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2017年09月号 vol.4+10~12月号

先行きプロトタイピング 第2回 (今野恵菜)

2017年12月02日 14:23 by boid

YCAM[山口情報芸術センター]の映像エンジニア、デバイス・エンジニアの今野恵菜さんによる新連載『先行きプロトタイピング』の2回目です。今回はワークショップのファシリテイターを担当してみて気づいた言語の違いによるコミュニケーションの差異についての考察です。


Tinkering Studio スタッフ内で行われたワークショップ作りのためのR&Dの様子(1)


文=今野恵菜 写真=今野恵菜・© 2017 Exploratorium

Exploratoriumの館内は、今日も沢山の人々で賑わい、こどもたちの笑い声や感嘆の声がこだましている。ここでの私の主な仕事は、展示物やワークショップなどのコンテンツ作り、いわゆる製作(裏方)作業が主だが、時折、ワークショップのファシリテーション(ワークショップの進行/参加者の体験がスムーズに進むようサポートなどを行う役割) を行うこともある。これがなかなか難しいのだ。

日本では、職場である山口情報芸術センター[YCAM]ではもちろん、大学時代の友人達と一緒に行っている「乙女電芸部」というグループの活動でも、これまでに多数ワークショップを経験してきた。が、ここExploratoriumでのワークショップは、それらの経験値だけではカバー出来ない「違い」があるように感じられる。
単純に「私が英語でのファシリテーションに不慣れである」という問題はもちろん大きい。私がもっと流暢に英語を喋ることが出来れば、日本で行うのと同じように、興奮しすぎたこどもをうまく諌めたり、興味を失ってしまったこどもをうまく誘導することが出来たかもしれない。しかし、言語の違いは、そういったシンプルな問題以上に、ワークショップ自体の方向性に大きく影響を与えているように感じられる。


オリジナルワークショップに参加する参加者の様子(1)


もちろん日本で行うワークショップにも、アメリカで行われるワークショップにも多様な種類があり、一概に扱うことは出来ないが、少なからず私の経験から言えば、5人以上のこどもを対象とする場合、日本では「授業形式」を取ることが多い。はじめにガイドラインを全員に説明し、なんらかのゴールが設定され、みんなでそこに向かって進んでいく。人員的にも時間的にも効率の良いやり方だ。
しかしここExploratoriumのTinkering Studioで行われるワークショップは全く違う。体験の素材となるものをしこたま用意し、それらを設置した「現場」にこどもたちを招き入れ、「ワークショップの質を更に向上させるためのリサーチに協力してもらう」というスタンスだ。こどもたちは最低限の説明を受け参加意思を確認された後、自ら体験を推し進めていく。まさにゼロベースで、プロトタイプ精神溢れる体験形式である。効率面から言えばお世辞にも良いとは言えないだろう。また、一見この形式では、ファシリテーター(ファシリテーションを行う人)のやることは少ないように感じられるかもしれない。しかし実際には、このワイルドな状況下で参加者であるこどもたちの発見や疑問、コメントをキャッチアップしたり、体験の邪魔をしない範囲でアドバイスをするためには、常に参加者の動きに目を光らせ、素早い反応と対応をとる事が必要となる。そしてそれ故必然的に参加者とファシリテーターのコミュニケーションの濃度は濃くなり、そこからキャッチアップできる情報量も多くなる。これが、この形式の最大の利点だと私は考える。

しかし「じゃあこの形式で日本でもワークショップをどんどんやってみよう!」と思うかといえば、煮え切らない態度になってしまうのも事実である。
この形式で肝心なのは、参加者であるこども達とファシリテーターが向き合って対話をするなかで、こども達が自分の意見を、「正しい答え」や「模範解答」などを意識せずにポンポン言える状況を作ることである。この「状況作り」に費やすコストが、英語と日本語では少し違うように感じるのだ。


オリジナルワークショップに参加する参加者の様子(2)


こちらに来てから「日本語を勉強する、英語を母語とする人」に会う機会が多いのだが、その内の一人の「英語は『意見を言う』のに向いている言語で、日本語は『意見を聞く』のに向いてる言語かもしれない」という意見が大変印象的だった。
例えば、 日本語と英語とでは「相槌」の意味合いが少し違うように感じる。特に英語には「へぇ」や「うん」や「うーん」などの「相手の言葉を遮らずに『あなたの意見に同意するよ』『あなたの意見に疑問があるよ』という聞き手のスタンスを表現する言葉(音)」や「それで?」などの「相手の喋りのテンションを維持、向上させるための言葉」はあまり多くなく、「I see」や「You’re right」や「You think so?」など、「端的に自分の意見を表現する」もしくは「相手の意見を聞いた上で、自分の意見を言うための導入フレーズ」といった雰囲気の文言の方が頻繁に使われているように感じる。これには英語と日本語の「主語に対する感覚の違い」が影響しているのでは?というのが私の推測である。主語を口にすることで、どれだけ短い一言でも「会話のキャッチボールにおける自分側からの送球」になっている、というような感覚だ。よく「英語圏のこども達は、幼い頃から自分の意見を自分の言葉で述べる訓練をしている」という事を耳にするが、それは言語的な考え方から要請される部分も大きいのではないだろうか?
こういった視点から考えると、前述の「英語は『意見を言う』のに向いている言語で、日本語は『意見を聞く』のに向いてる言語かもしれない」という意見は、かなり的を得ているように思える。どちらが言語として優れている・劣っているという問題ではなく、会話において注目している部分が少し違うのかもしれない。

