boidマガジン

2017年09月号 vol.4+10~12月号

樋口泰人の妄想映画日記 その55

2017年12月04日 16:40 by boid

boid社長・樋口泰人によるboidの業務日誌ときどき映画&音楽&妄想日記です。旅で訪れた長崎、引き続き開催中の丸の内ピカデリーでの『ブレードランナー2049』の音調整や関西での爆音映画祭の取材、そして新千歳国際空港アニメーション映画祭と日本を駆け巡った10月下旬です。


文・写真=樋口泰人

10月下旬は長崎から新千歳まで。日本縦断。もう自分がどこにいるのかよくわからなくなった。なんかもう、このままでもいいのではないかと思い始めている。時々東京。そう覚悟を決めてしまうと、東京で忙しく働いているその時間の空虚さが身に染みる。どうでもいいこの社会にしがみつくだけのための作業とも言えるわけだが、たぶん、その恩恵もたっぷりと被ってもいる。いずれにしても、いくつもの可能性は開けている。


10月21日(土)
期日前投票に行った。予想以上に混みあっていて驚いた。だが、老人たちばかりである。わたしでも若いほう。このあからさまに若い者がいない状態は一体どういうことなのか? 見た目の判断だが、そこにいたはずの200名以上の人たちの中で20代はほぼ確実に、我が家の姫だけだった。SNSなどでの「今回の選挙には行かない」宣言が炎上したり話題を呼んだりしていたが、結果的には、その宣言がほとんどの若者たちの言葉に近いものであったということなのだろう。この圧倒的に若者の姿のない投票所の風景は、何かもう別のやり方で生きていかなければならないことを決断させるに十分なものであった。


夜はK’sシネマにて『鉱 ARAGANE』ロードショー初日のトーク。初対面の小田監督は、監督にしては珍しく言葉数の少ない人だった。初対面だったということもあるのかもしれない。その言葉少ないたたずまいが面白くて、トークではあれやこれやと細かく質問した。何を話したかもうはっきりとは憶えていないのだが、労働者たちは作業中、音が反響してうるさい時はヘッドライトの動きで会話すること、音はすべてカメラのマイクのものであったこと、作品になったものは、炭鉱に入って出てくるまでだが、何回も炭鉱に入った、その複数の映像をまとめてひとつの出入りにしていることなど、映画を観ただけでははっきりとは見えてこない映画の細部を語ってもらうことができた。

つまりほとんど会話のないこの映画は、実は音のない会話にあふれた映画でもあり、それは炭鉱に入ってから出るまでのひとつの運動のドキュメンタリーではなく、いくつもの往復運動の重なり合ったひとつの往復運動のドキュメンタリーであるということになる。その意味でサーフィン映画なのだとも言える。


10月22日(日)
台風来襲。その雲を突き抜けて長崎へ。死ぬほど揺れた。かつて飛行機嫌いで、精神安定剤を飲んで乗っても冷や汗かき通しだったころにこんな飛行機に乗ったら、もう2度と飛行機に乗ることはなかっただろう。しかし台風の雲の上はちょっとした天国感もあった。このままここにいたいとも思えた。

 


長崎はこれまで行ったどんな場所とも違っていた。空港から市内へ入る道路わきの地名表示板。「首塚跡」「獄門所跡」「同塚跡」と並ぶ。あとでわかったのだが、この獄門所で処刑された人間の首と胴体が永遠に分かれてしまうように別々の場所に捨てられたのだという。キリシタン弾圧の血の歴史が、そこら中に地名としてあからさまに残されている。丘や山に囲まれて海には開かれている狭い居住地が作り出す風景は香港のようにも見えるし、その先に行き場所がないすべての列車の終着駅でもあり始発駅でもある長崎駅は、どう見ても終着駅としか言いようのないどん詰まりに見えるものの海のおかげで暗い影は帯びない。死の果ての希望のようなものを感じられるのは、こちらの思い込みでもある。駐車場の猫に挨拶もした。

 

 


夜は今回の旅行の目的でもある卓袱料理を食いに行った。マイレージがたまっての旅行なので旅費がかからなかった分、贅沢をした。料理自体の味はもちろんうまかったのだが、何か「長崎」という場所が経てきた時間を食した気がした。

