boidマガジン

2018年01月号

樋口泰人の妄想映画日記 その59

2018年01月17日 16:49 by boid

boid社長・樋口泰人によるboidの業務日誌ときどき映画&音楽&妄想日記。12月も引き続き走り続けた「爆音ツアー」は松本、お台場、多摩にて年内は終了。松本では古い友人や懐かしいパン屋に偶然出会いったことで、時がねじれたかのような感覚がそのまま爆音会場にも持ち込まれたようです。また試写などで見た新作6作品の紹介もありますので、ぜひ読んでみてください。




文・写真=樋口泰人

11月の各所への爆音ツアーの疲れが出て、12月は生きているのがやっと、という感じだった。生きたまま全然別の場所へとなだれ込んでいくような奇妙な感触のまま1か月が過ぎた。まあ年末はいつもこんなものと言えばこんなもの。世の中が騒がしすぎる。殺意さえ覚える。自分の体内時間を大切にして生きていくしかない。




12月1日(金)~3日(日)
松本は寒かった。あまりにわたしがひどく寒いというもので、遅れて参加したboid社員からは大げさすぎると叱られる。身体が弱っていたのかもしれない。そしてそういうときほど不思議なことが起こる。爆音映画祭をやっていたのはまつもと市民芸術館の小ホールで、もうひとつの大きなホールでは串田和美さんの演劇公演が行われていた。その演劇公演の方の楽屋に来てくれないかという呼び出し。いったい何が起こったのかと呼び出しの理由を尋ねると、なんと、その演劇の音楽を担当していたのが大熊ワタルくんで、今回の公演には大熊君が帯同していたのであった。
で、大熊君がたまたま爆音のポスターを見て声をかけてきたという次第。おそらく25年ぶり。驚きの再会だった。80年代末の高円寺の空気が松本に流れる。同時期に高円寺で一緒にいろんな企画を行っていた松本出身の友人が亡くなったのは数年前のことだ。見事に狂った人間だった。部屋に溜まったごみくずをひとつひとつ列挙するばかりの何百ページにもわたる小説を電話口で延々と読み上げられたこともある。高円寺時代の最後は薬で完全にトリップして「灰野敬二を殺してしまった」と言って真っ赤な電球に照らされた小さな部屋の片隅で震えていたのを朝までかけてなだめ続け、松本行の列車に乗せた。それが本人に会った最後だった。その後電話では何度か話したように思う。相変わらず狂ってひきつった笑いが電話の向こうから聞こえてきた。狂ったまま、結婚もして子供もできたのではないか。子供もいてほしいというわたしの勝手な願いによる記憶ねつ造かもしれない。そしてそのねつ造された子供が松本の爆音を見に来ている。そんなねじれた時間が松本には流れていた。今後それらのねじれが消えることはないだろう。年齢を重ねるとはそういったことの繰り返しなのだと、ますます人間離れした場所に足を踏み入れていく。

 

 


そして街を歩いていたら下北沢にあったお気に入りのパン屋「アンゼリカ」があった。下北沢の本店は7月だったかに店を閉じて、どうやら後継者がいないためという理由だったのだが、実は後継者たちは松本に引っ越していたのだった。80年代の終わりから90年代の初め、下北沢に足蹴く通い、結局は住処にした3年ほど。そのころの記憶はアンゼリカなしにはあり得ない。高円寺時代のすぐあとということになるのだが、ふたつの時代がまとめて一気に松本に出現したのであった。爆音の調整もそれらの記憶とともに行った。記憶の中の音はもっと狂っていてもっと鮮烈でもっと切なかった。現実に聞こえてくる音はそれらの音は単にお前が聞きたい音に過ぎないし音はそんな記憶のためにあるのではないと言っているかのように、親密さすれすれのところで硬くこちらの思いをはねつけた。

 




12月4日(月)
『キングスマン ゴールデンサークル』試写。監督のマシュー・ヴォーンには、アメリカに関するねじれた思いが見て取れてそれが毎回気になっていたのだが、今回は、カンボジアの奥地にあるドラッグの秘密組織が大きな役割として出てくるとのことで、これは『地獄の黙示録』とどうつながるのかと期待していた。だが、設定だけだった。あとはアニメというか、CGですべてやってるので、何が起こっても何も思わなかった。エルトン・ジョンも大活躍するがどうってことなかった。




