2017年2月の公開から多くの話題を集めた空族の最新作『バンコクナイツ』。boidマガジンでは「潜行一千里」と題して全44回に渡ってその撮影の模様をお伝えしてきましたが、11月30日、同連載に大幅な加筆修正を加え、河出書房新社より『バンコクナイツ 潜行一千里』として刊行されました。その発売を記念して、boidマガジンでは本書の一部を全4回で無料公開しています。今回(その2)と次回は、 2008年に“バビロン作戦”第二次アジア視察で初めてラオスに降り立ったカーツヤからの入電を掲載します。
今週末12月16日(土)より『バンコクナイツ』の撮影を担当した向山正洋(スタジオ石/stillichimiya)監督によるドキュメンタリー『映画 潜行一千里』も新宿K's cinemaでいよいよ公開。文字と映像を通じてアジアと日本をチョッケツし、現代の“闇”に迫ります!!
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文=空族(富田克也、相澤虎之助)
第1章 娼婦・楽園・植民地より その2
仏暦2551(西暦2008)年2月xx日 カーツヤからの入電
時は一年遡り、西暦二〇〇七年十一月、“バビロン作戦”第一次アジア視察の報告から始めよう。当時の我々はCN“国道20号線”を終え、日本の地方都市において同胞たちが打ちひしがれている姿を目の当たりにしていた。そして作戦終了後、隊員中でただ一人東南アジア長期作戦の経験を持つトラツキから、「東南アジア視察は急務である」との提案を受け、私はトラツキ指揮下の“バビロン作戦”に合流した。こうして私は初めての海外旅行としてカンボジアに向かった。
しかし、それまでの私は、海外旅行といえばワイハーかグアムかぐらいの想像力しか持ち合わせておらず、加えて行くことがあるとしても一生のうちに一度ぐらいだろう、という程度のものだった。それがいきなりカンボジアである。ガイドブックを探しても、カンボジアを一国で扱ったものはなく、多少でも情報があるとしたらアンコールワットぐらい。そしてアンコールワット観光の拠点となる街シェムリアップの情報を見ると、観光地にも拘らずやたらと危険に対する注意喚起が目立つ……。
シェムリアップへ到着した私は期待と不安の絶頂だった。そこへ突然トラツキから「オザワ役なんで」とアロハシャツを渡され、撮影するからそこにしゃがみこんで、と指示される。私は言われるがままに赤土の砂埃舞う通りにしゃがみこみ、一朊しながら『地獄の黙示録』がいま目の前にあるかのような安っぽい錯覚に酔っていた。しかし、その緩んだ視線の照準を正すかのように、目の前を腹の出た白人のデカイおっさんが、現地の幼女と手を繫いで歩いて行く。確かに噂では聞いていたが、これほどおおっぴらに行われているのか? いや、さすがに白昼堂々はないだろう。そう、もしかしたら親子かもしれない……だが、幼女はハーフには見えなかった。あるいは長く沈没している外国人だから近所のガキと仲がいいという可能性だってある……。
しかし、この旅の中で、私の反証はいとも簡単に覆されていった。二〇〇七年当時カンボジアには世界各国から幼児性愛者が訪れていた。その歴史は九〇年代スワイパー村に遡ると言われている。
「オザワは元自衛隊員で、その時期PKOでカンボジアを訪れている設定だから」
とトラツキが言う。三十五年間、日本を出たことのない私の人生観は、そこであっさりと崩れ去っていった。
──わかりました。
私は呟き、そっと目を閉じた。
なお、この“バビロン作戦”第一次アジア視察は『バビロン2─THE OZAWA─』に報告されているので、詳しくはそちらを参照いただきたい。
