった。今夜は気が済んでも明日の朝にはまた記憶は甦り、これからやらねばならないことにあくせくする。そういうものだ。だから気が済むとは一時しのぎのねぎらいに過ぎないがそれでもないよりはましだ。もちろんその原因を知ることなど永遠に不可能だけれど。こりんはやってきてちょうど一か月、倍の大きさに成長して兄貴分のダダと力いっぱい走り回り稽古をつけてもらっている。歩く後ろ姿の若山先生っぷりは相変わらず。胸に乗っかって首に吸い付くべくこちらの顎を額で押し上げる力も偉く強くなった。飯は朝晩深夜の三食。かくして育メン生活は続く。

(つづく)

 

日々成長する若山先生






青山真治(あおやま・しんじ)
映画監督、舞台演出。1996年に『Helpless』で長編デビュー。2000年、『EUREKA』がカンヌ国際映画祭で国際批評家連盟賞&エキュメニック賞をW受賞。また、同作品の小説版で三島由紀夫賞を受賞。主な監督作品に『月の砂漠』(01)『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』(05)『サッド ヴァケイション』(07)『東京公園』(11)『共喰い』(13)、舞台演出作に『ワーニャおじさん』(チェーホフ)『フェードル』(ラシーヌ)など。
「読書人」が太っ腹にも出版した伊藤洋司さんの大著『映画時評集成2004-2016』に「ベスト300」という暴挙とともに参加しております。その記念トークを12月某日某所にて行う、はず。

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