12月5日(火)
『シェイプ・オブ・ウォーター』試写。ギレルモ・デル・トロの新作。綿密に作りこまれた隙のない画面、ものすごい情報量、あり得ない設定の予想外の展開、しかしそれぞれが「映画」の名のもとに細部までコントロールされている。『ベイビー・ドライバー』の音楽と脚本の関係と言いこの映画と言い、面白いつまらないは別としてとにかく果てしない情報を徹底整理して見事にひとつの道筋の中にまとめる。適当に頭がいいというのではまったくすまされない、強引な腕力。1000本ノックとか、そういう類を乗り切ることのできる映画の体力。ここにもう少しのユーモアが加わると映画界のフランク・ザッパとしてひとつのジャンルを築けるんじゃないかと思った。


夜は誘われてめちゃくちゃうまいすき焼きを食った。トマト入り。

 


帰り道、東京タワーが寒空の中で光っていた。




12月6日(水)
『デトロイト』試写。近作を見逃していたキャスリーン・ビグロー。疑似ドキュメンタリータッチ、ということになるのかもしれないのだが、そういうのともどこか違う。本気でドキュメンタリーを作っているというか、1951年生まれのビグローはこの映画の設定である67年は10代半ば。育ったカリフォルニアのテレビニュースで当時のデトロイトの暴動を見ていたかもしれない。その記憶の小さな種を、映画とともに育てたのではないか。そんなことを思わせる親密さがある。ひとつひとつの出来事のそばにその場にはいなかったはずの何かがいてそれらを見たその不確かな視線の確かさが、この映画を作っている。監督は記憶の種に自身の想い出を話して聞かせ、身体に染みついた音楽を聞かせ、その場にはいなかった自身の知り合いたちの想い出を移し替えていく。ここに映っているのはその場にいた人たちであると同時にその場にはいなかったが似たような暮らしと似たような想い出を持つ数えきれない人々である。この映画を観たらそれぞれの中の記憶の種が、ゆっくりと膨らんでくるのを感じるはずだ。それらの種はその時きっと「What’ going on?」とつぶやき始めるだろう。マーヴィン・ゲイの同名曲がリリースされるのはそれから5年後のことである。




12月7日(木)
試写に行けず、ウォルター・ヒルの新作『レディ・ガイ』をサンプルにて。宣伝写真では主演のミシェル・ロドリゲスの女性でありながら男前の写真が大きく使われていて、イケイケのアクション映画かと思ったら、20世紀という時代、人類が築いてきた歴史のどん詰まりのような映画だった。男社会の残りかすを凝縮させたような硬直した態度で世界に立ち向かうシガニー・ウィーバーがすごすぎる。そしてそれによってミシェル・ロドリゲスの柔らかさが心に染みわたる。次第にゆっくりと変化を遂げる主人公の生きる態度にこちらの心も柔らかくなる。小さな希望が植えつけられる。いつか訪れるはずのロマンティックな希望ではなく、すでに何かが始まって変わっているのだという過去からやってくる希望を、映画は示すことができる。




12月8日(金)~10日(日)
お台場爆音の調整が始まる。夕方、お台場着。すっかり年末仕様で、予想したより大勢の人たちがいる。以前来たときは平日の昼間で、さすがに廃墟寸前のガラガラ感だった。

 

 


機材セッティングはあきれるくらいうまく行った。おかげで調整もガンガン進んだ。『ベイビー・ドライバー』はついにようやく、映画内で流れる大半の曲がリリースされた時のモノラルの音に近い状態にできた。この音がベース。『セッション』はドラムがまるで生音のような響きとなった。『ラ・ラ・ランド』の中音域の広がりで、それぞれのソロ・パートに中身が伴った。そして何よりも『幸せをつかむ歌』。最後のライヴに向けて、小さな音がゆっくりとまとまっていくあの感じ。映画の時間とはこうあるべきではないか。生きているとはこういうことではないか。そこにその人がいて懸命に生きているばかばかしく騒がしいが取るに足らない時間の積み重ねが、奇跡のような一瞬を作りだす。ジョナサン・デミもバーニー・ウォーレルもリック・ローサスも亡くなってしまったが、この一瞬が消えることはない。



全体的な動員は予想をはるかに超えていた。まさかこの場所でこんなに人が集まるとはと驚くばかりだったが、boidがお願いして入れてもらったジョナサン・デミの2本だけは残念ながらガラガラだった。日曜日の夜はどうやっても動員は悪い、ということでそれならば思い切ってラインナップに加えてもらったのだが。自分がいかに世間の志向とずれているか、爆音をやるたびに思い知らされる。