いずれにせよ、この旅によってカンボジアに、アジアの現実に打ちひしがれてしまった私は、数ヶ月後の二〇〇八年、いてもたってもいられず、今度はラオスへのLRRP(ロング・レンジ・レコン・パトロール)に志願した。トラツキ指揮下の“バビロン作戦”第二次アジア視察だ。今回は地元甲府の仲間であるツヨシとヒトシ、そしてタイ語が堪能な後輩シコウも誘い、バンコクのカオサンストリートに降り立ったのであった。
トラツキは、これまでの“バビロン作戦”を指揮する中で、「先遣任務と同時に本作戦も完遂する」という戦術を編み出していた。一部には「ただ旅行しながらカメラを回しているだけじゃねぇか」という声もあるようだが、万年資金上足を抱える我々小隊にとって、これは理想的な戦術だった。戦術の考案者であるトラツキが“ゲリラ作戦の神様”と囁かれる所以だ。
我々は強引この上ない“バビロン作戦”に備えるため、かつてバックパッカーの聖地と呼ばれたカオサンストリートで、今後の旅をともにするビーサンなどを買い求めていた。作戦を遂行するにあたってビーサン選びは重要な工廠任務である。短期決戦の最中、足にマメを作って煩わしい思いをするわけにはいかない。こうして私のビーサン研究は始まった。
さて、二〇〇八年当時のカオサンストリートはというと、バックパッカーの聖地という面影はすっかりなく、映画『ザ・ビーチ』にも描かれるように、さらなる聖地を求めアジアの最深部に向かう外国人旅行者相手の商売や情報交換の場になっていた。しかし、当時FNG(ファッキン・ニュー・ガイ)だった私にとっては、カオサンがキラキラと輝いて見えたことも確かだった。ビーサンを選び終わった我々は、路上の屋台で買ったパッタイを食べていた。すると、一人の若い男が一目散に近づいてくる。そしてその男は、私の着ているTシャツを指しながら、
「それって、stillichimiyaの……」
と言うではないか。何で知ってるんだ? ここは山梨ではなくバンコクだ。stillichimiyaがこんなに全国区で知名度があったとは! 感心する私をよそに、彼は言った。
「俺、stillichimiyaっす! Mr.麿っす!」
こうして我々は Mr.麿と出会うことになる。続けて山梨から来た我々部隊の素性を明かすと麿も驚き、しばし互いにこの偶然の初対面に歓声をあげた。
「初めまして! 実は俺、ユーラシア大陸を横断中なんです。今日、カンボジアからタイに入ったところで、そしたらイチミヤTシャツを見てアガったっす! ずっと一人旅だったから。いや~嬉しいなぁ~」
私は既にstillichimiyaのクルーとは山梨で出会っていたものの、そこで麿の姿を見かけることがなかったのは、なるほどこういう事情だったのだ。彼の旅は、ここまでも随分と長期間だったようだが、これから西へ西へと半年かけて旅していくのだという。麿は東京バビロンで就職したものの、あまりのクソさに逃亡してきたのだと話してくれた。明日早朝、ラオスに向けて旅立たなければならなかった我々は、彼とは別れ宿に戻った。
かくして翌日、我々はラオス北部の古都ルアンパバーンの空港に降り立った。目的地はルアンパバーンからメコン川をかなり遡った国境地帯らしい。秘密作戦故に、その詳細は指揮官であるトラツキ以外に知る者はいなかった。世界遺産にも登録されているルアンパバーンの街は、ラオスもかつては王国だったことを感じさせるには十分な雰囲気があった。しかし、その王国が倒れ、現在の社会主義体制へと至る複雑な経緯に思いを馳せることなど、FNGの私にはまだまだ未知の領域だ。
翌朝、観光吊物にもなっている托鉢を見ようと、朝靄のなか清潔な空気に満ちる通りで、静かに並び座る地元の女性たちの末席に座らせてもらう。すると、鶏の鳴き声だけが響く静寂のなか、素足で歩く足音が次第に大きくなり、もやの中から、オレンジ色の法衣を着た僧侶たちの長い列が現れる。今回の作戦の成功を祈り、私は僧侶たちの差し出す鉢に米や果物、水を入れていった。
