boidマガジン

2017年09月号 vol.4+10~12月号

樋口泰人の妄想映画日記 その54

2017年11月20日 17:22 by boid
boid社長・樋口泰人による10月11日~20日の業務日誌ときどき映画&音楽&妄想日記です。『南瓜とマヨネーズ』、『Ryuichi Sakamoto: CODA』、『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』の試写に通いつつも、「丸の内ピカデリー爆音映画祭」のための深夜の爆音調整が続く過密スケジュールのため、写真はほぼ猫のみです。

 



文・写真=樋口泰人

各所での爆音映画祭が続く。いろんな場所でやって試してみて、来年以降の可能性を探るという目的があるので、どうしても回数も増える。何とかまずは東京を落ち着けたい。欲望としては東京では絶対やらずに、東京の人たちが爆音観たさに全国を移動する、というやつで、東京の人々がみんなで爆音難民となり各地をうろつきまわるわけである。爆音がそれほどのものかは別問題だが、東京の人たちがビッグウェーブの噂を聞いて、それを求めて移動を始める、みたいな感じ。実際にジャニーズ系のイヴェントなど、そんなことになっているような気がする。もちろんそれは東京の人々ではなく日本中のファンたちで、アイドルのライヴを求めて動き回る。いつだったか福岡の爆音が見事に「嵐」のライヴとバッティングして、宿は取れないは、飛行機に乗ったら女子だらけだはで、みんな同じ紙袋持っていたからあれは全部ライヴ会場で購入した物販だったのだろう。面倒だから飛行機内でジェット機に負けない爆音上映とかやったらどうだみたいな話ができるくらいになれないものかと、妄想広がるばかりで現実は果てしなく遠い。

 

10月11日(水)
昼は企画中の某作品に関する打ち合わせ。それなりに時間がかかる。
夜、テレビをつけたらイカが映っていた。何とかという珍しいイカとのこと。名前は忘れた。

 



10月12日(木)
『南瓜とマヨネーズ』試写。冨永の新作である。物語自体にはわたしはまったく入り込めない。気持ちいいくらいの完全拒否。こんな面倒くさい話をちゃんと映画にする冨永は偉いとしか思えない。というか、原作も人気があったと思うので、自分がいかに世間についていけないかをこういった形で思い知らされるわけである。
とはいえ絶妙なタイミングで会話やナレーションがつながれていくのでその気持ちよさに耳をそばだてていると背景に小さな音が聞こえてくる。最初はちょっとした背景音かと思っていたのだが、どうやら環境音ではなくて、わざわざつけられた自然にはない音だった。その小さな音の積み重ねが、次第に音楽へと変わっていく。物語も実はそんな音楽の誕生の物語だったと思う。それは一方で空間の誕生の物語だったような気もする。シャワーを浴びる女の脚や排水溝が映されたファーストショットから始まり、どこにあるのか、いやどこにでもあるような空間がいくつも現れては消え、そしてそれがいつかどこかにあるはずのどこにでもあるがしかしそれゆえそれぞれがかけがえのない空間へと変わっていく。その中で、どうしようもない、もしかすると何の価値もないかもしれない女や男が、いつどこでだれになってもおかしくない可能性の塊へと変わる。わたしたちはそんな可能性の塊が自分の中に湧き上がってくるのをふと気が付くはずだ。

夜は丸の内ピカデリー3での爆音調整。翌日分をすべてひと晩でやるのだが、音を出してみると柔らかくていい感じ。3回目の丸ピカで、ようやく機材のチョイスやセッティングのベストなものが見つかったということになるだろうか。バウスのような柔らかくて太い音からクリアな繊細な音までバランスよく出てくる。これならもうここでずっとやればいい。そんなことを思った。

『ダンケルク』は会場が広いせいか、試写で観た時ほど音の拡散と集中に神経が研ぎ澄まされず、音が柔らかく全体を包み込む。もちろん銃弾はピンポイントで頭蓋骨のあたりに飛んでくるわけだが、とにかくこの映画は、後半で、いろんなイギリス船がダンケルク港に現れる時の音楽と兵士たちの歓声。新宿の時も何度もそこをやり直した。小さな出来事が集まってひとつの大きな声を生む瞬間とそれがすっと引く瞬間。そこがはっきりと伝えられたらあとは自動的に映画が物語を語り始める。