12月11日(月)
夜は角川シネマ有楽町にて映画『CODA』上映前のトークを坂本龍一さんと。4月のタルコフスキー特集の時以来。何千年もの時間を抱え持つ氷河の音の話が心に残った。たぶんそれは、アナログばか一代で1900年代末の電線で作ったリード線をつけたカートリッジで聴く音と、どこか似た時間でもある。音は時間を内包する。




12月12日(火)
いくつかの打ち合わせあり。




12月13日(水)
スコリモフスキ『早春』試写。もうなん10年も前に誰かからVHSを借りて観て以来。ついに、ようやく。内容はもうすっかり忘れていたのだが、本当にひどい話である。そのうえでこちらの心を鷲掴みにする力業。もうこの主人公たちのようには絶対に生きることのできない年齢になってしまい、さらにその鷲掴み感はねじれを増すのだが、しかし大人として、おそらくこれとは違った形でこのように生きることができるはずだと確信は増す。単に鷲掴みにされただけではなく背中を押された気がした。まだやるべきことはある。




12月14日(木)
『ライオンは今夜死ぬ』試写。ジャン=ピエール・レオーとかつての恋人と、そして子供たち。思い出と現実とがすでに混在してしまっている老人の力をまざまざと見せつけられる。老人になるということは記憶が現実を追い越すことなのだと改めて思う。抱えてきた歴史の重さに押しつぶされるのではなく、もはや自らの意思とは関係なくただひたすらそれに引きずられるように生きる。そうなるまで生きることができるかどうか。自分などいくら見失ってもオーケー。そんな清々しさの中を、ジャン=ピエール・レオーは生きている。そしてその周りにいる子供たちが、時々道に迷う老人のような表情を見せる。その表情が心に残る。あれがいいのだ。




12月15日(金)、16日(土)
パルテノン多摩での爆音。今年が2回目だが『デス・プルーフ in グラインドハウス』『AKIRA』ともにフィルムでの上映である。パルテノン多摩の機材は特別なものではなくまたパワーも足りないので、センタースピーカーを持ち込んでのセットになるのだが、案外フィルムの音と相性がよく、図太い音が出る。高音は多少きつくなるのだが、それもまたモノラルのレコードのような古い時代の音となり、特に『デス・プルーフ』には最適。まるでアナログばか一代をやっているような気分になる。ざらついたノイズもセットの音楽。あらゆるものを受け入れて自分のものにしていくような懐の深さを聴くことができる。これくらいがいい。
『AKIRA』の上映には、鉄雄の声をやっている佐々木望さんが来場してくれた。急な来場なので予告なし。サプライズということで急きょ上映前の舞台あいさつもしていただいた。当時のさまざまな裏話は相当あるようだ。今回は数分の挨拶なのでそこまで話してもらうことはできなかったが、いつかまた。もう30年近く前のことなので、そろそろ誰かが話を聞いておかないと何もなかったことになってしまう。

多摩センター駅周辺はキティちゃんとクリスマスであった。今年の爆音もこれで終了。これまでに比べ一気に状況が変わったが、それはそれで楽しくもある。自分だけでは絶対にやらないプログラムが増え、こちらの視界も広がった。楽しい一年だった。

 

 




12月後半
1年の疲れが出て呆然としながら過ぎた2週間。年末はひどい風邪をひき、38度を超える熱と関節のひどい痛みで完全にインフルエンザだと思って病院に行ったのだが、検査の結果はインフルエンザ反応なし。だがとにかく年末全滅。年が明けたのも知らなかった。こんな年末は初めてだが、いい休養になったというか生活自体を全部変えないといけないと、本気になった。boidも含め、人間関係仕事関係、大きく変える、変わることになるだろう。それでいい。いつまでも同じではいられない。




樋口泰人(ひぐち・やすひと)
映画批評家、boid主宰。大阪にて1/16-17に爆音上映”GLAM ROCK NIGHT”@梅田クラブクアトロ、2/2まで丸の内ピカデリーアニメーション爆音映画祭開催中。そして今年も渋谷WWWにてタイより人間国宝のモーラム歌手を招聘しての「爆音映画祭2018 特集タイ|イサーン」開催します。

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