 

 




10月23日(月)
台風の名残の不穏な曇り空から一転、見事な秋晴れ。平和公園、原爆資料館、日本二十六聖人殉教地など。いずれにしても開かれた海なしにはあり得ない歴史。そこで死んだ人たち、殺された人たちが今ここの空気の中をまだ漂っている。カメラを回せば確実に何かが写るはずだ。午後は眼鏡橋など川巡り。

 

 

 


実はこの日原稿の方で大トラブルがあり、しかしいつものようにわたしの勘違いとかそういうのではまったくなく、わたしのあずかり知らぬところで起こったトラブルだったのだが、いずれにしても原稿書き直し。しかも、この日の夜にサンプルデータが送られてきて、それを深夜に観てそれから原稿という恐ろしいことになった。ふー。


10月24日(火)
浦上天主堂など。こちらもまた、血の歴史。猫様たちがうろうろしていた。今ここにいる猫なのだとは到底思えなかった。複数の猫がひとつの場所にオーバーラップして存在している。そんな感じ。そこに折り重なった時間のレイヤーを貫いて生きているのだろうか。孔子廟の前に100年以上の歴史を持つ銭湯があった。

 

 

 

 

 

 


帰りの飛行機は揺れなかった。日本産のコーヒー豆も入っているというコーヒーを買った。




10月25日(水)
わが家の猫様は無事そこに存在していた。エンケンさんが亡くなったという知らせ。


夜は丸の内ピカデリー3にて『ブレードランナー 2049』の爆音調整。試写を観たときは、この音のバランスを崩したら大変なことになる、これは爆音上映は無理なんじゃないかと思うくらいの絶妙のバランスで音響が構成され、いろんな音が飛び交っていた。『ダンケルク』の時もそう思った。だが今回の機材設定でやってみると、見事にまた別の世界が浮かび上がってくる。試写の時の音響はアトラクションのような体感型で、普通に考えるとアトラクションに感じるかもしれない爆音の方が、物語の流れに集中しやすい。大きな時間の流れが見えてくるというか。だからハリソン・フォードのシーンが何とも言い難くグッとくる。物語の中の時間経過だけではなく、現実の時間の中で流れた35年ほどが、ハリソン・フォードの身体や顔やしぐさを通して否応なく伝わってくるからだろう。それらが爆音に載って伝わってくると言えばいいか。通常の上映が様々な手段を駆使して今ここの物語を誰かに向けて語ろうとしているのに対し、丸ピカの爆音でそれを観ると今ここに流れ込む過去や未来からの時間の奔流に圧倒される。もはやこれ以上語る必要はない。語られる何かを聴くのみ。耳を澄ましていれば時間の流れに身体が共鳴をはじめ、身体の中で物語が響きだす。そしてハリソン・フォードが用意したエルヴィスが、「好きにならずにいられない」を途切れ途切れに歌い始めるのであった。未来への展望はないかもしれないが、まあ、そういうのでいいじゃないか。あのエルヴィスをかみしめながらもうちょっとあれこれ悪だくみをするわけだ。
調整は終電に間に合う時間で終了。ファッツ・ドミノもなくなったというニュース。湯浅さんと話してとりあえず次のアナログばかはエンケンさん追悼で、ファッツ・ドミノは誕生日が2月だからそのあたりで何かやれたらという話に。



10月26日(木)
朝8時の新幹線に乗って京都、そして大阪へ。11月の爆音映画祭の京都と堺のための新聞取材を受けた。自分の中でもはや前提と思っていることを話すことから始める。相手にとってそれは前提でも何でもない。常に繰り返され続けなければならないことだ。 夕方、大阪から再び京都に戻り、同志社大学に行き、そして京都みなみ会館に顔を出し、3月の企画の打ち合わせを。新幹線終電にて東京に戻る。