『ブレードランナー ファイナルカット』はそんなに大きな音の出る映画ではない。物語に乗れる乗れないは別にして、あのムード、メランコリックな空気感でいかに会場内を包み込むかというところがポイント。今回の柔らかい音は、まさにそのためだけにあるような気がするほど見事にはまった。

『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』は名古屋での調整では思い切り時間がかかり苦労したが、その甲斐あっていい音になった。なぜ苦労したかというと、もう35年も前の映画なので、今の映画のようにち密に音が入っていないのだ。セリフが硬い。音量を上げると痛くなる。それを回避すると歌がもこもこしてしまう。ではどうするか。もちろんこちらができることは限られている。新たに何かをミックスすることはできないし、ライヴのようにシーンに合わせながらリアルタイムで音の調整をしていくわけではない。丸の内でも大変心配していたのだが、今回の絶妙な機材セッティングとスピーカーチューニングのおかげで何とかなった。テーマ曲が音の壁となって丸ピカのでかいスクリーンの前に立ち上がってくる。

『ああ荒野 前編』は、後編の盛り上がりに向けての序章なので無理せずとにかく、いい音でというのを心掛ける。セリフ、叫び声もふくめ、センタースピーカーの音がメインなので、セリフと環境音との関係に配慮した。まさに主人公と彼を取り巻く世界との関係が、そのセンタースピーカーの音の中に込められていた。

そして『キングスマン』はこれまで爆音上映してきた中で、最も柔らかい音の上映になったのではないか。この音で聞くブライアン・フェリーの歌声は格別である。延々とそれだけを聴いていたい。また、その柔らかさのおかげで例の「威風堂々」のシーンのバカらしさが増し、大爆笑シーンとなった。

『悪魔のいけにえ』は今回のboid特別枠。もう何が何でも、という勢いでお願いした。他の映画館での追悼上映もあるので本来はそれで十分だったはずだったのだが、ただ、おそらく日本ではこんな大きな画面で上映できるのはこれが最後かもということを思うと、映画とフーパーのためにここは何としても。最大の敬意をこめての上映となった。音の方はまったく問題なし。ただ、いつもはモノラルのところを、この際だから、セリフも聞きやすいデジタルリマスター7.1チャンネルでやったところ、最後のチェーンソーが場内をグルグルと駆け巡り、さすがにあまりに極端すぎるので、大爆笑で終了。

終了は明け方。すでに5時過ぎているのだが、秋の朝は遅い。

 



11月13日(金)
昼に目覚め。猫様が狸のような堂々たる後姿を見せてくれた。

 

 

夜はまず、『この世界の片隅に』の片渕監督を迎えて爆音調整。セリフが大切な映画故、セリフの聞こえ方を繰り返しチェックした。やはり爆音にするとどうしてもセリフがぼんやりとした響きになってしまうので、そのあたりをできる限りくっきりと印象的に。あとは、高音部にいろいろな音が入っているということで、そのあたりの小さな音が少しでも耳に入るように。そしてせっかく爆音なのだからと、爆撃音の響きを少し割増。自ら音響を担当したこともあり、夢中になって音を聴く姿にこちらの背筋も伸びる。

そして『インセプション』は新宿ピカデリーの時と同様、隠れていたさまざまな音を浮かび上がらせる調整。ここから『ダンケルク』へと連なる夢の中の道筋が見えてきたら、というような思いを込めて。公開から何年も経ったからなのか、『ダンケルク』を観てしまった後だからなのか、あるいは爆音の効果なのか、公開時に不快だった演出やカメラワークがあまり気にならない。音の流れの中にゆったり入り込みながら観る。

『インターステラー』はとにかく丸ピカの大画面だとそれだけで圧倒される。大画面で見るのがいいのは、単に我を忘れるからだ。どこにもない場所に一瞬で連れ去られて、だれでもない者として、しかし自分が生きてきた歴史だけは抱えたまま、映画を観る。爆音でその「我を忘れる」感が増幅されるうえに、宇宙空間の無音がほぼ完ぺきに我々をどこでもない場所に放り出す。おそらく我々の日常にも、そんな一瞬の切れ目のようなものがある。