続けて我々一隊はレコン任務に入った。朝一でメコン川をボートで遡る計画は、のっけから過酷な任務だった。八時間の道のりをスピードボートで一気に行くというものなのだが、船着き場に着いてびっくりした。どう見ても六人乗りだろうという船体に、十人がぎゅうぎゅう詰め。さらには最速で八〇キロ出るからとフルフェイスのヘルメットの着用を義務付けられる。走り出してみると、いらないと突き返したシコウは水しぶきと後悔に顔面を歪め続けねばならなかった。水面を叩くようにして走るボートで身じろぎひとつできずに八時間、タイ~ラオスの国境地帯でラオス側の町フェイサイに到着したときには、シコウでなくとも全員フラフラになっていた。
なんとか宿に転がり込み、荷をほどくと、我々は賑わいをみせる国境の町で手当たり次第に食い、明日に迫った作戦に備えることにした。すっかり気に入ってしまったビア・ラオの酔いと、旅の疲労も手伝って、ベッドに倒れ込むとそのまま眠り込んだ。
しかし……。突如、激しい悪寒が私を襲う。反射的に跳ね起きた私は、シャワールームに駆け込み便器に座ると間髪入れずに下痢が、そして激しい吐気にも耐えきれず、股間と便器の隙間をめがけて嘔吐。上から下から同時に襲われ、散々の有様。もう吐くモノはすべて吐き尽くしたと水を飲むと、それをまた吐いてしまう。これを幾度も繰り返し、遂にはガタガタと震えがくる。昼間の暑さが噓のように、東南アジアといえど山岳地帯の夜は冷え込み、悪寒に追い打ちをかけてくる。さっき食った何かに当たったに違いなかった。さすがにマズイことになったとシャワールームから部屋へ目を凝らすと、同室だったトラツキとシコウはすやすや眠っている。凍えそうな私は、何かかけるものはないかと目を凝らしたところ、部屋の一角に掛け布団が積んであるのを発見した。やはりここは冷え込むのだ。これは助かったと二~三枚を引きずり出して、グルグルにくるまりながら、どこともわからない山奥で死ぬのかもしれない……という考えが何度も頭を過ぎり、悪寒に震えるうちにやっと浅い眠りにつくことができた。

『バンコクナイツ 潜行一千里』
著者:空族(富田克也、相澤虎之助)
定価:1,600円(税別) / 発売日:2017年11月30日 / 仕様:46判並製、304ページ / 出版社:河出書房新社
“楽園"はどこにあるのか――
バンコクの日本人向け歓楽街・タニヤ通りに導かれ男たちはインドシナの奥地へと迷い込み、アジアと日本を貫く“闇"に出会う……。
映画『国道20号線』や『サウダーヂ』などインディペンデントな制作・上映スタイルをとりながら圧倒的な支持を集める映像制作集団・空族。バンコクとインドシナ半島を舞台にした彼らの最新作『バンコクナイツ』は公開と同時に多くの話題を集めている。そして今、彼らが『バンコクナイツ』へと至る十年間にも及ぶインドシナ半島への潜入が、本書を生み出した。日本とアジアをチョッケツし、“闇の底"で煌めく抵抗の根拠地を描き出す!

『映画 潜行一千里』
2017年 / 日本 / 122分 / 監督:向山正洋 / 撮影:スタジオ石(向山正洋、古屋卓麿)/ 音楽:DJ KENSEI / 整音:山崎巌 / 出演:スベンジャ・ボンコン、富田克也、相澤虎之助、川瀬陽太ほか / 製作:山口情報芸術センター[YCAM] / 企画・配給:空族
構想10年、タイ・ラオスオールロケ!
東南アジアを縦横無尽に駆け抜けた映画『バンコクナイツ』のドキュメンタリー
12月16日(土)より新宿K's cinemaにて公開!
空族(くぞく)
映像制作集団。2004年、“作りたい映画を勝手に作り、勝手に上映する”をモットーに、『空族』を名のりはじめる。常識にとらわれない、毎回長期間に及ぶ独特の映画制作スタイルを持つ。作品ごとに合わせた配給・宣伝を自分たちで行い、作品はすべて未ソフト化という独自路線をひた走る。
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