10月27日(金)
午前中に渋谷にてひとつ打ち合わせをすませ、『ブレードランナー2049』初日の様子を見に丸ピカへ。そして再び渋谷に戻りヴェンダースの新作『アランフェスの麗しき日々』試写。1軒の家と庭、そしてその庭から見下ろす風景のみで語られていた。もはや「ロードムーヴィー」的な要素はどこにもない。だがその動かぬ景色の中で、時間が流れる。気が付くと何かが変わり何かが起こり同じ風景だが違う場所に連れ去られている。だから突然ニック・ケイヴが現れて歌い始めても、どうしてそこにあるのかよくわからないジュークボックスから今は亡きルー・リードの「パーフェクト・デイ」が流れても、もはや当たり前のようにすべてを受け入れる態勢はできている。ヴェンダースの解説を読むとそれらの音楽には『サマー・イン・ザ・シティ』や『ゴールキーパーの不安』など過去作品のさまざまな記憶と歴史が流れ込んでいるのが分かる。必要以上には動かずじっと対象を見つめていたカメラがふと、大きく動いてドキッとしたような記憶があるのだが、もはや霞の向こう。ヴェンダースには再度アメリカにわたり、クリント・イーストウッドみたいな映画を撮ってもらいたい。そのためには40歳くらい歳の違う新しい彼女が必要なのかもしれないが。


10月28日(土)、29日(日)
新千歳での爆音のための準備をしていた。とにかくアニメはいつも全然見ないので、まずは観ることから。普段まったくかかわりのない世界は怖くもあり新鮮でもある。とりあえず今年の新千歳で特集される湯浅政明さんはなぜ特集されるかが分かった気がした。しかも『夜明けを告げるルーのうた』は、『PARKS パークス』と物語の内容がいくつもかぶっていてドキッとした。町内放送用のスピーカーのアップを観たときは思わず声を上げそうになった。

 




10月30日(月)
月末の社長仕事を中途半端に片づけて、午後からはイメフォにて『めだまろん』その後の展開についてのミーティング。そして下北沢に向かいアナログばか一代。エンケンさんの追悼の回。湯浅さんのさまざまな想い出、タクシー運転手だった直枝さんのお父さんがたまたまエンケンさんをタクシーに乗せた話など。わたしは中学1年の時に初めて観たライヴというのが、遠藤賢司、あがた森魚、はちみつぱいというライヴだった。それ以来の勝手なお付き合いで、個人的な交流はなかったが、おかげで本当に楽しい人生を送らせていただいた。

湯浅さんの話はいつまでも尽きず、わたしは時間切れ。アナログばかを中座して丸ピカ3に向かって『IT/イット“それ”が見えたら、終わり。』の爆音調整を。最終的には、冒頭で主人公の母が弾くピアノ、そしてエンドタイトル時に流れる同じピアノ曲がいかに心に染みるかというところにポイントを絞った。ホラーの枠組みを借りた少年少女たちの成長物語の背景にはこの曲が流れているのだ。クリント・イーストウッドの映画から流れてくるようなピアノの音を想定しながらの調整だった。

23時スタートの調整だったので、さすがに終電に間に合う時間には終わらなかった。


10月31日(火)
朝から歯医者。この日のこの時間しか行く時間がなかった。これから始まるツアーのためにはとにかく歯の治療だけはしておかないと。うまいものが食えなくなってはすべて台無しである。その後事務所に向かい必要なやり取りを済ませ、羽田へ。本当は『わたしたちの家』の試写を観たかったのだが、どうやっても時間を作れず。

1年ぶりの新千歳は昨日までここにいたかのような安定感に満ちていた。同時に、建物の構造上、ショッピングモールの中にいる時は今どこにいるのかよくわからないめまいのような不在感が付いて回って離れない。ホテルの部屋の、離着陸するジェット機音だけが今どこにいるのかを確かに示してくれる。そしてお決まりの回転寿司であれこれ。今回は、シシャモや八角という珍しい寿司ネタがあって堪能した。翌朝からの調整に備えて早めに寝た。

 

 





樋口泰人(ひぐち・やすひと)
映画批評家、boid主宰。映画『PARKS パークス』『めだまろん/ザ・レジデンツ・ムービー』そして『DARK STAR/H・R・ギーガーの世界』公開中。来月は松本(12/1-3)お台場(12/9-10)多摩(12/15-16)にて爆音映画祭を開催。

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