『地獄の黙示録』はもっと音をとはやる気持ちを抑える感じ。この映画を過剰な爆音でやると、どこでもない場所ではなく、どこかでしかない場所の深みにはまり込む。そこからの脱出の物語でもあるわけだから、頭はクールに、さえた視線で地上すれすれを走り抜けなくてはならない。とはいえ戦場へ慰問するプレイメイトたちのステージシーンの「スージーQ」の熱狂はダハハと馬鹿笑いするくらいな感じがいい。

『メッセージ』は耳をえぐるようなギリギリとした、どこから聞こえてくるのかわからない宇宙人の声(?)がポイントなので、その地球外からの音の聞こえ方にポイントを絞る。今回の丸ピカのシステムだとどうやっても人間的な音になる。それはそれで面白いのだが、半透明の仕切りの向こう側とこちら側に分かれた物語なので、こちら側と親密な音だけではいけない。人類の歴史上あり得なかった、だれも聞いたことのない音からまずは始めなければ。今回上映の作品の中で、最も極端なイコライジングの作品となった。徹底した他者の音。



10月14日(土)
さすがに疲れ果てていた。猫様たちの写真しか残っていない。

 

 



10月15日(日)
夜は再び爆音調整。『ああ荒野 後編』はクライマックスのボクシング・シーンの息遣い、開場の空気感。彼らの歴史や記憶、彼らの親たち、そしてそのまた親たちが過ごした時間がそこに広がっていくような、彼らにとって親密で、しかしれゆえに耐え難くもあるような、彼らにまとわりついて離れない濃密な空気を出すことができれば。

『マッドマックス2』はカナザワ映画祭での上映の記憶では相当な轟音で、確か会場の電力不足でそれ以上の音が出せなかった。そのリヴェンジも込めて今回の映画祭に加えてもらった。だが実際にやってみると80年代の映画の音がして、つまり音の分離があまりよくなくレンジも狭い。近年のアメリカ映画の視覚聴覚広がりまくりの広いレンジの音に慣れてしまった者にとって、なかなか扱いにくい音になっていた。それに丸ピカの広さでは、塊のままドーンと出すとやはり体に悪い。この映画の中のちょっとしたやさしさやユーモアを感じられるような音にと思いつつ、あれこれ苦労した。

『マッドマックス 怒りのデスロード』はもう完全に爆音の定番になってしまったのだが、やはり会場や機材によって聞こえ方が違う。今回は太鼓の音が妙にきれいに面白く聞こえたので、それを活かした。

本来なら残りの作品も全部やってしまいたかったのだが無理しても仕方ないので明日に回す。帰り道のタクシーの運転手が、しきりに車の話をしてくる。どうやら新車を買うらしい。個人タクシーだから商売道具なんだそうだ。600万から800万くらいだとかなんとか。ローンを組むのだそうだ。車のレースや映画は好きだが自分では免許もなく、それゆえ買うことなんて全く考えていないわたしは、ただひたすら、「そうですか」と繰り返すばかりであった。帰り際にもらった領収書をあとで見てみたら、会社名も何も書いてなく、単に金額だけが印字されているだけのものだった。「そうですか」くらいしかやり取りできなかった会話への嫌がらせだったのかもしれない。



10月16日(月)
夜、再び丸の内ピカデリー3。『ジャージーボーイズ』は、わたしの中でのオリジナルのフォーシーズンズの「君の瞳に恋してる」の音のイメージが強すぎて、まずはどうしても最後に流れるオリジナル版に合わせての調整となった。だがそれに寄りすぎると、新しい録音の音が歪む。その中間地帯を浮かび上がらせなければならない。半世紀以上前と現在とを接続するだけではなく、そのうえでさらにどこでもないどこかから聞こえてくるような音。屋外なのか室内なのかわからない、その裂け目にあるような音。

『ハドソン川の奇跡』はシミュレイターでのものも含めて何度も不時着の場面が繰り返される。とにかく冒頭からいきなりである。じわじわとやってきて決して逃げ切れない決定的な時に向けての飛行の音がまずあって、そしてそれがすでに起こってしまったこと、決定的な時が訪れてしまい、我々はその記憶の中で生きるしかない。その後にも貼りついて離れない記憶としての音。記憶のエコー。繰り返される不時着。何層にも重なっていく音と記憶の層を出すには、今回のシステムは最適である。