もちろんこれら個人的な憶測にすぎないし、日本でワークショップを行った時にも、自分の意見を完結にまとめて発言したり、わからないことをシンプルな言葉で質問してくれるこどもは少なくない。しかし、日本でのワークショップでみられるこういった振る舞いは、「ナチュラルな彼らの行動」というよりは、あくまで学校などが定義する「授業中に発言する際は手を上げて、みんなの前で、簡潔に行う」というルールに従っているように感じられる場合が多いのだ。実際、自己紹介の際にこちらの「呼び名」を指定しないと、ファシリテーターは十中八九「先生」と呼ばれる。ここにも彼らのマインドセットが現れているだろう。故に、個人的なやりとりとなると、急に恥ずかしがってあまり喋らなくなる子や、逆にテンションが上がってとりとめのないことをノンストップに喋り出す子も多い。彼らの「模範解答ではない本当の意見」を、しかも気楽に言える雰囲気を作るには、それなりの工夫、つまりコストがかかるのだ。


地元のクリエイター(Maker)向けに行ったワークショップの様子


ワークショップの毛色の違いを始め、ふとした瞬間に「言語の違いから生じるコミュニケーションの違い」を実感する機会は身の回りにあふれている。こういった経験は、私にとって、今までなんとなくわかったような気になっていたが、実際には捉え所のない無い存在である「言語とコミュニケーション」に目を向けるきっかけとなった。

話は少し変わるが、先日『メッセージ(原題:Arrival)』という映画を鑑賞した。日本でもヒットしたようなので、既に観ている方も多いだろう。(ばかうけ型の宇宙船が話題となったあの映画である)英語音声のみでの鑑賞だったので、自分の作品理解度に大分不安があるが、「言語学者が地球外生命体の使用する言語体系を習得したことで、言語学者の知覚(時間感覚)が変化する」という出来事が映画全体のキーとなっており、これは「サピア・ウォーフ仮説(言語相対論)」と呼ばれる「言語によって少なからず思考や認識に影響が与えられる」という考え方が元になっているそうだ。私はこの映画を観るまでこの言葉を知らなかったが、聞けばなるほど腑に落ちる考え方だ。世界を解釈するツール(言語)が違うことで、「世界の見方」に変化が生じ、ひいては「自分の知覚する世界そのもの」が変化する。映画の中ではかなりエクストリームな変化が起きるが、そこまで極端ではないにしろ、私も少なからずその変化の片鱗に触れているように感じるのだ。

もしそのツールの違いによって知覚する世界すら違うのだとしたら。「少し似ている、けれども『違う世界』に存在する概念同士を結びつける」= 翻訳という試みは、実はかなり無茶なことやっているのかもしれない。口にする言葉だけではなく、手話や点字などのコミュニケーションツールや、コンピューター言語も、ユーザーの知覚に影響を与えているかもしれない。さらに、新しいコミュニケーションの方法が開発されれば、 それに合わせた新しい知覚が生まれるかもしれない …。「言語とコミュニケーション」に関する興味は尽きることなく私の中で膨らんでいった。


スタッフ内で行われたワークショップ作りのためのR&Dの様子(2)


Exploratoriumでの研修開始当初に、メンターから「基本的な研修内容以外に興味があることがあれば、身近なスタッフにどんどんシェアしてください」という説明があった。これは、私が研修中の身だからそういう時間を与えられているのではなく、「なるべくスタッフ全員が自分の興味関心事項について探求する時間を持てるようにする」というのが、施設全体の総意なのだそうだ。ここにも第一回で記したこの施設の「面白いものを作るための、手段を選ばなさ」が現れているのかもしれない。
私がこの「言語とコミュニケーション」の話を「自分の興味関心事項」として、拙い英語で施設のスタッフに伝えると、意外にも面白がってもらうことが出来た。私が「興味が有ることはなんでもシェアして!と言われてはいたものの、あまりにぼんやりとし過ぎているし、いわゆる科学とはあまり関係ないと思っていたので、話すのを躊躇していた」と言うと「関係あるよ!」と少し怒り出す人もいた。実際、Exploratoriumでは他の科学館ではあまり見かけない「The Science of Sharing」という認知科学、認知心理学、社会心理学などに関する展示をまとめたコーナーがある。そこでは「囚人のジレンマ」(お互い協力する方が協力しないよりもよい結果になることが分かっていても、協力しない者が利益を得る状況では互いに協力しなくなる、というジレンマ)を実感できる展示や、「人の表情からどの程度心理的な影響を受けるか」ということを体験できる展示などが設置されている。相談したスタッフいわく、私の興味はこのあたりに関連するのではないか、とのことだった。


[give your partner a sip… or a squirt] 「囚人のジレンマ」の構造を伝える展示。水がかかる時は容赦なくかかる。


面白がってもらえたことに気を良くした私は、基本的な研修内容と平行して、この「言語とコミュニケーション」に関する、自分の興味関心を表するようなアイデアスケッチ、簡易で小規模なプロトタイピングなどを行い、それらをコソコソ身近なスタッフに見せて回るという、あやしい販売店員のような活動を開始した。未だに「自分のカラー」を持たぬ私にとって、切実な「興味関心」は貴重な財産、「ここを糸口になにかつかめないか?」と奮闘し始めたのだ。


今野恵菜(こんの・けいな)
山口情報芸術センター [YCAM] デバイス/映像エンジニアリング、R&D担当。専門分野はHCI(ヒューマン・コンピューター・インタラクション)など。2017年3月よりサンフランシスコ Exploratorium にて研修中。

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