『2001年宇宙の旅』のトリップシーンはどうやったって今回のシステムならすごい音が出るのはわかりきっているので、冒頭の「ツァラトゥストラはかく語りき」がどう聞こえるか次第。おそらくこの映画を見に来る人のほとんどはこの曲の印象が強烈に残っているに違いなく、しかし実際の映画につけられたこの曲の音量は、多くのファンたちの記憶の総量にはまったくかなわない。それは今回も実感した。だからとにかく、ファンたちの記憶の総量という目に見えないものに向けての調整となるのである。映画不在の場所での熱量を上げさせたのも映画の力なので、つまり、映画の亡霊と対峙しつつの爆音調整ということになるのだろうか。

『フルメタルジャケット』の爆音は、音の調整のポイントが絞りにくい。教官の声、戦闘シーン、音楽など、性質の違う音が印象的に入るため、バランスよく調整しないとグシャグシャになる。『セッション』の爆音調整をしたときに思ったのだが、『セッション』のベースは『フルメタルジャケット』なのかな。いずれにしても丸ピカの広さだとバランスが狂うと大変なので、手探りの調整。結局やはり慣れ親しんだナンシー・シナトラやトラッシュメンの曲に合わせることになった。結局いつもそうなる。自分が今どこにいるのか、それをあらためて見つめさせる映画である。



10月17日(火)
気が付くと猫様がスコットの上に。時と場所を超えてふたりとも同じものを見ているようだ。

 



10月18日(水)
久々に晴れて暖かい。猫様たちが当然のようにひなたぼっこをしている。

 

 

 

坂本龍一さんの数年間を追ったドキュメンタリー『Ryuichi Sakamoto: CODA』試写。通常のドキュメンタリーとは違い、「語り」が少ない。本人が何かを語る、周囲の人が坂本龍一を語るのではなく、ただひたすら坂本龍一が何かを聴いている。聴く人としての坂本龍一のドキュメンタリー。マイクを持って何かを録音したり、録音物を聴いているシーンが多いということではなく、おそらくそのようなシーンは全体の数パーセントくらいのものではないかと思うのだが、映画全体の印象として、そこに坂本龍一がいて何かを聴いている、何かをしゃべっていたとしても、しゃべりながら何かを聴いている。こんなドキュメンタリーってほかにないんじゃないか。

 

10月19日(木)
打ち合わせや事務作業で終了。何をしていたか記憶なし。新宿西口にある中華料理店の酸辣湯麺の写真が残されているので、その付近での打ち合わせか仕事があったはずだ。

 



10月20日(金)
午前中、恵比寿にて某企画の打ち合わせ。その企画の中身は決まっているのだが、果たして採算が合うのか、どのようにやれば人が来るのか、という現実面での話。ギリギリである。

 

 

その後、ワーナー試写室にて『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』の試写。前回行こうとしてワーナー試写室に着いたらやっておらず、日時を間違えたのかと思ったら、別のワーナー試写室ができていて、そちらでの上映だった。思い込みで動いてはいけない。そのリヴェンジである。丸ピカでの爆音上映が決まっているので、とにかく観て爆音のポイントを確認しておかねばならない。
青春映画だった。ホラー映画としての面白さより、確実に、ミドルティーンの少年少女たちの成長物語。同じキング原作の『スタンド・バイ・ミー』にひとりの少女が加わり、しかもその少女がもう、あからさまに、80年代アメリカ青春映画のミューズだったモリー・リングウォルドそっくり。物語の時代設定も80年代初頭だったと思うから、明らかに意図的なキャスティングで、監督自身はホラーには興味ないんじゃないかと思えるほど。音楽は『ブレードランナー 2049』のハンス・ジマーではないほうの、ベンジャミン・ウォルフィッシュ。『2049』で使われていたあの音とはこの人の音だったのかと、いくつかの発見あり。帰宅後、現実のモリー・リングウォルドは今いったい何をやっているのかを調べてみた。現在の写真に愕然とする。まあ、そりゃそうだよねえ。




樋口泰人(ひぐち・やすひと)
映画批評家、boid主宰。映画『PARKS パークス』『めだまろん/ザ・レジデンツ・ムービー』そして『DARK STAR/H・R・ギーガーの世界』公開中。11/20(月)-21(火)は山口市のBookstore松にて「映画雑談会」。11/23(木祝)-26(日)は「爆音映画祭 in MOVIX堺」を開催。

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